12.発覚

 天野との鎌倉デートは長谷寺に行った。紫陽花はもう終わりの時期で、暑さのせいもあり、参拝客は少なかった。凪のリクエスト通り、二人は手を繋いで境内を散策した。終わりかけの紫陽花も辺りを一望できる見晴台にも登ったが、一番心に残っているのは指を絡めた天野の骨ばった手だった。熱くて少し湿っていて、力強くそっと握りしめる天野の手。

 その後大仏も見たし、由比ガ浜にも行った。鎌倉に行って色々教えて欲しいなどと天野は言っていた。だけど凪は鎌倉幕府のことも大仏の成り立ちも何も話していない。お互いのことを話して、手を繋いで歩いて、最後は抱き合っただけだ。


 会社のトイレの鏡で、凪は自分の顔をまじまじと見つめる。少しエラの張った顔にショートボブの四十の自分の顔。化粧品は変えていないのに、最近は肌に張りもあるし化粧のノリもいい。恋一つでこんなに変わるものか、と自分の現金さについつい笑みを浮かべてしまう。

 七年ぶりの恋愛だ。天野とこの先どうなるか、それは分からないが一緒にいて楽しい。なにより、心も体も満たされていた。


 昼休みを知らせるチャイムが鳴る。凪はトイレから出て階段に向かった。

「あれ胡桃沢、昼は? 外出すんの?」

 同期で部長補佐の相原が、軽く手を上げて話しかけてきた。ここは三階、社食は十二階だ。健康診断で運動不足をよほど怒られた者か、山登りをする人間しか階段を使って食堂に行こうとは思わない。

「ん、ちょっと外で食べるの」

 相原が昼を一緒に食べようと誘いたがっているのは察したが、敢えて短い言葉でそれを振り切った。昨日の夜も天野と会った。それを思い出すと、つい顔の筋肉が緩みそうになってしまう。そんな顔を相原に見せたくないし、そもそもこんな気持ちの時に今更相原の顔を見る気分でもない。


 外に出た途端、熱せられた空気がもわっと凪を襲った。空からは容赦なくかんかんと照りつける日差しが、凪の肌を突き刺してくる。日傘を持って来なかったことを後悔しつつ、手を広げて日差しを遮る。今日は天野と出会った定食屋ではなく、近くの店に行こうと小走りでアスファルトの道路の上を進んだ。

 通りの向こうに目指すイタリアンがある。信号を待っている時だった。凪の隣に青い作業服の男性二人が並んだのは。あっと声を出しそうになり、慌てて口を押える。二人は天野と同じ作業着だった。胸の刺繍をさりげなく確認する。なにが書いているか分からないが、刺繍はオレンジ色だ。天野と同じ外装業者の人たちだろうか。ちらちらと視線を送るが、当然彼らは凪の存在を知らない。こちらに何も気を配らず、話を続けている。


「でもさ、天野も大変だよな」


 突然天野の名前が出て、凪は目を丸くする。彼らの方を振り返りたい衝動をこらえ、全神経を耳に集中する。

 天野って、天野のことだろうか。あちこちいる名字とも思えない。そんなことを思っていた凪に、彼らは信じられない言葉を口にした。

 

「嫁さんと子どもたち、今朝からインフルだって? 当分出社できないよな」

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