第21話
※
目が覚めた。
時計を見ると、いつも光葉がピンポンラッシュをしてくる時間だった。
ここ最近は毎日のようにあのけたたましいピンポンの音で起こされていたから、時間になれば身体が自然と目を覚ますようになっていたのだろう。
いつもなら玄関へ行って光葉を部屋の中に入れて、一緒に食事をする――のだが。
本来であればこんなに早い時間から起きる必要はない。
あと一時間は寝ていたって学校には間に合うのだから。
光葉が作り置きをしてくれている朝食の準備時間を加味しても全く問題ない。
俺は再び目を閉じた。
そう、すべては光葉がいないからこそできることだ。
光葉のおばあちゃん。風邪、できるだけゆっくり治してくれよ。
俺、二度寝するから。
ギリギリまで布団の中で過ごすから。
光葉、朝飯はちゃんと食べるから安心してくれ。
ああ、それにしても――二度寝ってなんて気持ちが良いんだろう。
光葉がピンポンラッシュを仕掛けてこないからこそ出来る二度寝の幸せに包まれながら俺は微睡み、寝返りを打った。
そのときだった。
「お兄ちゃん、おはよーっ!」
俺の上に飛び乗って来た何者かによって、俺の睡眠は完全に中断させられた。
「―――零!?」
俺に馬乗りになりながらこちらの顔を覗き込む、金髪の少女。
それは俺の妹、召野零(めしの れい)だった。
「お兄ちゃんの愛する妹が様子を見に来てあげたよ、嬉しいでしょ?」
「お前……なんでこんな朝早くから!? 鍵もかけてただろ!?」
「お兄ちゃんのために早起きして始発の電車で来たんだよ。鍵はほら、合鍵あるから」
ねっ、と零は俺に鍵を見せながら笑った。
「……どいてくれ。俺はもう少し寝る」
「えーっ!? せっかく可愛い妹が来たのに寝ちゃうの?」
零はあざとく頬を膨らませる。
それを無視して、俺を頭まで被った。
しばらくすると零は俺の上から降りた。ようやく諦めたらしい。
そして俺は再び眠りの中へ落ちたのだった。
※
召野零。
中二の、俺の妹だ。
容姿端麗、成績優秀。学校では生徒会をやっていて、部活はテニス。
クラスの中心人物で友人も多い。
加えて――重度のブラコンである。
小さい頃からずっと俺に付いて回っていて、妹が中学に上がるまでは風呂も一緒に入っていた。
俺がこうして一人暮らしを始めてからも定期的に部屋にやって来るのだった。
「……なあ、零」
「なあに、お兄ちゃん」
「何だ、この状況は」
「え? ただお兄ちゃんに添い寝してるだけだけど?」
朝。
俺は寝苦しさで目が覚めた。
気が付けばパジャマ姿の零が隣にいて、いや、隣にいてというか俺に全身を絡めるように抱きついていた。
零の金髪が顔にかかって気持ちが悪い。
「あの、寝苦しいんですけど」
「え? 幸せすぎて苦しい?」
「どんな耳してるんだ、お前……」
俺は身体を起こし、時計を見た。
そろそろ学校へ行く準備をした方が良い時間帯だ。
自分の胸を押し付けるようにして俺の腕にしがみつく零を振りほどきながら、俺はベッドから出た。
「お兄ちゃん、どこ行くの?」
「学校だよ」
俺が言うと、零はぷくっと頬を膨らませた。
「えー!? いいじゃん、一日ぐらいサボろうよ。で、あたしとイチャイチャしようよ」
「どこの世界に学校をサボってまで妹とイチャつく兄がいるんだよ」
「えっ、全世界の兄という生物はみんなそうだとばかり思ってたけど」
「シスコンしかいないのか、その世界は……」
あー暑い暑い、こんな日に外に出るなんて頭おかしいよ、なんていいながら零はわざとらしくパジャマの第一ボタンを開けて胸元をぱたぱたと扇ぐ。
が。
残念ながら、悲しいまでに平らなその胸には何の魅力もなかった。
例えるなら――そう、まな板だ。まな板。世界中どこを探してもまな板に欲情する人間はいないだろう。いるとすればオスのまな板くらいだ。
よし、まな板ノルマを達成した。俺は朝から何かをやりきったという充足感に満たされた。
「零、お前も朝は何か食べるだろ?」
「ふっふっふ」
「なんだその不敵な笑みは」
「お兄ちゃんがそう言うと思って、ちゃんと準備してきたから。もちろんお兄ちゃんの分もね!」
零はベッドから跳ね起きるとリビングの方へ駆けて行った。
俺がその後を追ってリビングへ向かうと、そこにはパンパンに中身が詰まったビニール袋を片手に堂々とした様子で仁王立ちする零の姿があった。
「……それは?」
「見て驚け! 聞いて泣け! お兄ちゃんの大好きな栄養バーと栄養ゼリー、いっぱい買ってきてあげたんだからねっ! お兄ちゃんのためなんだからね、感謝しなさいよねっ!」
素直なツンデレみたいなセリフと共に、零が袋の中身をちゃぶ台の上にひっくり返すと、栄養食品の山が出来た。
「ああ……ありがとう」
「え、思ったより微妙な反応……。どうしたのお兄ちゃん、いつもみたいに身体中の穴という穴から体液をまき散らしながら喜んでよ」
「どんな喜び方だ!? 俺は新生物か何かか!?」
一度でも俺がそんな喜び方をしたことがあっただろうか、いやない(反語形)。
「というのは軽いシスタージョークだとしても」
「シスタージョークってなんだよ……」
「もうちょっと良い反応してくれるかと思ってた。なんか拍子抜けって感じ」
「ああ、せっかく色々買って来てくれたところ悪いんだが、実は朝食はもう用意してあるんだ」
零の表情が固まる。
「お兄ちゃんそれはつまり、『朝ごはんを食べたい』と心の中で思ったなら、その時スデに朝食の準備は終わっているんだッ―――ってコト!?」
「まあ、そんなところだ。お前も一緒に食べるか?」
「だが断る!」
「え」
「あ、ううん違うの今のはノリとテンションで口から出た台詞だから全然気にしないで。私も一緒に食べる」
「ああ、分かった。準備するから待ってろ」
と、台所へ向かおうとした俺だったが、つい零の髪の色を二度見してしまった。
「……なあに、お兄ちゃん?」
「お前、髪の毛そんなに派手な色だったか?」
零は元々地毛の色が薄いタイプで、以前から金髪のように見えなくもなかったが、今の零は完全な金髪になっていた。
「あ、気づいた? どう? 似合う?」
零が指先で髪をくるくると巻く。
「……髪の毛染めるのって校則で禁止されていると思うんだが」
「残念でした、あたしの通ってる私立中は金髪オッケーなの。芸能クラスとかもあるからね」
そうだった。
俺と違って優秀な零は地元でも有名な私立中学に通っていた。
やれやれ。出来の良い妹に若干のコンプレックスを感じないでもない俺だった。
まあいいさ。気を取り直して朝食の準備に移ろう。
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