第11話
「いけるな」
「本当ですか! 先輩、たまごやきも食べれたから目玉焼きも大丈夫かもって思ったんですよ。食べていただけるなら良かったです!」
俺はそのまま白身を食べ進め、いよいよ黄身の部分まで到達した。
―――しかし。
そこで、俺は箸を止めた。
「光葉」
「なんですか、先輩?」
「この目玉焼きってもしかして半熟?」
「ええ、そうですよ。一番おいしくなるタイミングを見極めて焼いたんです」
「おいしくなる、か……」
確かに美味しそうな見た目ではある。
艶のある白身の上に、半熟になった卵の黄身が溢れる様子は食欲をそそるだろう――人によっては。
しかし、たまごやきや味噌汁、そして白ご飯と、次々と偏食を克服してきた俺と言えどさすがに食べられないものは食べられない。
何を隠そう、俺は数ある苦手な食べ物のうち海産物に次いで生卵がダントツに苦手なのだ。しかも、まだ小さい頃から。
だから、もちろん半熟の卵も苦手だ。
「……もしかして先輩、半熟はお嫌いでしたか?」
光葉が言った。
「ああ。生卵や半熟卵は昔から苦手なんだよ。さすがにこれは食べられない――」
「そう――ですか」
光葉が俯く。
悪いな、光葉。でもこればかりはどうしようも――。
「ごめんなさい、先輩。私、目玉焼きは半熟の方が好きだからきっと先輩も美味しく食べてくださるだろうと勝手に思い込んでいました。あの美味しい半熟卵を先輩と二人で食べられたらどんなに良いだろうって、自分勝手に思い込んじゃってたんです。だから、半熟で一番おいしくなるタイミングを計ったりして、わくわくしながら作った目玉焼きだったんですけど――いえ、先輩は何も気にする必要はないんです。ただ私のおせっかいというか余計なお世話というか、勝手に期待して勝手に落ち込んでいるだけですから。あの、黄身の部分は残してくださって大丈夫です」
俯いたまま、光葉が震える声で言う。
上目遣いでこちらを見つめる瞳が少し潤んでいるように見えた。
くっ……!
そんな目をされたら……!
食べないわけにはいかないだろ……っ!
俺は覚悟を決め、黄身の部分だけが残っていた目玉焼きへ箸を伸ばした。
そして一気に口へ放り込んだ。
「うっ……」
「どうですか?」
「う……ん? 不味く……ない。意外と食べれる」
小さい頃はあんなに嫌だった卵特有の臭みみたいなものが、今は別に気にならなかった。
とろみのある食感も違和感なく食べられる。
「でしょでしょ、先輩! 美味しいでしょ!」
光葉の表情がぱっと明るくなる。
が。
「いや、美味しい……とまではいかないかな……」
「な、なんでですか!? 今のは半熟卵の美味しさに目覚める流れだったんじゃないんですか!?」
「思ってたほど苦手じゃなかったけど、だからと言って好きってわけじゃ……」
「先輩の童貞」
「いや童貞は関係ないだろ……というかその情報、どこから仕入れたんだ」
「何となく先輩が纏っている空気感が」
「童貞の空気を纏ってるってこと!? どんな空気なんだよそれ!?」
いやだなあ。
なんとなくチーズ牛丼の匂いがしそう。
ちなみに俺、チーズも苦手です。
「あ、ご飯お代わりありますけど食べます?」
「もう十分だ。気持ちだけもらっとくよ」
「そうですか。じゃあ残りは全部私が食べちゃいますね」
ああ、自分が食べていいかどうかの確認だったのか。
すごい食欲だな。初めてあったときにいつもは5杯くらいご飯を食べるって言ってたけど、恐らく事実なのだろう。
光葉は米櫃に残っていた白ご飯を自分の茶碗に盛ると、気持ちよさそうに食べ始めた。
俺は残りのご飯を食べてしまい、お椀に少しだけ残っていた味噌汁を啜った。
「それにしてもこの味噌汁は美味いな。毎朝俺のために作って欲しいくらいだ」
「……え」
光葉が白米を食べる手を止め、俺の顔をまじまじと見つめた。
ぽかんと開いた口元にはご飯粒が付いていた。
「なんだ? 何か変なこと言ったか?」
「今、毎朝味噌汁を作って欲しいって言いました?」
「ああ、言ったけど」
「それってどういう――あ、いえ、こんなことを聞くのは野暮ってものですよね! ごめんなさいごめんなさい、男性って素直な気持ちを言葉にするのは苦手だって言いますからね!」
妙に頬を赤く染めながら、光葉は何かを誤魔化すように、ハイペースで白ご飯を口へ運び始めた。
な、なんだこの雰囲気。
俺が恥ずかしいことを言ったみたいじゃないか。
ただ、俺は味噌汁を褒めただけなんだが!?
……いや、待て。
確か俺は、味噌汁を毎日作って欲しいって言ったよな。
ひと時代前、そんなプロポーズの言葉が流行ったという話をどこかで聞いたことがある。
つまり――俺の一言が光葉を勘違いさせてしまったってこと?
「あー、あの、光葉。さっきのは別に深い意味で言ったわけじゃないぞ。ただ、味噌汁を褒めるつもりで……」
「でも、先輩のためにお味噌汁を毎日作れるような存在になって欲しいって、つまりそういうことじゃないですかやだぁ」
両手で顔を覆う光葉。
「だから違うって! そういうことじゃないんだって!」
「いいですいいです、先輩の気持ちは伝わりましたから。とりあえずまた明日、先輩のためにお味噌汁を作ってあげますね! あ、ええと、私、洗い物しますから!」
光葉は落ち着かない様子で茶碗や皿を重ね、そのまま台所へ運んだ。
それから、がちゃがちゃと大きな音を立てて食器を洗い始めた。
うーん。
この誤解が尾を引かなければいいけど。
まあ、味噌汁が美味かったのは本当だし、毎朝作ってくれるのならしばらくは誤解されたままにしておいても問題ないか。
そしてこの誤解がきっかけで大変なことに――なるかどうかなんて、今の俺には分からないのだった。
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