第12話



 月曜日がやってきた。


 光葉は本当に毎朝俺の部屋にやって来て、味噌汁と白ご飯、それからたまごやきをふるまってくれるようになった。


 それはそれでありがたいことではあるのだけれど、毎朝のようにあのピンポンラッシュをされるのだからたまらない。


 いつかタイミングを見計らって、もう朝食は作らなくて良いからと断りたいのだけれど、つい俺の方から毎朝味噌汁を作ってくれなんて言っちゃったものだから、なかなかそれを言い出せずにいた。


 光葉はお弁当も作ってくれると言っていたが、さすがにそれは申し訳なくて断った。さすがに弁当を食べられるほど、俺の偏食が改善したというわけでもなかったし。


 というわけで俺は今、栄養バーと栄養ゼリーを握りしめ、いつもの中庭へやってきたのだった。


 時刻は12時過ぎ。ちょうど昼食の時間だ。


 さて、優雅なランチタイムを――と、ベンチへと顔を向けたとき、強烈な違和感を発する物体が視界に入った。


 俺が昼休み、昼食を摂るためにいつも座っているベンチ。


 そこに先客がいた。


 それは、長く、真黒な髪をした女子だった。


 彼女はどことなく暗いオーラを発しながら、ベンチに横たわっていた。


 いったい何者なんだ。


 困ったな。このベンチ以外でゆっくりご飯が食べられそうなところに心当たりはないが……。


 特に思惑があるわけでもなかったが、俺はベンチに歩み寄り、横になっている女子を見下ろした。


 ……あれ、もしかして。


「糖場?」


 俺が呟いた瞬間、女子は勢いよく起き上がると長い髪を振り乱しながら俺を見上げた。


「……今、私を呼ばなかった~?」

「名前を口に出しただけだ。呼んだわけじゃない」


 知り合いだった。


 名前は糖場亜弥(とうば あや)。同じクラスで、席も俺の隣だ。


 糖場はぼさぼさの髪を両手で撫でつけながら、ひどい隈のできた目で辺りを見渡す。


 その様子はまるで何か獲物を狙っているようで、どこか猟奇的でさえあった。


「少しだけ寝るつもりだったのに、ちょっと寝過ごしちゃったかも。起こしてくれてありがとう。召野くんはこんなところで何してるの?」


 いやそれはこっちの台詞……。


 まあ、いいや。


 とりあえず会話を進めよう。


「俺はいつもここで昼飯を食べてるんだ。糖場が座ってるそのベンチで」

「ああ、ごめんごめん」


 糖場はそう言って、ベンチの端に座りなおした。


「……どういうつもりだ?」

「どういうつもりもないよ。隣、座って良いから」

「え? ああ……うん」


 俺は糖場の言うことに従って、彼女の隣に座った。


「……どうしたの、そんなに難しい顔をして」

「いや、俺と糖場ってまともに喋るのはこれが初めてだよな?」

「……あれ、そうだっけ。つい、話したことがあるつもりになっていたみたい」


 にやぁ、と不気味な笑みを浮かべる糖場。


 大丈夫だろうか、この人。


 前世の縁とか言い出すんじゃないだろうか。


 怖いなあ。


 さっさと昼食を終えてこの場から離れよう。


 俺はビニール袋から栄養バーを取り出し、包装を剝いた。


「……………」

「……それ、食べないの?」

「いや、そんなにガン見されてたら食べづらい……」


 さっきから糖場は充血した大きな目で俺を凝視していた。


 そんな状況で落ち着いて食事が出来るほど、俺の神経は強靭ではなかった。


「ああ、私のことなんか気にしないでよ。もう少し仮眠を続けることにするから」


 そう言って糖場は再び目を閉じ、すぐにうとうとし始めた。


 俺は栄養バーを齧った。


 糖場はクラスでも目立たない存在だ。


 教室で誰かと話しているところなんて見たこともない


 授業中先生にあてられて発言するときも、聞こえるか聞こえないかくらいの声でぼ そぼそと何かを答えるだけだ。


 そんな彼女がどうして中庭に……?


 いや、よく考えたらそんな彼女だからこそ人目に付かない中庭へやって来たのかもしれない。


 俺もまた、人目を避けて中庭で食事をしているように。


 栄養バーを食べ終え、ゼリーの蓋を開けたとき、肩の辺りに軽い衝撃があった。


 見れば、糖場の頭が俺の肩にのっていた。


「……!?」


 糖場は気持ちよさそうに寝息を立てている。


 や――ヤバい。


 こんなところを誰かに見られてみろ、糖場と召野って付き合ってるんじゃねとかいう噂が立ったときは目も当てられない。そんな目立ち方はしたくないし、そもそも目立ちたくない。


 っていうかなんか良い匂いするんだけど。え、糖場? 糖場の髪? シャンプー何使ってんの!?


「……ええと、あのー、糖場さん」

「う……ん、ママ、もうちょっと寝かせてよ……」

「あ、ごめん。俺、君のママじゃないから。ここ学校だから」

「え……? わかんない……」


 糖場は寝ぼけた声で言う。


 わかんないのはこっちの方だ、と言っても寝ぼけている相手には通じないだろう。


 この状況にどう対処すべきか俺が悩んでいると、底抜けに明るい声が聞こえてきた。


「先輩、お待たせしました! 先輩でも食べられそうなものをピックアップして特製ランチを――って、先輩が私の知らない女の人と添い寝してる!?」


 光葉だった。


 最悪のタイミングだ。


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