貝が導く再会④

「で、でもさっき警戒した私を奥に連れて行かなかったよね? そのつもりはなかったからなんじゃないの?」


「いや、お互いの気持ちも確認してないのにいきなり連れ込むのは違うかな、と思っただけなんだが」


「ええぇ……?」


「なんだよ、嫌なのか?」


「嫌っていうか……」



 改めて聞かれれば、嫌ではない。


 さっきから何度も触れる唇は心地よくて、求められてドキドキする。


 その先はどうなってしまうんだろうって、不安とはまた違った思いが湧いてきたのも事実だった。



「でも、心の準備というか……その……」


「……」



 ためらう私を無言で見つめた櫂人は、静かに腕を離す。


 面倒だとでも思われてしまったのかと不安になったけれど、櫂人はすぐに先程合わせた二枚の貝殻を手に取った。



「……この貝合わせ、何が書かれているか分かるか?」


「え?」



 突然の話題転換についていけなくて不思議そうに瞬きすると、貝殻の内側、絵が描かれている方を見せて説明してくれた。



「達筆すぎて読めないかもしれないが、万葉集にある詠み人知らずの歌らしい」



 絵とは違って美しく書かれていた文字。


 何となく短歌かなと思っていたけれど、万葉集にある歌だったんだ。



たまくしげけまくしき可惜夜あたらよ衣手離ころもでか れてひとりかもむ」



 二枚に分かれて書かれた文字。


 読めるのか、元々覚えていたのかは分からないけれど、櫂人はなめらかに歌う。


 その声はよどみなくて、まるで昔の貴族が歌っているような……そんな雅さがあった。


 つい、聞き惚れてしまう。



「意味は、明けてゆくのがもったいないような良い夜に、お前と遠く離れて一人で寝ないといけないのだろうか……」


「それ……」



 櫂人は貝殻をローテーブルに置きなおし、私を真っ直ぐに見る。


 その視線は怖いくらい真剣で、黒い瞳には熱が宿っていた。


 櫂人の右手が伸ばされ、私の頬を撫でる。



「なあ、恋華? 十二年ぶりの再会を果たせたこんな素晴らしい夜に、俺は愛しいお前と離れて一人で寝ないとならないのか?」


「それは……ズルイよ」



 そんな言い方をされたら、強く拒めない。


 初恋の人。再会して、また好きになった人。


 そんな人に離れたくないと言われたら、私もだって言ってしまいたくなる。


 私だって、本当は離れたくないと思っているから。


 それでも会ったばかりで……恋人になったばかりでいきなりそういうことをするのは、カラダ目当てみたいになってしまうんじゃないかとか考えてしまったりしたから。


 だから、今日の所は帰ろうとしていたのに……。



 こんな夜に一人で寝たくないと思っているのは私もだ。


 櫂人と離れたくないということもあるけれど、さっきヴァンピールに襲われたときの恐怖。


 夜一人でいたら、あの瞬間のことを思い出してしまうかもしれないから。


 真人さんがいれば、彼はきっと何も聞かず寄り添ってくれる。


 でも今夜真人さんは帰って来ない。


 夜の不安は確かにあった。



 ……もしかして、そういう意味でも離したくないと言ってくれているのかな?


 それは聞かなければ分からないことだったけれど、欲を宿らせるその瞳には確かに愛があった。



「一目惚れして再会を願っていた女が俺の“唯一”だったとか……運命としか思えねぇよ。恋華、お前が欲しくて欲しくてたまらない」


「っ!」


「帰るなよ」


「……うん」



 色々理由をつけたけれど、結局のところは私も一人になりたくなかった。


 櫂人と一緒にいたいと思っているんだ。


 好きな人に一人にしないで欲しいと言われたら、くっつけただけの理由なんて簡単にはがれてしまった。



「恋華……俺のお姫様。お前の全部が、知りたい」


「櫂人……んっ」



 望みを口にする櫂人に、私も同じ気持ちだと言おうと思った。


 でもすぐに塞がれた唇は言葉を紡ぐのを許してはくれず、キスは深くなるばかり。


 このまま抱かれそうな雰囲気に、私は慌てて櫂人を止めた。



「ちょっ、まって。その前にシャワー浴びたいんだけど」


「……待てない」



 胸を押して離れた私に、不満そうな声が掛かる。


 見上げると、拗ねたような表情があった。


 素の表情っぽくて、思わずキュンとする。


 でもシャワーは浴びたい。


 路地裏で何度もアスファルトに倒れたし、治してもらったとはいえケガもした。


 絶対に汚れてる。



「それにその……お腹も空いて来たし……」



 そう言うと、丁度タイミングを見計らったようにくぅ、と私のお腹が鳴る。



「……」


「ふはっ、まあ、確かに腹は減ったな」



 笑われてしまった。


 恥ずかしかったけれど、ある意味タイミングは良かったのかもしれない。


 いたしている最中に鳴ったらもっと恥ずかしいし気まずかっただろうから。


 何より、櫂人が今このままするのを諦めてくれたみたいだったから。


 だから、うん。一先ずは良かった。


 そういうことにして、私はお腹が鳴った恥ずかしさを誤魔化した。

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