五 もこもこ発電
今朝の汁物には白いぶよぶよがたくさん入っていた。
玻璃はこれを嫌っているらしく、大半は顔をしかめて口に入れたが、限界を迎えたのか「多すぎじゃない?」とつぶやいて途中で箸を置いた。碗のなかにぶよぶよが三つほど取り残されているのを見て、翡翠が「あ、こらまた」と怒ったように、しかしなぜかほんの少し嬉しそうに指摘する。
「もう五個も食べたって」
「キノコは食物繊維豊富なんだから」
はい、食べて。と言いながら翡翠はキノコだったことが判明したぶよぶよを自分の箸でつまみ上げ、玻璃の口に押し込んだ。瞳がキラキラしていて、頬が上気している。意外に世話好きなのだな、と思いながらイーレンは自分の皿のなかのぶよぶよに目を落とした。言われてみれば確かに、キノコらしきひだのようなものが見える、気がする。
「はい、噛んで、飲んで」
「ねえ、繊維はシイタケじゃなくても取れるって」
「椎茸……?」
どこらへんが? とイーレンは改めて箸で持ち上げたそれをまじまじと観察した。真っ白で、ぶよぶよしていて、味も香りも曖昧である。限界まで出汁を取った残りかすなのだろうか? その割には汁にも塩以外の味がない。
「大きいから、大味なのでしょうか」
ユゥラがぽつりと言った。「大きいって?」と訊けば、彼女は「笠の大きさがこのくらいあるのだそうです」と両腕をかなりの大きさに開いてみせた。
「昨夜、翡翠に図鑑を見せてもらいました」
「それ、本当に椎茸なのか?」
「先祖だという古代椎茸の『写真』は、上層のものとほとんど同じに見えました」
「進化した先にこうなったんだとしたら、もう別種だろう……」
盆を返しがてら厨房を覗き込むと、料理人らしき数人の男女がじゃぶじゃぶと豊富な水で食器を洗っていた。もったいない、と思ってしまうが、それだけ水が豊かなのだろう。
「『川』や『湖』って、この近くにあるのか? 『海』でもいい」
できれば一目見てみたい。ユゥラもそう思ったのか、水のような目をきらりとさせて玻璃を見つめた。
「ないことはないけど、ここからは結構離れてるな。古代ほどそこらじゅうに川が流れてるわけじゃないんだ。雨が降る場所がほとんどないからね」
それこそ竜の開けた穴の下や、層が比較的薄くて雨が染み出してくる場所、苔の少ない地域など、雨の日に水が滴ってくる場所は限られている。それゆえに川の流れもずいぶん変わってしまっているし、生活用水は基本的に地下水だ。
そう教えられてイーレンががっかりしていると、ユゥラが不思議そうに言った。
「雨が降らなくても、地下水は枯渇しないのですか?」
「雨量自体は変わらず豊富だから、どこかで補充されてるんだろう。あまり広範囲に調査を入れられないからなんとも言えないけど──それも、イーレンの協力があれば可能になるかもしれないね」
にや、と笑った玻璃の瞳が獲物を見つけた猫のように黒々としている。変化が急激すぎるらしい自分の表情よりもよほど変だと思うのはイーレンだけだろうか。
すぐにでも神韻詠唱の研究をさせろと言い出すかと思ったが、玻璃は昨夜の約束を忘れていなかったらしい。朝食後はシェルター内の「発電施設」なるものを案内してもらえることになった。ユゥラと翡翠は同行するようだが、瑠璃は何か用事があるらしく、そこで解散になった。
「発電施設と、それから空調設備も見ていくといい。素人でもけっこう面白いと思うよ」
玻璃はそう言ってシェルターの奥、昨日博士が帰っていった方の廊下へ続く扉のカメラを覗き込んだ。「認証しました」と優しげな声でソラが告げ、引き戸、ではなく「ドア」が開く。
「居住区のシェルターの方はこんなドアじゃないよ、因みに。普通にガチャって開けるやつ。ここがこんな風になってるのは、科学者のロマンさ」
「……というと?」
「かっこいいでしょ、バイオメトリクスで開く自動ドア。かっこいいロストテクノロジーは再現したくなるでしょ。AIアシスタントがしゃべると尚いいでしょう」
イーレンとて上層の民として、古代の叡智に多少なりとも憧れはある。彼の言うことはわかる気もするが、それで実際に再現してしまったとなると、共感よりも畏怖がまさった。リノリウムというこの植物素材の床材も、上では見たことのない不思議な質感だ。作務衣姿の職人が塗って研いで、という漆塗りの社の床とは、根本的に違う工程を踏んで作られているように思える。
「ほら、あそこ。ガラス張りの」
玻璃が指差す先には、透明な壁があった。「
「これは……カビ?」
「そうだね。より細かく言うなら、発電菌のコロニーさ」
ガラス窓の向こうでは、広々とした部屋の床一面に真っ白なカビ畑が広がっていた。もこもことあちこちで山を作り、壁を登り、そして見間違いでなければ、沸騰する水のようにぼこぼこと動いているように見える。
「
彼らが放出する大量の電子を、泥の中に埋められた電極が拾い上げて電気に変えるんだ。玻璃は今までで一番得意げな顔をしてそう語った。申し訳ないが、何の話なのかちっともわからない。
「このシェルターの電力は、全てこの子たちが作り出してるんだ。もともとはここまで強い電力を得られる発電システムじゃなかったんだけど、これはいわば『小さな森林爆発』だからね。バイオテクノロジーについては終末後の方がずっと進んでるんじゃないかな」
「小さな森林爆発」
そんなとんでもない方法で雷の力を生み出すなんて、いったい何を食べたら思いつくのだろう。あの白いぶよぶよ椎茸だろうか。とてもカビとは思えない、粘菌でも激しすぎる動きでもこもこしているシュワネラなんとかから目をそらせずにいると、玻璃は「それでこっちはね」とイーレンの腕を掴んで隣のガラス窓の前にぐいぐい引きずっていった。
「……これは」
イーレンが目を丸くすると、玻璃はふふんと顎を上げ、瑠璃そっくりの笑みで「すごいだろう」と言った。
「こっちは同じ泥槽に太陽光ライトを当てて、葉緑素をもった植物を育ててる。ここで作られた酸素がダクトを通ってシェルター全体に運ばれてるんだ」
「綺麗だな」
「でしょう」
そこにあったのは、色とりどりに光る花畑だった。早朝だからか、やわらかい朝日のような照明にてらされて、花も葉も、ヒカリゴケのようにふんわりとした淡い光を放っている。青、紫、白、そして緑。上層の元気いっぱいな花々とは違う、繊細で幻想的な色合いである。ユゥラが好きそうだな、と目を向ければ、案の定彼女は窓に両手を当ててうっとりと見とれていた。
「このお花が載っている図鑑はありますか?」
そうささやくユゥラに、翡翠が微笑んだ。
「あると思うよ。デジタルでよければ」
「また、タブレットで見せてくれますか?」
「もちろん」
「楽しみです」
「中に入ってみる?」
「いいんですか?」
「菌の方はダメだけど、こっちなら大丈夫」
ぱあっと光差すような笑顔を浮かべたユゥラをイーレンはぼうっとなって見つめたが、すぐに「ねえねえ」と玻璃が肩をつついて邪魔してくる。
「興味あるならさ、僕のラボも見せてあげるよ。発電菌の発電量をどうやって上げてるのか、気になるでしょ?」
「……ああ、うん。でも」
「そこのドアだよ!」
それよりもユゥラと一緒に花畑に入りたい。そう口に出す前に、イーレンは目を爛々とさせた玻璃に腕を引っ張られ、廊下を引きずられていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。