第27話

 動揺と混乱で俺が何もできなくなっていると、目の前で光葉の声がした。


「せ……先輩、いつまでこうしているつもりなんですか?」


 妙に熱っぽい光葉の声で我に返った瞬間、俺の視界には白い双丘――というか、薄桃色のブラジャーに包まれた光葉のおっぱいが飛び込んできた。


「えっ、どうしてこんなことに?」

「それは私の台詞ですけど?」

「だよね……」


 俺は努めて冷静に光葉のブラウスを脱がせ、努めて冷静に洗面所へ運び、努めて冷静にブラウスをお湯に浸した。そして洗濯洗剤をかけて、ブラウスのカラメルがついた箇所を揉み洗いしながら、さっきの状況を思い出していた。


 なぜか現れた零。


 そして光葉の胸。


 零が投げつけたビニール袋の中には、俺が好んで食べていた栄養バーがたくさん入っていた。


 そして光葉の胸。


 零はどういうつもりで俺の部屋に?


 そして光葉の胸。


 ―――待て待て待て。


 さっきから光葉の胸が脳裏にフラッシュバックして全く考えごとに集中できない。


 落ち着け俺。


 起こってしまったことは仕方ない。


 零と仲違いした挙句、恐らくは大変な誤解を生んでしまったことは間違いないだろう。


 しかし、今の俺に出来ることが変わったわけじゃない。


 俺はただ、プリンを作って零の機嫌を直せば良いだけだ。誤解はその後で解けばいい。


「先輩」


 背後で光葉の声がした。


「どうした光葉? ああそうだ、冷蔵庫に保冷剤あるからそれで火傷を――」


 俺は振り返った。


 そして。


 スカートだけを履いた状態で、両手で胸元を隠しながら恥ずかしそうにこちらを見つめている光葉の姿を見た。


「あの……火傷は大丈夫そうなので、良かったら何か羽織れるものを貸していただけませんか?」


 おっふ。


 光葉の細い両腕の隙間から、ブラジャーの一枚では覆いきれない存在感ある胸元が覗いている。


 っていうかお腹周り細っ! こいつ、食べたものどこに行ってるんだろう。やっぱりあれか? 胸か?


 しばらくこのまま光葉が恥ずかしがっている様子を眺めていても良かったのだが、倫理的には良くないよなと思いなおし、俺は寝室からパーカーを持って来て光葉に渡したのだった。





「では、気を取り直してプリンづくりを再開しましょうか」


 俺が愛用しているパーカーを羽織った光葉が、再び腕捲りをしながら言った。


「頼むぞ光葉! このプリンに俺と妹の関係が懸かってるんだ! もはや修復不可能だとしてもな!」

「任せてください。料理の可能性は無限大です。きっと不可能を可能にしてくれるでしょう。……ところでさっきの女の子が先輩の妹さんですか?」

「ああ。こんな形で会うことになるとは俺も思ってなかったけどな」

「きっと先輩のこと、大好きなんですね」

「どうしてそう思うんだ?」

「妹さんが持って来ていたビニール袋、こんなものが入っていましたよ」


 光葉がパーカーのポケットから紙片のようなものを取り出す。


 それは小さなメッセージカードで、そこには零の特徴的な丸文字で『朝はごめんね 仲直りしよ』と書いてあった。しかも末尾にはハートマークまで描かれている。


「…………」

「私がカラメルを跳ねさせたばかりに、本当にごめんなさい」

「いや、気にするな。あれは事故だよ事故。俺らじゃ防ぎようがなかったんだ」

「美味しいプリンを作って妹さんに食べさせてあげましょうね、先輩」

「もちろんだ」

「カラメルは完成しましたので、とりあえずカップに移して冷やしておきます」


 光葉はカラメルの液を鍋からマグカップほどの大きさの容器へ注ぎ入れ、俺がそれを冷蔵庫へ入れた。


「さて次はいよいよプリンの調理に移りましょう。まずは卵を割ってください、先輩」

「よし任せろ」


 俺は光葉に言われるまま、ボウルに卵を二つ割り入れた。


「先輩、卵を割るのがだいぶ上手になりましたね」

「フッ、豊潤なる才気がついに覚醒したというところかな」

「ええそうですね」

「なんか棒読みじゃない? 先輩悲しいよ……」

「次は砂糖を入れてかき混ぜてください。空気が入らないようにすると、出来上がりが滑らかになりますよ」


 砂糖を加え、泡だて器で卵と混ぜる。


 なんだかいい感じになって来た。


「こんなもんかな」

「良いですね。では、温めた牛乳を加えていきますので混ぜてください」


 光葉はコンロで温めていた牛乳を鍋からボウルへ注ぎ込む。


 ボウルの中身を混ぜ合わせると、甘い香りがしてきたような気がした。


「完成か?」

「一度ざるで濾しておきましょう。口当たりがよくなるんです」

「へえ」

「あとはこれを先ほどの容器に入れて、蒸せば完成です」

「蒸す?」

「オーブンで焼いても良いですが、私はどちらかというと蒸したプリンの食感が好きなんです。きっと妹さんも気に入ってくれますよ」

「そうか。光葉が言うならそうするよ」


 濾し終えた卵液をプリンの容器へ移し、それらをお湯の中へ入れて蓋をする。


 あとはプリンが固まるのを待つだけだ。


 その間に俺はスマホを確認した。


 零からは『お兄ちゃんのばーか』と怒りマークの絵文字つきでメッセージが送られてきた。


 はあ、と思わずため息が漏れた。


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