第6話

「さて、早速調理に入りましょう。まずは卵を割るところから。先輩、卵割れますか?」

「割れるよ! ゲームを割るより簡単だ」

「ゲーム……割る? ソフトを真っ二つにするってことですか?」

「あ、いや、違法にコピーしたゲームソフト……とかいう意味なんだけど、ごめんな、ちょっと分かりにくいこと言っちゃって」


 ちなみに語源は、違法コピーされたソフトを『Warez』と呼ぶことから。


 どうでもいいか、そんなことは。


 とにかく卵だ。卵を割ろう。


 卵をボウルの縁に当てて殻にヒビをいれ、そのヒビを中心に殻を割る。


 力加減を間違えれば卵が四散してしまう緻密な作業だ。


 俺は指先の全神経を集中させ、どうにか卵を割ることに成功した。


 緊張していた全身が、卵の中身が無事にボウルの中へ落とし込まれた瞬間、一気に弛緩したのを感じた。


 人生で一番集中した瞬間だった。


 アスリートが極限まで集中した時に達する無我の境地、ゾーンと呼ばれるあの領域に俺も達していたのかもしれない。


「……ふっ、どうだ光葉。俺にかかれば卵なんてこんなものさ」

「すごいじゃないですか先輩! 絶対失敗するだろうと思って卵の殻を取り除く準備をしていたんですけど、杞憂でしたね」


 菜箸を片手に光葉が言う。


「あまり俺をナメないで欲しいな。こう見えても器用なんだから」

「さすがです! ではもう一個割ってください」

「え、二個も割るの?」

「二個の方が美味しいですよ?」


 思い出してみれば確かに、さっき光葉は卵を二つ準備していた。


 光葉が俺にもう一つ卵を手渡す。


 くっ……、再びあの極限の集中状態に自分を追い込むことが出来るのか?


 卵を見つめながら、俺は深く息を吐いた。


 そして目を見開き、全身の神経を指先へ集中させる。


「うおおおおおおおおおっ!」


 ボウルの縁に卵の殻が当たる。


 殻に入ったヒビに指先を突っ込み、卵の中身を開く。


 零れ落ちた黄身と白身が、無事にボウルの中へ着地する。


 や――やり切った。


 俺は二つもの卵を見事割り切ったのだ。


 これは人類にとっては小さな出来事かもしれないが、俺にとっては偉大な出来事だ。


「さて、次は調味料を入れて混ぜないと」

「え、まだやるの?」

「何を言っているんですか。ここからが本番ですよ。さあ、お醤油とお砂糖を入れて、かき混ぜてください」

「あ、ああ、はい」


 光葉に言われるまま、俺はボウルの中に調味料を入れて菜箸でかき混ぜた。


「では早速焼いていきましょう。フライパンに油をしいて、熱してください」


 フライパンに少量の油を追加して、電気コンロのスイッチを入れる。


 少しすると油がぱちぱちと跳ね始めた。


「き、危険だ、光葉。油は140℃以上の熱を帯びると跳ね始めると聞いたことがある。つまり、今このフライパンはそれだけ高熱になっているということだ。万が一そんなものに触れでもしたら――」

「大丈夫です、ちょっと火傷するだけです。そんなこと言ってたら料理なんてできませんよ」

「し、しかしだな」

「怖がらないでください、先輩。ほら、把手を握って」

「マジか……」


 どうやら逃げることは許されないようだ。


 逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ……。


 俺は仕方なく、油が跳ねているフライパンの把手を握った。


 しかしこれからどうすればいいんだ!


 光葉は簡単そうにやっていたけれど、全く手順が分からない。


「安心してください。こうして一緒にやってあげますから」

「!」


 俺の背後に立った光葉の手が伸びて来て、俺の手に重ねるようにフライパンの把手を握った。


「ほら、フライパンに卵を入れてください。でも半分だけですよ。全部入れたらダメです。力づくで一気に入れるのは童貞のやることです」

「はい?」

「……早くやってください」

「わ――分かった」


 手を添えられながら、俺はフライパンに卵液を流し込んだ。


「そうしたら次は、卵をかき混ぜてください」

「ま、混ぜる? こうか?」


 がしがしと卵を菜箸で混ぜる俺。


 その瞬間、光葉は小さく悲鳴を上げた。


「そ、そんなに激しくしちゃダメですっ」


 光葉が熱っぽい口調で言う。


 その吐息が俺の耳元にかかった。


 そして俺の背中には、光葉の柔らかな身体が――っていうか胸が押し当てられていた。


「べ、別の意味に聞こえるんだけど!?」

「優しく、丁寧にしてください!」

「だから別の意味に聞こえるって!」

「それは先輩だけです! 本当に変態なんですね。脳みそが下半身に直結してるんじゃないですか?」

「うっ、そう言われると……」


 ぐうの音も出ない。


 でも思春期だからね、仕方ないね。


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