六 ラボ

 ここが僕のラボさ! と自慢げに通された部屋には、とにかく端から端まで何かわからないものばかりが並んでいた。


「ゲノム編集するとこ、見たい?」

「なんだそれは」

「遺伝子を切り貼りして、生き物の性質を自由にデザインするのさ」

「は?」

「切り貼りっていったって、もちろんハサミとピンセットってわけじゃないよ。遺伝子を切り離すための酵素を注入して」

「……それで、あのカビをどうにかしたって話か?」

「そうそう。突然変異個体を人工的に作り出した感じかな」

「想像もつかないが、これ以上なく業が深いというのはわかる」

「神官さんの意見だねえ」


 なぜか嬉しそうににんまりした玻璃は、顕微鏡とかいう超高性能の拡大鏡をイーレンに覗かせながら、「僕と博士はね、主に発電の研究をしてるんだ」と誇らしげに言った。


「業が深いでも、罰当たりでも何でも言えばいいさ。僕たちは神のみわざに届かんとするその技術力で生き残ってきた。その所業で天国行きになるか地獄行きになるかは神様次第かもだけど、それでも僕は胸を張って審判に臨めるよ」


 少しも気を悪くしていない、ごくほがらかな調子でそう言われ、イーレンは恥じ入った。


「……悪かった」

「いいえ。価値観の相違があってこそ異文化交流が新たな発明を生みますから」


 にっこり笑った玻璃は、まあ時折変な目つきはしているが、根本的なところでは真っ直ぐな少年なのだろう。自分の仕事に一途で、それ以外のところでは非常にさっぱりしている。人間関係なぞに興味はないというように見えなくもないが、情の厚さとはまた違った気持ちのよさがある。端的に言えば、話していて楽である。


 彼はそれから、ゲノム編集とかいう意味不明な技術の実演をしながら、電気の重要性についてイーレンに語って聞かせた。


 はじめは地底の国で酸素を得るため、その酸素をシェルター内に行き渡らせるために電気が必要だった。それから次には、光のために。しかし古代のような大規模な「発電所」は作れない。仮に作れたとしても、そこに少しでも鉄合金が使われている限り竜を呼ぶ。故に人類は、泥の力を利用することを思いついた。


「はじめのころはたくさん失敗したらしい。いくつも『爆発』でシェルターをダメにして、試行錯誤を繰り返して今がある──でも、この生活だっていつ破綻するかわからない。食堂の肉が森から狩ってきたジビエじゃないって知ってたかい? 牛、豚、鶏といった古代の家畜の、肉だけ培養してるんだ。本体はとっくの昔に一頭もいなくなってる。そんなのおかしいだろ?」

「肉だけ……培養?」

「あとで見せてあげようね。最高に『業が深い』から覚悟しとくといい」


 そんなへんてこなものばかり食べることになっても、危険な森での狩猟生活よりはずっとマシだ。人類はそう選択した。けれど、そんな歪な生活はきっといつか、どこかで綻びが出る。そのために研究し続けるのだと、玻璃は言った。


「何かが起きたときのために、僕らは進み続けていないといけない。行き詰まってしまったとき、潤沢なエネルギーがあれば選択肢は大きく広がる。熱と光と強力な武器があれば、暗黒の世界に放り出されても生き残れるかもしれない。僕らは結局……千年の時が経っても、森を滅ぼす最良の案を見出せてないんだから」


 その言葉に、イーレンは眉を上げた。この多層森林を一掃して地上を取り戻すというのは、上層の民のほとんどがもち合わせている悲願である。それが、これだけ高度な地上の技術をもってしても不可能だというなら、その話は聞いておきたかった。


「君たちは、森との共存を選択したのかと思っていた」

「まさか。叶うなら無くなってほしいさ、こんな森。でも、難しいんだなこれが」


 ひとつの森をなにもない荒野に変えたければ、まず考えられるのは「焼き払う」という選択肢である。しかし、この下層には森を燃やせるだけの酸素がない。その上、この森の主要な骨格を形成しているのは非常に燃えにくく、硬く、重い、ガラの木である。並の火力では表面のキノコが焦げるだけ。ごうごうと燃やせば地面の下のシェルターが蒸し焼き。伐り倒す刃物は太い幹の半分にも到達しないうちに切れ味が落ちてくる。そしてその難関を突破した先にあるのは、天まで積み上がる量の瓦礫が降ってくる未来。


「日本じゅうの瓦礫を片付けて回るなんて現実的じゃないし、例えばこの森すべてを枯らすような除草剤を開発するとか、核の力で全てを塵になるまで吹っ飛ばすとか、強引に破壊すればそれこそ本当の終末の時がやってくるだけだ」


 だから僕らは、いつか森が泥の力を使い尽くし、少しずつ元の姿に戻ってゆくのを期待するしかない。けれど、竜の子孫は今もこの森で増え続けている。竜が死ねば新たな泥が生まれ、新たな森林が育つばかり──


「話がそれちゃったけど。イーレン、君はその絶望のサイクルに光を当てるかもしれない。僕と博士はそう思ってる。今の話を聞けは、歌で竜を操れるというのがどのくらいすごいことなのかわかるだろ?」


 だから研究させておくれ、と玻璃の目つきがまたもや小鳥を狙う猫のようになってきた、そのときのことだ。バン! とどこかで何かが破裂したような音がして、突然部屋が真っ暗になった。


「何だ」


 ユゥラ、ととっさに思って手探りに部屋を飛び出そうとしたイーレンへ「待って! 落ち着いて」と玻璃の声がかけられた。


「大丈夫。空調システムは別電源だし、そっちは動いてる音がする。すぐ非常電源に切り替わるから」


 そう彼が言ったのとほとんど同時に、足元に小さな青白い光が灯った。が、部屋の外、あちこちから複数の悲鳴が聞こえてくる。そのなかにユゥラの悲鳴が紛れていないかイーレンは耳を澄まし、ひと安心して、慎重に薄闇のなかを移動し始めた。


「ちょっと、どこ行く気?」

「ユゥラを探してくる」


 そう言うと、玻璃は「おお、イケメン」と知らない単語をつぶやいて、下からぼんやり照らされた不気味な顔でニヤッと笑った。


「そうだね、先に合流しようか。それで、みんなで元凶を見に行こう」

「元凶?」


 何が起きているのか君にはわかっているのか。そう視線で問うと、玻璃は呆れるような面白がるような微妙な笑顔を浮かべて答えた。


「これ、たぶん博士だから」

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