第22話
冷蔵庫から、光葉が昨日持って来てくれたタッパーを取り出す。
数個あるタッパーにはそれぞれ味噌汁や作り置きのおかず――たまごやきや野菜の煮物が入っていた。
俺はそれらをレンジやコンロで温めている間、炊飯器から二人分の白ご飯を準備する。
案外手際よく用意が終わり、俺がちゃぶ台に茶碗や皿を並べていると、零が部屋の隅から恐ろしいものを見るような目でこちらを見つめていた。
「あ……あ……」
「なんだ零、お前も手伝えよ」
「ありえない……あの偏食なお兄ちゃんが、料理だなんて……! てっきりペースト状の宇宙食みたいなのが出てくると思った」
「どういうことだよ。まあ、これも別に俺が作ったわけじゃないけどな」
「お兄ちゃんが作ったわけじゃない!? じゃあ誰かから作ってもらったってコト!? ますますありえないんですけど!?」
あ、そうか。
当たり前だけど、零は光葉のことを知らないんだよな。
「隣に住んでる後輩から分けてもらったんだ」
「後輩? ……分かった、それ女の子でしょ」
「ああ、そうだけど」
「ふーん、お兄ちゃん一人暮らしして女の子にご飯作ってもらってるんだ」
「いいから食べろよ」
言いながら、俺は味噌汁を啜った。
いつもの味だ。
零は不満そうな表情でたまごやきを口に放り込む。
「……美味しいのがムカつくんですけど」
「なんで機嫌悪いんだよ」
「お兄ちゃんさ、卵嫌いじゃなかったっけ?」
俺の質問を遮るように零が言った。
「ああ、嫌いだったけど……ある程度なら食べられるようになった」
「あたしがあんなに頑張っても食べてくれなかったのに……」
「え?」
「ううん、何でもない!」
零は自棄になったように目の前の食事をいっぺんに頬張ると、わざとらしくガチャガチャ音を立てながら空になった食器を流し台へと運んでいった。
そして、蛇口をいっぱいに開けて勢いよく水を流す。
「どうしたんだよ、急に」
「別に」
「なんで怒ってるんだよ」
「怒ってないって」
「どう見ても怒ってるだろ」
「だから怒ってないって。ただちょっとムカついてるだけ」
「ほら、やっぱり機嫌悪いんじゃないか」
俺が言うと、零は食器を洗う手を止めた。
「せっかく可愛い妹が心配して様子を見に来て、少ないお小遣いから朝ごはんも買って来てあげたのに、お兄ちゃんはどこの馬の骨かも知らない女の手料理を食べるわけね」
「何を訳の分からないこと言ってるんだよ。食べ物買って来てくれたのは感謝するけど、作り置きの方から食べないと腐っちゃうだろ」
「そういう問題じゃない!」
「じゃあどういう問題なんだよ」
「気持ちの問題っていうか……」
「大体、その金髪も何なんだよ。芸能クラスがあるからとか知らないけど、別にお前が芸能クラスってわけでもないんだろ? なんでそんな色にしたんだ?」
「これはその、お兄ちゃんが――」
「俺? なんで俺が関係するんだよ」
そう言うと、零はいきなり叫びだした。
「あーっ、もう! 別にいいでしょ!? 髪の色なんてあたしの勝手じゃん。もういい、あたし帰る!」
「はあ?」
「じゃあねお兄ちゃん、せいぜいその後輩とかいう女と仲良く乳でも繰り合ってれば!」
零はパジャマのままドタドタと足音を響かせながら、勢いよく玄関を開けて出て行った。
「なんなんだよ……?」
俺が呟くのと同時に零が残していった栄養食品の山が崩れ、ちゃぶ台の上からこぼれ落ちた。
※
「―――ということがあったのさ」
『めでたしめでたし』
「めでたくねえ!」
夜――というか深夜。
学校から戻った俺はオンラインゲームに勤しんでいた。
一緒にプレイしている相手は、言うまでもなく糖場だ。
『それにしても召野くんに妹がいたなんて知らなかったよ。似てるの?』
「いや、それが全然似てないんだ。俺と違って優秀だからな、あいつは」
『ふーん』
画面の中では糖場が操作するキャラが、敵プレイヤーめがけてグレネードを投擲したところだった。
爆発したグレネードが敵の体力を削る。
「まったく、中学生の考えることは分からないな」
『あ、中学生なんだ』
「そうそう。中二」
『お年頃って感じだねえ』
俺は自分のキャラを敵に近づかせ、相手に至近距離から銃撃を浴びせた。
「何がお年頃だよ。俺から言わせれば面倒くさいだけだ」
『そうかなあ。まあ、他人の家の事情だから、私が口を挟むつもりはないけどさ』
はあ、と糖場はため息をつく。
「どうした、疲れてるみたいだけど」
『なんか最近さあ、周りからめちゃくちゃ見られてるみたいで気が休まらないんだよねえ』
味噌汁によって驚愕の変貌を遂げた糖場は、今や高校内の美少女四天王の一人に名を連ねようとしていると専らの噂だ。
秘密裏に組織された糖場のファンクラブが、別の美少女ファンクラブと抗争を繰り広げているという話がまことしやかに囁かれている。
食べ物で人って変わるんだなあ。
「光葉に頼んで、疲れが取れるものでも作ってもらおうか?」
『それいいね。よろしく……って、そう言えば光葉さんは? 今日、学校では見なかった気がするけど』
「ああ、おばあちゃんが体調崩したから看病のために休むって言ってたぞ」
『そうだったんだ。大丈夫かな、おばあちゃん。心配だな。お味噌の恩もあるからね~』
「確かに心配だけど、光葉がついているなら大丈夫だろ」
『すごい信頼感。さすが、日々の食事を光葉さんに世話してもらっているだけのことはあるね。羨ましいな~』
「良いことばかりじゃないって。この間は光葉が部屋を掃除してくれたんだが、そのときに俺のベッドの下から――」
『……ベッドの下から?』
「ああ、いや、何でもない」
『思春期男子のベッドの下と言えば、当然アレだよねぇ~。分かる分かる、男なら胸を張りなよメッシー。世の中の成人男性もそうして大人の階段を上って来たんだよ、きっと』
「余計なお世話だよ……。それより敵のチームが近づいてきてるから牽制しておいてくれ。俺は別方向を防衛するから」
『はいはい了解。でもその任務、君に務まるかな? ベッド下のエロ本さえ防衛できなかったんでしょ?』
「うるせえ、ほっとけ」
あはは、ごめんごめんと糖場が笑いながら返事をしたのを皮切りに、俺たちはしばらく無言のままゲームを続けた。
部屋の中にはコントローラーを操作する音だけが響く。
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