第26話



 早朝でもあったので、近所のスーパーが開店するまで少々俺の家で待機して、それから俺らは買い物に出かけた。もちろんちゃんと着替えてから外出した。


 そしてプリンの材料を買って帰宅したタイミングで俺はスマホを確認したが、やはりまだ零からの返信は無かった。


「さて先輩、プリンを作っていきますよ」


 エプロンを羽織って気合十分な光葉が、髪を一つ結びにしながら言う。


「ああ、頼む」

「何を他人事のように言ってるんですか。先輩も一緒に作るんですよ」


 と、光葉が俺にもう一着のエプロンを差し出す。


「え、俺も一緒にか―――と言いたいところだけど、俺の問題だもんな。分かってる。今回は素直に従うよ」

「きっと先輩の手作りの方が妹さんも喜びますよ。仲直りにはぴったりです!」


 俺に向かって笑顔でサムズアップする光葉。


 こいつ、おばあちゃんの看病して帰って来たばかりだよな。このエネルギーはどこから来るんだろう。まあ、あれだけ大量に食物を摂取していたらこんな感じにもなるのかもな。


 俺は光葉からエプロンを受け取り、袖を通した。


「で、まずは何をすればいいんだ?」

「カラメルソースを作っていきます。お鍋にお砂糖とお水を入れて温めますよ」

「了解だ」


 コンロで火にかけた鍋の中に、水と砂糖を入れる。


 だんだん砂糖が溶けていき、見覚えのあるカラメルソースの茶色に変わっていった。甘い匂いが辺りに漂って来る。


「ここで少しお湯を加えましょう。先輩、少しだけ代わってください」

「ああ」


 立ち位置を交代し、鍋の正面に立った光葉が鍋にお湯を加えた。


 その瞬間、鍋の中でカラメルソースが跳ねた。


「きゃっ!」


 光葉が小さく悲鳴を上げる。


「大丈夫か!?」


 俺は咄嗟にコンロの火を止めた。


「……大丈夫です。ちょっと跳ねただけですよ」

「火傷は?」

「心配いりません。服にカラメルがかかっちゃっただけなので」


 見れば、光葉のエプロンとブラウスには茶色い跡がついていた。


 お気に入りのブラウスだったんだけどなぁ、と光葉が呟く。


「すぐ洗えば落ちるかもしれないぞ」

「いえ、気にしないでください。何年か着ていた服ですから。きっと買い替える時期だったんです」

「遠慮するなよ。ほら、貸してみろ。洗って来るよ」

「でも……」

「元々プリンを作ろうって言い出したのは俺の方だし、それが原因で光葉の服をダメにするわけにもいかないだろ。良いから貸せよ」

「ごめんなさい先輩、楽しいお料理の時間だったのに……痛っ」


 ブラウスのボタンを外そうとした光葉が、顔を顰める。


「どうしたんだ?」

「指先、ちょっと火傷しちゃってたみたいで」

「仕方ないな。俺が外してやるよ」

「すみません、先輩……」


 光葉はしゅんとした表情で俯く。


 俺は光葉を座らせエプロンを脱がせると、彼女のブラウスの第一ボタンに手を掛け、外した。


 そして第二ボタンに触れたとき、不意にこのシチュエーションの違和感に気が付いた。


 あれ?


 俺、今、光葉の服を脱がせているのか?


 これってわいせつ目的で脱がせているようにも見えるんじゃないか?


 いや別に良いか。どうせ光葉と俺しかいないんだし。そもそもこれは光葉のブラウスのためであってわいせつな目的ではないし。俺ら以外の他人がこの部屋にやってくることなんてありえないわけだし。同意の上だし。


 第二ボタンが外れる。


 ブラウスで圧迫されていた光葉の胸が解放され、揺れた。


 その瞬間、存在するはずのない第三者の声が聞こえた。


「お兄ちゃん……何やってんの……っ!?」


 驚いて顔を上げると、リビングのドアをところに零が立っているのが見えた。


 周囲の空気が凍りつくのを感じた。


 言い訳をしなければと、俺は口を開く。


「あ……いや、これはだな、ええと、なんというかその……同意の上だから問題ないんだ」


 唖然としていた零の顔がみるみる赤くなっていく。


「い―――意味わかんないっ! お兄ちゃんのバカ! 巨乳好きの変態っ! お兄ちゃんのことなんてもう知らないんだからぁっ!」


 零は片手に持っていたビニール袋を俺に投げつけると、そのまま部屋から飛び出していった。


 ビニール袋の中身がリビングの床に散らばるのと同時に、荒々しく玄関のドアが閉められる音がした。


 最悪だ。


 最悪の状況だ。


 取り返しのつかないことをしてしまった気がする。


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