第23話

 そうしているうちに、糖場が思い出したように言った。


『話を戻すようだけれどさ』

「なんだよ」

『妹ちゃんさ、大好きなお兄ちゃんが誰かにとられちゃったみたいで嫌だったんじゃない?』

「そう言われても、俺にはどうしようもないだろ」

『何より気になったのは妹ちゃんの台詞だね』

「そんなに変なこと言ってたっけ、あいつ」

『ほら、私が頑張っても食べてくれなかったのに――みたいな』


 ああ。


 確かにそんなことを言っていた気がする。


「それが?」

『昔、何かあったんじゃない? 召野くんと妹ちゃんの間に』

「どうだろうな。それよりシールド割ったから追撃頼む」

『りょーかい』


 糖場が気の抜けた返事をして、相手プレイヤーめがけて弾幕を張る。


 俺はそれを援護するように自キャラを操作したが、何となく零のことが気になってゲームに集中できなかった。





 翌日は土曜日だった。


 目を覚ました俺は、スマホのメッセージアプリを確認した。


 零からのメッセージは届いていなかった。


「……………」


 ぼんやりしたまま、俺は光葉が作っておいてくれた煮物の残りを温めなおして食べた。


 原型をとどめないほど柔らかく煮込まれた野菜は、食感が良かった。


 出汁の味も染みていて、これなら野菜が嫌いな俺でも食べられる。


 残っていた料理を食べても少し物足りないような気がしたので、零が買って来てくれていた栄養バーをひとつ食べた。


 その後でもう一度メッセージアプリを開いて、零にメッセージを送った。


『昨日買って来てくれたやつ、ありがたく食べたから。代金は俺に請求してくれ』 


 しばらくの間スマホを見つめていたが、俺が送ったメッセージに既読のアイコンが付くことはなかった。


 まさか無視されてる?


 零、けっこう面倒くさいんだよな。一度でも機嫌悪くなるとずっとそのままだし。


 どうしようか。まさかこのまま放っておくわけにもいかないだろう。


 出来ればこれ以上拗れないうちに零の機嫌を直したいところだけど……。


 リビングの時計に目を遣ると、まだ早朝と言っても差し支えないような時間だった。


 この時間なら、零もまだ寝ているのかもしれない。既読にならないのはそれが原因って可能性もあるか。


 全く、せっかくの土曜日なのに早起きしてしまった。二度寝しようかとも思ったが、味噌汁を飲んで目が覚め切ってしまっていたから、再び寝付けるような気もしなかった。


 特にすることもなく、俺は零からの返信にすぐ反応できるようスマホをちゃぶ台の上に置いて、その画面を眺めていた。


「あんなに頑張っても食べてくれなかったのに、か……」


 糖場が気になると言っていた、昨日の零の言葉を思い出す。


 頑張っても、ねえ。


 零と俺の間でそんな出来事があっただろうか。


 心当たりは―――ない、いや、何かあった気がする。何だっただろう。思い出せない。だけどもう少しで思い出せそうだ。ええと……あれは確か、零が俺のために料理を……あれ、料理だったかな。違うな、料理というよりは―――。


 ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポ―ンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン。


「うるせええええええ!!」


 突然のピンポンラッシュに叫びながら玄関のドアを開けると、セミの大合唱の中、私服姿の光葉が真夏の太陽よりも眩しい笑みを浮かべ立っていた。


「先輩、元気でしたか?」

「……おかげさまでな。思ったより早く帰って来たんだな」

「はい。おばあちゃんももうすっかり元気です!」

「そうか。それは良かったな」


 光葉は刺繍の入ったブラウスに紺色のスカートを着ていた。


 ブラウスの素材がそうさせるのだろうか、光葉の胸元からはいつもに増して迫力を感じた。


「……どうしたんですか先輩。私、何か変ですか?」

「いや、光葉って意外と私服にこだわるタイプなのかと思ってさ。この前着ていた服とも違うだろ、それ」


 ほほう、と光葉はにやりと笑った。


「つまり先輩は私の素敵な私服姿から目が離せなかったというわけですか」


 得意げな表情の光葉を見て、俺は余計なことを言ってしまったのを後悔した。


「……それはそれとして、おばあちゃんは大丈夫だったのか?」

「はい! 私の料理でおばあちゃんも元気になってくれました! ご心配ありがとうございます、先輩」

「そうか。それは良かったな。で、こんなに朝早くから何の用なんだ」

「もちろん先輩がちゃんとご飯を食べたかどうか確認しに来たんですよ。お邪魔しまーす」


 そう言って光葉は靴を脱ぐと、どかどかと俺の部屋に入り込んだ。


 そして遠慮の欠片も感じさせない様子で台所を覗き込み、おおっ、と歓声を上げた。


「先輩、ちゃんと食べてくださってるじゃないですか!」

「ああ……まあな」

「でも栄養バーも食べたんですね」


 ちゃぶ台の上にあった栄養バーと栄養ゼリーの山を見ながら、光葉が言う。


「それ、妹が持って来てくれたんだ。光葉も食べるか?」

「あ、いいえ。私は遠慮しておきます。妹さんというと、前に先輩が言っていた人ですか?」

「よく覚えてたな。そうだよ」


 そう――なんだけど、妹について何か大事なことを考えていた気がする。


 ああ、そうだ。零が言っていた言葉の意味だ。


 零は一体俺に何を言おうとしていたのだろう。『頑張っても食べてくれなかったのに』―――。


 だめだ、思い出せない。


 というかさっき思い出せそうだったのに、光葉がピンポンラッシュしてきたせいで忘れてしまった。


 つまり光葉のせいだ。


 こいつめ……!


「なんですか先輩、そんなに見つめられると私、照れちゃいますよぉ」


 頬に両手を当ててくねくねと身体を揺らす光葉。


 若干の殺意が湧いた。


 そうだ、零と仲直りする方法を光葉にも考えさせよう。せっかく俺が零との高度に政治的な問題を解決する糸口を掴みかけていたのに、それを邪魔したのはこいつだからな。


「なあ光葉、中学生の女子と仲良くなる方法って知らないか?」

「……え、先輩……今度は中学生に手を出そうとしているんですか? 相手が13歳未満だった場合は同意があったとしても不同意わいせつ罪が成立してしまいますよ、大丈夫ですか!?」

「どうしてわいせつ目的で近づく前提なんだ……。相手は中二の妹だよ」

「い、妹さんと!? 禁断の愛というやつですか!?」

「だからどうしてわいせつ目的で近づく前提なんだよ!」

「いえ……先輩もついに童貞を拗らせたのかなあって」

「拗らせるにしても拗らせ方ってものがあるだろう。……実は俺が妹の機嫌を損ねちゃったみたいでさ。それで光葉に相談したいんだよ」

「なるほど、中学生の女子というのは妹さんだったんですね。ふむふむ」


 と、光葉は腕を組んで考え込む。


 彼女の両腕に圧迫された胸が、柔らかそうに形を変えている。へー、こんなふうになるんだ。すごい弾力だ。……いや、別にエロい目で見ているわけじゃない。光葉の胸の形状から地球上の物理法則について考察を巡らせているだけだ。

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