第29話

「でも、まさかお兄ちゃんがあたしにプリン作ってくれるなんて思わなかった。びっくりしちゃった」

「そうか……」


 零はプリンを食べ終わると、すっと立ち上がり光葉の方を向いた。


「あの、光葉さん」

「なんでしょう?」

「光葉さんが作り置きしてた朝ごはん、あたしも食べました。美味しかったです。だから、その……ええと」


 零の視線が泳ぐ。


 そしてようやく言うべきことが見つかったのか、零は言葉を続けた。


「だから、お兄ちゃんのこと、末永くよろしくお願いします!」

「いや待て零、何の話をしてるんだ!」


 突然の告白だった。


 光葉の方を見ると、いやあ滅相もありませんよ、なんて言いながら照れたように笑っている。


 お前、なんでそんなにまんざらでもない感じなんだよ……。


「ではあたしはこの辺りで。プリンごちそうさまでした。後は二人でごゆっくり!」


 素早い挙動で零が部屋を出ていく。


「お、おい零! ……光葉。俺、零を送ってくる」

「分かりました! 先輩、急いで走りすぎてバターにならないよう気を付けてください!」

「大丈夫だ、普通の人間はそんなことにならないから」


 俺はリビングから出ると玄関のドアを開け、外に飛び出した。





 小学生の頃だった。


 学校から帰ると、先に帰っていた零がにこにこ笑いながら俺を待っていた。


 そして零に連れられてリビングへ行くと、テーブルには可愛い皿に盛りつけられたプリンがあった。


 お兄ちゃんのために作ったの、と零は言った。


 その頃、俺は既に生卵が嫌いだった。匂いを嗅ぐのさえ嫌だった。


 だけど零が作ってくれたのならと、俺はそのプリンを一口だけ食べようとした。


 でも――ダメだった。


 プリンの甘さよりも先に卵の臭みを感じた。


 結局俺はプリンを食べることなくスプーンを置いた。


 要らないよ、と零に言うと、零は笑顔を浮かべたまま俯いた。


 笑顔のまま固まってしまったその表情を、今は鮮明に思い出すことができる。


 零は料理が得意な方じゃなかった。


 だけど、俺の卵嫌いを克服させようと頑張ってプリンを作ってくれたのだろう。


 あのときはただ、ちょっとかわいそうなことをしてしまったかな、と思うくらいだった。


 しかし今、多少は自分で料理をするようになって思う。


 まあなんつーかその……割とひどいことしたよな、俺。


「零!」


 見覚えのある背中に呼びかけると、金髪の少女は立ち止ってこちらを振り返った。


「お兄ちゃん……」

「零、 あのさ――ありがとな、前にプリン、作ってくれて」

「あたし料理下手だからね。お兄ちゃんが食べられなくても仕方ないよ。あの後あたし自分であのプリン食べたけど、甘ったるくてマズかったよ」


 へへ、と照れたように笑う零。


「それでも……ありがとな。もう帰るんだろ。駅まで送っていくから」

「え、良いの? ラッキー、手つないでいこ。それとも腕組んでいく?」


 零が俺の腕に自分の腕を絡めてくる。


 いつもなら振りほどくところだったが、プリンの一件で負い目もあったし、今日は好きなようにさせておくことにした。


 俺らはそのまま駅に向かって歩き始めた。


「なあ零、光葉のことなんだけど」

「ああ、お兄ちゃんの彼女ね。良い人そうじゃん。仲も良さそうだし」

「そもそも彼女なんかじゃないからな、あいつは」

「え、じゃあお嫁さん? やったぁ! お兄ちゃんだけじゃなくてお姉ちゃんもいればもっと幸せだなあって思ってたの、あたし」

「いや……そうじゃないんですけど……」

「じゃあ何よ」

「ただの隣人だ。料理好きの」

「ただの料理が好きな隣人がわざわざご飯なんて作りに来るかなぁ?」

「実際作りに来てるんだからそれが現実なんだよ」


 へえ~、と零がにやにやしながら俺を見る。


 なんだよどういう意味だよその顔は。


 少しムカついたので、俺は零から顔を逸らして歩き続けた。


 怒らないでよー、と言いながら、零は俺の腕を握る力を強める。


 零の髪からシャンプーの良い匂いがした。


「……やっぱり離れろよ、暑いから」

「ええー、いいじゃん。駅まで我慢だよ、我慢」


 両親の様子や最近あったことなんかを取り留めもなく話していると、すぐ駅に着いた。


 そのときになってようやく零は俺から離れた。


「電車の時間は?」

「もうすぐ来ると思うよ。じゃあねお兄ちゃん。また遊びに来るから」

「ああ、またな」


 俺が言うと、零はバイバイと手を振って駅の方へ歩き出した。


 が、すぐに立ち止まり俺の方を向いた。


「そうだ、言い忘れてた」

「何をだ?」

「ベッドの下、ちゃんと片づけた方がいいよ。今のままじゃ光葉さんにもすぐバレちゃうよ」

「……ああ、分かってるよ」


 ベッドの下。


 それは、俺がリビドーに従いかき集めた書物や映像作品――言い換えればエロ本やエロビデオが隠してある場所だった。


 まさか零にまでバレているとは思わなかった。


 一刻も早く別の場所に移さなければ。


 ちょうどそのとき、駅のプラットフォームから電車が到着するというアナウンスが聞こえてきた。


「あ、ヤバい間に合わなくなっちゃう。ごめんねお兄ちゃん、また今度ね。それじゃっ!」


 零が駅の改札へ駆けていく。


 俺は手を振ってその後ろ姿を見送った。


 傾きかけた日差しの下、零の金髪がやけに眩しく見えた。





 その夜。


 光葉が帰った後、俺はすぐ寝室へ向かった。


 そして誰に見られているわけでもないのに周囲を警戒しながら、ベッドの下を漁った。


 案の定、そこには俺が隠していたいわゆるエロ本やエロビデオがそのまま収納されていた。


 零は一体どうやってこの存在に気が付いたのだろうか。


 いや、あいつは合鍵を持っているのだから俺の知らない間にこの部屋に入って来て、俺の私物を物色していた可能性も捨てきれない。


 鍵を交換しておこうか。だけどそんなことをしたら零が可哀そうだ。


 まあいい。とにかく、このエロエロしい媒体の数々を別の場所に隠しておけば良いだけの話だ。光葉にも見つかってしまったわけだし、いつまでもこんなところに置いてはおけない。


 俺はエロ本の山を抱え立ち上がった。


 そのとき、山の中の一冊が俺の腕から零れ落ち、床にぶつかって広がった。


「……!?」


 見開き一面に印刷された、切なそうな表情を浮かべてベッドに横たわる下着姿の女子高生(――というか恐らくは女子高生の格好をした成人女性)。


 ギャルっぽい見た目をしたその女子高生の髪は、明るい金髪だった。


 妙な予感があった。


 俺はエロい媒体たちをベッドの上に広げた。


 ああ。


 なんということだ。


 エロ本やエロビデオ、その表紙を飾っていたのはどれも金髪の女子高生だった。


 俺は俺の性的衝動に従った結果、金髪JKモノばかり集めていたのだ。


 そしてさらに最悪なのが―――表紙を飾っているJKたちの金髪とよく似た髪色を、つい数時間前に見たような気がしたことだった。




※※※

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