遭遇②

「っきゃあ!」



 引かれる勢いのまま投げられ、私は地面に叩きつけられる。


 アスファルトにこすられてかなり痛かったけれど、今はその痛みに耐える時間すら惜しかった。


 きっと、必死で痛みもマヒしていたんだと思う。


 私はすぐに立ち上がって、とにかく捕まらない様にと逃げた。


 でも、そうして進んだ先はさっき《あれ》が人を襲っていた場所。


 つきあたりは空のビールケースや段ボールが乱雑に置かれている行き止まりだった。



「っ!」



 逃げ場がないことに顔を歪めて、振り返る。


 《それ》も私が逃げられないことは分かっているんだろう。


 通せんぼするように狭い路地に立ち、私をその赤い目で見つめていた。



 中肉中背の、どこにでもいそうな普通の男性の姿をしている。


 でも髪も黒くてアルビノというわけでもないのに、赤く光る目はかなり異様だ。


 何より、その目は飢えた獣のようなものに見える。


 正直、人間とは思えない。


 人の生き血を吸う化け物――まるで吸血鬼だ。



「うっうう……」



 足元からうめき声が聞こえてハッとする。


 さっき、目の前の《あれ》に襲われて血を吸われていた女性だ。


 暗くてよく見えなかったけれど、まだ生きているのは確か。


 生きているなら、助けたい。


 でもこの状態で私が彼女を連れて行くことは無理だから、やっぱり何とかして逃げ切って助けを呼んでこないと。



 目の前にいる人の形をしたモノは、口元を血で汚したままゆっくり近付いてきた。


 その様子はやっぱり人というより獣の様で、言葉が通じるとは思えない。


 とにかくこれ以上近付かれない様にして、なんとか向こう側に行かないと……。


 とんだ無理ゲー状態だけれど、だからって諦めることは出来ない。


 私と、襲われていた女性の命がかかっているんだから。



 何とか隙を作って《あれ》の横を通り抜けるしかない。


 そう判断した私は近くにあるビールケースを掴み投げつけた。


 ガンッ


 大して飛ばせなくて当たることもなくアスファルトに落ちたけれど、近付く邪魔にはなっているみたい。


 他に出来ることも無かったから、私はまたビールケースを投げつけた。


 今度は腕に当たったけれど、それで怒りを買ってしまったのかもしれない。


 ギロリと睨まれてしまう。



 マズイ!



 瞬時に危険を感じ取って、また投げつけようとビールケースがある辺りを探ったときだった。



 っ! これは……!



「があぁ!」



 怒りか苛立ちか。


 わずらわしそうに唸り声を上げたそれが素早い動きで近付いてきた。



「いやぁ!」



 私は叫び、とっさに掴んでいたものを振り《それ》に叩きつける。



「ぐっ」



 硬いものではないからダメージなんて無かっただろうけれど、そのまま捕まることだけは避けられたみたい。


 その隙を突いて、私は自分の鞄を持ったまま《それ》の横をすり抜けた。


 どうやら鞄はここに隠されていたらしい。


 良かったのか悪かったのか分からないけれど、とにかく手元に戻って来て良かった。



 路地を走り、先ほど私が投げたビールケースを掴むと女性に当たらない様にだけ気を付けてまた《それ》に投げつける。


 このまま走っても、さっきは結局追いつかれてしまったんだ。


 何か少しでも足止めになるようなことをしないと。


 でも、私のその判断は間違っていたらしい。


 《それ》は私が逃げそうだと判断したのか、投げたビールケースをものともせずに突進してくる。



「あっ! きゃあっ!」


 そのまま押し倒され、圧し掛かられる。


 もうどうすることも出来ない状況に、恐怖で体が強張った。



 獣のような赤い目に喜びが宿るのが見え、赤く染まった口元がニヤリと歪められる。


 その口がグワッと開かれ長い犬歯が見えた途端、咬まれる! と痛みを覚悟した。



 バサッ



 でも、覚悟した痛みが来る前に黒が見えた。


 まるで天空の月から闇のしずくが落ちてきたように、美しい黒が落ちてくる。


 その黒は私たちのすぐそばに降り立つと、私にのしかかっていた《それ》の襟首を片手で掴み持ち上げ、アスファルトに投げつけた。



「ぐあっ⁉」



 遮る《それ》が無くなって、その黒の姿が良く見える。


 半月の僅かな月明りの下、全身黒で包まれた彼はとても美しく見えた。


 両耳にあるシルバーのリングピアスだけが月の光に反射してきらめいている。


 ああ……やっぱり、彼には闇が似合う。


 惹かれるままに思い、その名を口にした。



「櫂人、先輩……」

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