三 焼結
鈴を作る工房としての役割が強い「鈴殿」には、特殊な造りの裏庭があった。開花の時期には足の踏み場もないほどにガラの花で埋め尽くされる神域だが、ここだけは床面には厚く灰が敷き詰められ、草の一本も生えていない。周囲は難燃性の高い桐材の上に薄い亜鉄の板を重ねた、無骨な塀で囲まれている。ここは、ふいごで火力を高めた高温の炎で亜鉄を焼結するための、一種の鍛冶場なのである。
そんな裏庭に並んだ九人の神官たちのうち、四人は長い袖をきっちりとたすきで上げ、髪を後ろでくくり、厚い革手袋をはめている。ユンを含む三人は緊張した様子で笛を構え、イーレンとシエンは鈴がたくさんついた演奏用の鈴杖を手にしていた。
午前七時の鐘が鳴り終わるのを待って、イーレンは深く息を吸う。
『サイシェラス アルヴァーリェン』
神の言葉で、詠唱が始まった。脳髄を揺さぶる不気味な歌声にユンが息を呑み、隣のリェイに小突かれた。
尊き
天と地とを染め上げる
九十九の声が黒を喚ぶ
鈴を鳴らし 鉄を捧ぐ
神の言葉を読み書きし、話すことができるのは里の中でも神官だけだが、ある程度の単語の意味だけならば理解できるものは多い。伝統的な里人の名は、神の言葉からつけられるからだ。例えばユンは「友」、シエンは「
伴奏の三人は、それぞれ種類の違う笛を吹いている。鋭く高い音の出る
考えたこともなかったが、いま思えばこれらは竜の声で「歌う」ために生み出された楽器なのだろう。手の中に楽器を隠し、複数人で「合唱」することで、竜声の独特な不協和音を再現する。伴奏がついたことでますます気味の悪い響きになった音楽は、しかし同僚たちには神聖なものに聞こえるらしい。皆の目つきが、真剣ながらもどこか恍惚としたものになってゆく。
『──鈴を鳴らし 鉄を捧ぐ』
シャリン、シャリン……と鈴の音が曲に合わせてゆったり拍子をとるなか、焼結が始まった。一日じっくり天日干しにされた鈴を窯の中へ入れ、薪に火をつける。鈴と拍子を合わせて火打石を打ち合わせるのはセンダである。三回目で火花が火口に燃え移り、パッと橙色の炎が上がる。鈴の音に乗ってゆっくりとふいごが動き出し、徐々に火力を上げてゆく、錆に練り込まれた香の甘苦い香りがふわりと立ち昇って、すぐに焼き尽くされ消えていった。
『──九十九の声が竜を喚ぶ』
鉄分を豊富に含んだガラの殻を粉末状にし、高温で焼成して亜鉄を得る。鉱石を溶解させて作る古代鉄よりはずっと脆いが、溶鉱炉よりもずっと低い温度で「金属」に近いものを得ることができる。「粉末焼結」と呼ばれるこの技法は、人類がこの樹上に持ってくることのできた数少ない古代技術のひとつだ。それゆえに神聖視され、里人たちは鍋や包丁といった亜鉄製の日用品さえも大仰にありがたがる。愛用の道具に敬意を払うのは決して悪いことではないが、それにしても、とイーレンは時々冷めた感情を抱いてしまう。
と、鈴を鳴らすかたわら貴重な機械式時計で慎重に時間を測っていたシエンが、シャラランと大きく鈴杖を振った。それを合図に鍛冶装束の神官たちが窯を覗き込み、大きなやっとこを構える。
「行くぞ」
「はい」
小声で合図を送り、息を合わせて、真っ赤に光る窯から四人がかりで次々に鈴が出され始めた。六十六の鈴が取り出されると、丁寧に灰の中に埋められる。こうして三分の二は灰の布団でゆっくりと冷まされ、残った三分の一は追加のふいごで更に温度を上げられて、まだ橙色に光っている状態で竹水で急冷された。焼き入れというこの工程を踏むことで、亜鉄はより鋭く硬く変質する。刃物ならば切れ味が増し、鈴ならばより高く澄んだ音が響くようになる。大きさは三種類、材質は二種類の計六種の鈴を連ね合わせることで、「九十九の声」に複雑な深みが出るのだ。
『──鈴が鳴り、鉄が生まれた!』
高らかに歌い上げた最後の一節が、自分でもはっきりわかるほど竜の唸り声に似ていて、イーレンはうんざりした。
「みんなお疲れさま。次の鐘までお茶にしようか」
「お疲れ様でした」
シエンの言葉を合図に、皆が和気藹々とした空気を取り戻す。イーレンも適当な笑顔を顔面に張り付けて、どこか外へ気分転換に行こうと裾を翻す。
「イーレン、すごかったです! どうやってあんなに──」
「ごめん、ちょっとめまいが」
気が立っていたせいで、興奮した様子で追いかけてきたユンに思わずすげなくしてしまった。そのことに罪悪感を抱きつつも、少し横になって休めと快く送り出してくれた仲間たちに甘えて、イーレンはひとり鈴殿を後にした。とぼとぼと神域のはずれまで歩いて、亜玉の林に足を踏み入れる。成長速度が速いせいか、竹林の上は比較的ガラの梢で覆われにくく、明るい陽光が入る。それでも、見上げればぽつりぽつりと茶色い蕾が見えた。
(ここも、そろそろ「第二層」になるのかもな)
つい最近も、鳶職たちが膝丈まで育った芽をいくつも抜いたと聞いている。上の層へ移住となれば、里人たちにはとてつもない労力がかかり、そしてまた、彼らは「穴」への信仰を深めるのだろう。
「はぁ……」
(あの日、もし風邪でも引いて寝込んでいたら)
見ないで済んでいたら、或いは「花嫁」が誰か別の見知らぬ人間であれば、今ごろイーレンは皆と一緒に茶を飲んで、午後の作業を楽しみにしていたのだろうか。
次の鐘が鳴るころには、焼結された鈴はすっかり冷めている。そうしたら、まずは表面に焦げついた酸化膜を丁寧にこすり落とす。仕上げに亜麻仁油を塗りながらじっくり炙って、ムラのない美しい黒錆をつけたら完成だ。そういう地味な手仕事は好きな方だが、「花嫁衣装のために」「黒く染める」というのがどういう意味をもつのかと考えると、一秒だって関わっていたくない。
けれど、それでもイーレンはやらねばならないのだ。動かぬ表情の下で歯を食いしばって、全てを滞りなくやり遂げねばならない。彼が逃げれば、心優しい友の両手が血に染まるのだから。
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