三 おやつ

「使者に選ばれることよりも、まずはどうやって上まで行くかってところでしょ。きちんとプロジェクトを組んでプレゼンすれば、博士はダメって言わないんじゃないかな」


 玻璃が謎の白いぶよぶよをまずそうに噛みながら言った。彼は汁物をすすってイーレンの方へ片眉を上げ、呆れと尊敬の入り混じった複雑な目配せをした。


「博士は簡単に『人をやっておく』なんて言うけど、あの人の『できる』は一切信用しちゃだめだ。あの人の辞書に不可能という言葉はないから」


 科学の力があればなんでもできると思ってるんだ。本気で。銀河の外までワープしたいとか言っても「開発しておこう」って言うからね。何食わぬ顔で。

 玻璃の言葉に、瑠璃が深いため息をつきながら幾度もうなずいている。「銀河の外までワープ」が何かは予想がつかなかったが、突拍子もないことであるという意味合いはわかる。


 瑠璃がもういちど大きなため息をついて言った。


「あそこを竜が通ってからもう半月経ってるんだ、いいかげん匂いも消えてる。見張り制にしたとしても、そもそも森の中で飯炊いて眠るってのがさ、正直現実的じゃねえよ。博士にはなんか策があるのかな。あるなら絶対行きたい」

「どうだろうね。どちらにしろ、あの人がそれを口に出す前に『最適解』を叩きつけるのが重要だ。特に僕はフィジカル面で著しく君たちに劣るからね。プロジェクト主導者としてゴリ押しでもしないとなかなか」

「……玻璃、まさかお前も上層に行こうとしてる?」

「そりゃもちろん」


 当然でしょう、といった顔の玻璃は眉を寄せて何か言おうとした瑠璃を遮り「まずは手始めにイーレンの声紋を分析するところからだろうね」と言った。


「だからイーレン、君が『博士よりも先に』僕の研究に協力してくれるとありがたいんだけど。そうしたら確実に先手を取れるだろう? ね、ほら、傷の手当てをしてあげた恩を返そうって気はないかい?」

「いやいや、それでいいの? シェルターの周りで流してる竜の威嚇音は、そこまで如実な効果はないよ。野生動物はそれ以上に飢えてるから。私たち『フィールドワーク組』だって装備としては採用してないし」


 翡翠がすかさず言う。彼女は食卓を見回して全員が食べ終わっていることを確認すると、「談話室に移動しようか」と言い添えた。同意した面々は厨房へ盆を返却し、勝手に開く扉を通って食堂を出る。一歩踏み出した瞬間に廊下の向こうまでずらりと灯りがともった。予想はしていたものの、思わず立ち止まって天井を見上げたイーレンたちに対し、玻璃たちは気にも留めない様子で議論を続けている。内容の八割がたが理解できない単語や言い回しで構成されていて、イーレンはただ話し手を目で追ってキョロキョロするしかできない。


「外のあれは遠くから録音したものを質の悪い屋外用スピーカーで再生してるだけだろ? 最低限、その音声とイーレンの歌の波長を比較することすらしなかったとしたら、そいつは大馬鹿者だよ」

「仮にそれが有用だったとして、電源はどうするのよ。バッテリーが切れたら終わりじゃない」

「その程度。小型の発電槽を組み込めばいいし、上に行けば行くほどソーラー発電も効くんじゃないかな」

「なあ、そんなことよりイーレン連れてったほうが確実じゃね? 気心の知れてるあたしらが護衛につく。玻璃はまあ、なんかあったときの医師として同行する。それで解決」

「そうやってイーレンたちを上へ送り届けたとして、それ、帰路はどうするんだい? 上層との交渉がうまく行けば、彼らは帰る場所を取り戻すことになるけど」

「あ」


 口を半開きにしてユゥラの方を振り返った瑠璃の顔が明らかに寂しそうで、もうそんなに情が湧いたのか、とイーレンは笑いそうになった。


「……君たちみたいな人間が上層にいてくれたら、あんな儀式は生まれなかったかもしれないな」


 不可能を可能にするため、未知の存在を恐れず分析する。建設的な意見を次々に交わす。伝統と信仰に満ちた空気だけを吸って育ったイーレンには、それがとても不思議で、そして悔しかった。何かもっと、見方を変えればできたことがあったのではないか。自分には十年もの時間があったのに。そう考えを巡らせては、何も浮かんでこない己の頭脳の底の浅さに落胆する。


「ガラの鉄分か……竜がそんなものを求めてるなんて、考えてもみなかった。地上にはたくさんあるものだと思っていたから」


 談話室の長椅子に腰掛け、つぶやくようにイーレンは言った。玻璃はやはり、打てば響くように「いや、そう考えるのは至極妥当だと思う」と意見を返してくる。


「土壌にミネラル分が豊富なのは事実だし、竜は鉄樹、っていうのはこっちでのガラの木の呼び名だけど、その幹に牙で傷をつけて、樹液を舐めて鉄を摂取してる。食事としてはそれで充分なはずだよ。ちょこっと実を齧ったくらいで十年分の鉄を補給してるなんて、それこそありえない」

「……だが、博士は」

「うん、博士の言うことも間違ってない。多量の鉄分を必要とする竜は、鉄を多く含む食物を特に好んでいるはずだ。君の話だと、どうやらガラで鉄分が一番多いのは果実みたいだから。というか、鉄のように硬い殻を作るために地中から鉄分を吸い上げてるのかもね」

「つまり」


 そう言ったきり絶句したイーレンを見て、「つまりね」と続きを話そうとしていた玻璃は口をつぐんだ。徐々に気まずそうな顔になり、翡翠に「やっちゃったかな」と耳打ちしている。


「そうだね」

 翡翠が言った。ユゥラがそっと手を伸ばし、イーレンの指先に指先を触れさせた。その手を握ろうとして、今は握りつぶしてしまいそうだと入れかけた力を抜く。

「イーレン、私は気にしません」

「……うん」


 つまり竜にとって、花嫁は十年に一度のおいしいおやつだったってことか。


 なにか高尚な理由があるとも思っていなかったが、改めて突きつけられると、古傷を錆びた刃物で抉られるような心地になる。


「エナ姉さんは、一体なんのために」

 震える声で小さくこぼすと、玻璃が「誰?」と小声でユゥラに問う。

「先代の花嫁です」

「あちゃぁ……そっちも知り合いだったのか」


「やっちまったな、玻璃」

 瑠璃が半眼で言い、ぽりぽりと頭をかきながら片割れの尻拭いを試みた。


「まあ、しんどいよな……でもまあ、自然ってのは総じて理不尽なもんだから、じゃなくて! そう、そのエナ姉さんの犠牲はちゃんと意味をなしてたってのを忘れちゃいけないぜ? 竜はそれで満足して里を荒らさず地上に帰ったんだから」


 イーレンは力なく首を振った。

「エナ姉さんが浮かばれないとか、そういうことじゃない、と思う。ただ、彼女を殺した里の人間が余計に醜く見える気がして、悲しいんだ。五人の花嫁を送ったという元神官の師を、俺は人として慕ってたから──ガラの実を積んでおけばそれでよかったなんて、あんまりだ。俺たちは、なんてばかだったんだろう」


「──それでも、イーレンは私を救いました」

 だらりと垂れ下がったイーレンの右手が、痛いほど強く握りしめられた。意外なその力に驚いて顔を上げると、ユゥラが眉を寄せて怒った顔をしている。


「エナ姫の死があなたを変えました。あなたは私を変え、そして里にも変化をもたらしました。今まで無知だった私たちは、今から変わってゆくのです」

「ユゥラ」


 強い瞳に気押されて思わず嘆きを忘れたイーレンに、翡翠が言葉を重ねる。

「そして、それは私たちも同じだよ」

 ね? と彼女が視線を巡らせると、玻璃がうなずき、瑠璃は首をかしげる。

「同じって?」と瑠璃。


「上へ向かう竜が赤い花のついた枝を取ってくるのは知ってた。それを食べに行ってるんだろうってことは予想がついてた。でも、必ず『あの穴』を通る竜に関しては、そういう個体なんだろうとしか考えられていなかった、でしょ」


 翡翠曰く、あの大穴を通って現れる「大地の神」は毎回同じ個体であるという。故に、そういう癖がある竜なのだと地上では考えられていた。まさか真上の最上層に人の住む里があり、そこの人間が「竜の言葉」を使ってその竜を呼び出しているのだなどと、だれ一人、夢にも思わなかったらしい。


「お互い、見えてないものがあった。上にも人の集落があるなら、滑車のようなものを使って上下で物資や情報のやりとりができるかもしれない。そこからどれだけのものが得られるか、本職の研究者じゃない私でもわかる。これ全部、君が引き起こしたことだよ」


「そうそう、それそれ」

 瑠璃が立てた人差し指をひょこひょこ振りながら笑顔になった。「調子よすぎ」と翡翠に言い返され「いいじゃん、相棒なんだから。あたしと翡翠は一心同体だろ?」と唇を尖らせる。

「ま、そういうこった。あんま気にすんなって」


 過去があったからこそ、これから変わっていけるのだ。ユゥラも含めて、この場にいるイーレン以外の意見は一致しているらしかった。能天気なやつらだ、と思うと同時に、汚れた傷口が浄められるような気分にもなる。


「……これだけの文明を持っている君たちにそこまで与えられるものがあるとも思えないけど、できる限りの協力はする。上の人間も、地上の文明が滅んでいなかったと知ったら、きっと涙を流して喜ぶよ」


 きっと歓迎される。一緒に上まで行こう。そう言って手を差し出すと、玻璃が代表してその手を握り返した。彼は「ご協力ありがとう」と機嫌よく握った手を振って、そして言う。


「でもイーレン、なにか勘違いしてないかい? 地上の文明はちゃんと滅んでる。ああ、君はここに来るとき気絶してたから、外の景色を見てないのか。なーんにもないよ、この地下シェルターの周り」

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