バラの薬②




「茜渚街は元々俺たち《朱闇会》の縄張りだからな。荒らされるわけにもいかないし、協力することにしたんだ」


「そうなんだ……じゃあ、昨日捕まえられたからもう安心ってことだよね?」


「いや、まだ分からない。昨日捕まえたのは実は二人目なんだ。また現れるかもしれない」


「え?」



 もう安心だと思ったのに、違うと言われて食事の手が止まる。


 あのヴァンピールが茜渚街に逃げ込んで、ハンター協会の人達が探していたからそのまま潜んでいたのかと思っていた。


 でも、違ったらしい。



「怖がらせるかもしれないが、昨日みたいなことがあったら困るからな。ちゃんと話しておく」



 櫂人も食べる手を止め、真っ直ぐ私を見て続きを話した。



「大橋さんの話では、ハンター協会の方に犯罪予告が送られて来たらしい」


「犯罪予告?」


「ああ。この茜渚街にヴァンピールを解き放つ、ってな」


「解き放つ? え? それって……」



 誰かが意図的にヴァンピールを作り出して解き放っているってこと?



「愉快犯なのか、何か目的があるのか。分からないけど、とにかく実際にヴァンピールは現れた」



 だから、ハンター協会はこの街からヴァンピールが出ないよう囲い込み、現れたら対処できるように櫂人たち《朱闇会》の協力も取り付けたんだそうだ。



「つまり、その犯罪予告をしてきた吸血鬼を捕まえない限り安全はないんだ」


「そんな……」



 また、あんな人ではなくなったものが現れるっていうの?


 人間だった人があんな風にされてしまうの?


 終わっていないということにまた恐怖が蘇って、知らず体が震えた。


 すると櫂人の手が伸びてきて、ちょん、と頬に触れる。


 見ると、眉尻を下げた申し訳なさそうな顔があった。



「……悪い、食事中に話す内容じゃなかったな」


「……ううん、また同じようなことにならない様にって話してくれたんでしょう? ありがとう」



 伸ばされた手を取って、しっかりと頬に当てる。


 櫂人の大きな手のぬくもりを感じたら、ホッと落ち着けた。


 櫂人がそばにいてくれれば怖くない。


 でも、櫂人がいなければ……。



「ねぇ、櫂人?」


「ん? なんだ?」



 櫂人がいないとまた怖くて震えてしまいそうだと思った私は、少しためらったけれどお願いをした。



「その……真人さん、明日じゃないと帰って来なくて……今日帰っても私一人なの」


「……」


「だから、まだ一人だと怖いし……今日もここに泊まって良い?」



 少し前にその真人さんの許可がなければ一緒に住めないと言ったばかりなのに、と何だかちょっと気まずい気分で頼む。


 でもそんな私の気まずさは杞憂きゆうだったらしい。


 フッと優しく笑うような音が聞こえて視線を上げると、優しさを通り越して甘ったるい微笑みが見えた。


 その表情は妖しさも含んでいて何だか少しつやっぽい。



「良いに決まってる。……てか、むしろ俺としては嬉しいんだけど?」


「っ!」


「今晩も、お前を俺の腕に閉じ込めておけるってことだろ?」


「っ! い、言い方!」



 本当に一人になりたくないというだけだったのに、櫂人の言葉とその色気は昨夜の甘いひと時を思い出させる。



「もう! 朝から何言ってるのよ!」


「その朝から誘うような事言ったのは恋華だろ?……ああ、顔真っ赤。可愛い。今すげぇキスしたい。テーブル邪魔」


「っ⁉ だからぁ!」



 甘い言葉の羅列も始まり、私は朝からドキドキして櫂人の色気に当てられ疲れ果てることとなった。


***


 怖い話もあったけれど、最終的に甘いだけの雰囲気になった朝食を終えた私はバスルームの方で制服に着替えていた。


 いくら室内とはいえずっと櫂人のTシャツ一枚というわけにはいかない。


 それに今日も泊まるなら着替えは必要だから、一端マンションに戻って取って来ないと。



「んー、やっぱりこの制服はクリーニングに出した方がいいかなぁ?」



 着換えて洗面台の鏡で確認しながら呟いた。


 改めて見るとセーラー服の白い部分が結構汚れている。


 昨日あれだけアスファルトに打ち付けられたんだ、当然か。


 何にせよ今はこれしか着て出る服がない。


 私は諦めて身だしなみの最終チェックをする。


 パタパタと手を動かして、あれ? といつもと違うことに気付いた。



「あれ? 薬が……ない?」



 さぁ、と血の気が引いてもう一度パタパタと確認してみる。


 ポケットに手を突っ込んだり中をひっくり返してもない。



「ウソ……」



 呆然としてそれ以上言葉が出てこない。


 大事な薬。たった一つしかない、私だけの薬だと聞いていた。


 絶対に無くしてはいけないものなのに……。



「っ!」



 諦めちゃダメだ。考えなきゃ。


 まずは着替えた拍子に落ちていないかと辺りを見回す。


 でも無くて、どんどん気は焦る。


 別の部屋にあるかもしれないと、私は櫂人がいるリビングに向かった。



「恋華? どうした? 顔色が悪いぞ?」



 私の様子にすぐ気付いた櫂人は心配そうにそばに来てくれる。



「櫂人……どうしよう、薬がなくて……」


「薬って……万が一のときに飲むっていう薬か?」


「うん。いつも持ち歩くようにしてて……制服のスカートのポケットに入れておいたはずなんだけれど……」


「分かった、俺も探す。どんな薬なんだ?」



 深刻さを察してか、櫂人はすぐに手伝いを申し出てくれた。



「ありがとう。小指の先くらいの大きさで、赤い宝石みたいな薬なの。バラの形をしていて、いつもは小さな小瓶に入れて持ち歩いてるんだけど……」


「バラの形? 珍しいな……まあ分かった。まずは家の中を探してみよう」



 そうして二人で手分けして探す。


 でも、私が制服姿でうろついていた辺りを重点的に探したけれどやっぱりなくて……。



「どうしよう、どうしよう⁉」


「恋華?」


「絶対に無くしちゃダメだって言われてるのに!」


「恋華、落ち着けっ」



 動揺する私を櫂人はきつく抱きしめる。


 そのままポンポンと背中を軽く叩かれた。



「落ち着いてよく思い出せ。その薬、最後に見たのはいつだ?」


「最後に……学校では、あったはず……」



 櫂人の腕の中で少し落ち着きを取り戻した私は、言われて記憶を掘り起こす。


 学校で体育の授業のとき着替えたから、そのときは確かに確認した。


 それから今までの間ということ。


 一番考えられるのはヴァンピールに襲われたとき。



「……あのときか」



 私の話を聞いた櫂人も察したみたいだ。


 やっぱり、あのときが一番怪しい。


 でも、昨日の今日でまたあの場所に行くのは……いやでも、薬は早く見つけ出さないとならないし。


 うんうん唸って葛藤していると、「……人手がいるな」という櫂人の呟きが聞こえてきた。



「今日はゆっくりする予定だったが、緊急事態だからな」



 私を離した櫂人は、スマホを取り出して誰かに電話を掛け始めた。


 スマホを耳に当て、相手が電話に出る前に私に「大丈夫だ」と告げる。



「《朱闇会》のすべてを使って、薬を探し出してみせる」


「え?」



 どういうこと? と頭の中に疑問符を浮かべていると、電話の相手が出たらしい。



「湊、悪いけど早急に恋華の顔見せをする。みんなにやってもらいたいことがあるんだ」

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