第13話


「最初に言っておくが勘違いだ。俺はただベンチに座っていただけで、こいつが勝手に俺の方に寄りかかって来たんだからな」

「いやでもめちゃくちゃ安心して寝てらっしゃいますよ、そちらの人。先輩もなかなかやりますねぇ……」

「だから勘違いなんだって! 俺も困ってるんだよ!」

「ええと……とりあえずお邪魔みたいなので私はこの辺で」

「待て待ておいていかないでくれ光葉! なんとかしてくれ、頼むから!」

「でも、先輩はそちらの人と良い感じなんでしょう?」

「違う違う、いつの間にか隣で寝ちゃってただけだから! 俺が意図してこんなふうになったわけじゃないんだ。信じてくれ!」

「本当ですかぁ?」

「こんなところで嘘ついてどうするんだ!」

「……まあ確かに、先輩が女の子と二人きりになって良いムードを作り出すことなんてできそうにありませんからね。先輩の言うことを信じます」


 妙な納得のされ方をしてしまった。


 後味は悪いが、今は誤解が解けたことをよしとしよう。


「……あれ、もしかして私寝てた?」


 糖場が目を開ける。


 やっと起きてくれたか。


「ああ。良い夢を見られたか? そしたら俺に載せている頭を除けてくれないか?」

「……あっ、ご、ごめん」


 糖場はいつもの様子からは想像できないほど俊敏に俺から離れ、ベンチの端ギリギリに移動した。


 ……確かに頭を除けて欲しいとは言ったけど、あまりにもあからさまな反応をされると少しショックというか、まるで俺が汚らしい何かみたいな扱いをされたような気分になってしまう――が、そんなのは考えすぎだろう。気にしないことにする。メンタルが落ち込む原因の8割が自分の思い込みからくるものだってSNSの自己啓発的な投稿にも書いてあったし。


「それで先輩、こちらの方は?」

「ああ、紹介がまだだったな。同じクラスの糖場だ。えーと、糖場。こっちが後輩の光葉」

「……初めまして糖場先輩。食の求道者、光葉ぱせりです」


 『食の求道者』―――光葉にそんな二つ名があったとは。自称だろうけど。そもそも、食の道を求めたって結局は食道に辿り着きそうなものだけど。まあ、食べ物も胃の中に入れればいずれは食道に行くのだからある意味で当然の帰結だと言えるだろう。……言えるのか? どっちでもいいか。俺にはあまり関係のない話だ。


「ええ、うん。初めまして、光葉さん」

「ところで糖場さんはどうして私と先輩の愛の巣――げふんげふん、そのベンチで眠っていらっしゃったんですか?」

「おい待て光葉、なんか誤解を与えるような台詞が聞こえた気がしたけど」

「最近寝不足なの。授業中もほとんど起きてられないくらいに」


 ふわあ、と糖場はあくびをした。


 心底眠たくてたまらないというようなあくびだった。


「なるほど、寝不足ですか。夜更かしでもしているんですか?」

「ええ、そうなの。オンラインのFPSにハマっちゃって」

「……先輩、FPSってなんですか? 一秒間の動画が何枚の絵で構成されているかを表す単位ですか?」

「一人称視点のシューティングゲームの方だよ。なんでフレームパーセカンドの方が出できちゃったんだよ……」


 どちらも略せばFPSである。蛇足な解説かもしれないが。


「よく分かりました。とにかくゲームのやりすぎで夜眠れないというわけですね。どこかで聞いたような話ですけど」

「こっち見るなよ……」


 俺と光葉が軽いジャブ的な会話を繰り広げていると、糖場がベンチから立ち上がった。


「少し寝たから眠気もだいぶマシになったみたい。私、そろそろ教室に戻るから。召野くん、後輩ちゃんとごゆっくり~」

「いや、それはそれで何か誤解されてる気がするけど……」


 糖場は幽霊のようにふらふらとした足取りで教室へと戻っていった。


 大丈夫だろうか、と少し心配になった。


「先輩まさか、さっきの人に添い寝されて女子高生の頭皮に興奮していたりしませんよね?」

「安心しろ、そんな性癖は俺にはないから。それより糖場の寝不足を解消する方法があればいいんだが」


 俺は光葉の方を見た。


 光葉が俺を見上げる。


「なんですか?」

「あるじゃないか。眠気が一瞬で吹き飛ぶような料理が」


 ん、と光葉が呟く。


「……ああ、味噌汁ですか」

「そうそう。食の伝道師なんだろ? 糖場にも作ってやってくれないか?」

「えっ、私が?」


 光葉は眉を顰めた。


 意外だな、料理のことだから喜んで作ってくれると思ったんだけど。


「なんだ、嫌か?」

「嫌というか……あの、正直言いますけど」

「うん」

「先輩の肩に頭をのせてお昼寝するような女の人のためにお味噌汁を作るのは気が引けます」

「どうして?」

「ど、どうしてってそれは……」


 言いかけて口を閉じた光葉の顔が少しずつ赤くなっていく。


「なんだ? 顔色変だけど、熱中症じゃないか?」

「違います! もう、先輩って本当に鈍いんですね。……仕方ありません。先輩のお願いだというのなら何とかしてあげましょう」

「おお、ありがとう光葉!」

「べ、別にお礼なんか言われても嬉しくないですからねっ! 私がお味噌汁を作るのは先輩のためで、あの人のためじゃないですから!」


 と、光葉はツンデレのテンプレみたいな台詞を言う。


「あの味噌汁を飲めば、多分糖場も眠気に悩まされることはなくなるだろうな」

「ええ、きっとそうです。が、私が作るのはあくまで先輩のためですからね」

「ああ分かった分かった」

「ですから、あの人に飲ませる味噌汁は先輩も一緒に作ってください」

「うんうん分かってる分かって―――え?」


 なんか今、予想もしてなかった言葉を聞いた気がしたけど。


「私が先輩にお味噌汁の作り方を教えてあげます。でも、私がするのはそこまでです。お味噌汁を作ってあの人に飲ませるのは先輩の役目です」


 え、俺も一緒に作るのか?


 大丈夫かな。たまごやきも失敗しちゃったし。


 どうにかお願いして光葉に作ってもらった方が――いや。


 待てよ、ここで俺が味噌汁を作れるようになれば、光葉に朝食を作ってもらう必要はなくなるよな。


 ということは、あのピンポンラッシュに毎朝悩まされる必要もなくなるわけだ。


「……分かった。味噌汁の作り方、教えてもらうよ」

「では先輩、明日お部屋で待っていてください。私、食材とか持っていきますから」

「ああ、ありがとう」




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