第5話

 と、心の中で反省しつつ、俺は光葉の部屋の端から端へ視線を走らせた。


 可愛らしいピンクと白系の色で統一された家具。


 ソファの上には大きなテディベア。そしてマガジンラックにはファッション雑誌。


 ……あれ?


 俺は思わず目を擦った。


 これってさっき俺が妄想したザ・女子の部屋って感じの部屋じゃん。


「意外と女子っぽい部屋なんだな」

「まあ、女子ですからね」

「ああ、そうか」

「何ですかこの会話。意味あるんですか」

「急に冷たい反応だな……温度差でヒートショックになるかと思ったわ」

「とまあ、アイスブレイク的な雑談はこの辺りにしておいて」

「本当にブレイクできたかなあ? けっこうアイス強めだった気がするけど」

「早速たまごやきを作っていきますよ。先輩は適当にくつろいでいてください」


 いつの間にか光葉は黄色いエプロンを着ていた。


 制服に、エプロン。


 ぐっと家庭的な雰囲気が増して、グッド。


 裸エプロンなんかよりむしろフェチズムが刺激されるような気がする。


 俺が光葉の姿を眺めていると、彼女は長い髪をゴムで一つ結びにした。


 白いうなじが丸見えになる。


 はい、優勝。


 オリンピックに『家庭的な女子』という部門があれば間違いなく金メダルだ。


 まあ、そんな部門が設立されることは永遠にないだろうけど。


「どうしました、先輩?」

「せっかく光葉がたまごやきを作ってくれるのにひとりだけくつろぐわけにはいかないと思ってね。せめて見学させてもらうことにするよ」

「そうですか、料理に興味を持ってもらえるのは嬉しいです。でも、なんだかいやらしい目をしていますよ、先輩?」


 うっ。


 バレてしまったか。


 俺はそっと光葉のうなじから視線を逸らした。


「気のせいだよ、気のせい」

「そうですか? そうかな……そうかもですね」

「うん、そうだよ。俺がいやらしい目なんてするわけないだろ」

「ああそうですよね、童貞の先輩が女の子を直視できるはずないですもんね」

「そうそう、だから気づかれないようにうなじだけを―――って何言わせるんだよ恥ずかしい!」

「恥ずかしいのは先輩の存在そのものですよ……。もう良いです、とにかくたまごやきを作ってあげますから大人しくしててください!」

「……はーい」


 大人しくしておくことにした。


 エプロン姿の光葉は整然と片付けられた台所に立つと、冷蔵庫から卵を二つ取り出し、ボウルに割り入れて溶き始めた。


 それに砂糖などの調味料を加え、さらにかき混ぜる。


 鮮やかな手つきだ。


 光葉は言う。


「料理しているところなんてあまり他の人に見られたことないですから、少し恥ずかしいですね」

「そうか? まるでプロみたいだけど」

「もう、褒めすぎですよ。卵を混ぜただけじゃないですか」


 照れたように笑いながら光葉はフライパンを準備する。


 普通の丸いやつじゃない、四角い形をしたフライパンだ。


 光葉は電気コンロのスイッチを入れて、フライパンを火にかけるとその表面に油をしいた。


 それから少しして、溶いた卵をフライパンに流し込む。


 じゅう、という音とともに卵がやける甘い匂いがした。


「……良い匂いだ」

「あ、そう思います? 私もこの匂い、好きなんですよ」


 食べ物の匂いを良い匂いだと思ったのはずいぶん久しぶりな気がした。


 俺が感慨にふけっている間に、光葉は手際よくフライパンの中の卵を焼きながら混

ぜ、くるくると巻いた。


 そしてボウルの中に残っていた卵液をフライパンに流し入れ、最後にもうひと巻きすると、少し火を通した後でコンロをオフにして、戸棚から取り出したお皿に出来たばかりのたまごやきを盛りつけた。


「おお……」


 思わず俺は声を漏らした。


 発色の良い黄色。


 立ち込める甘い香りと湯気。


 まるでひとつの芸術作品だ。


「さあ、完成です。どうぞ召し上がれ……あっ」


 光葉が途中で言葉を切った。


「どうしたんだ?」

「先輩も作ってみます?」

「……何を?」

「たまごやきですよ。私が教えてあげますから」

「どうして俺がそんなことしなきゃいけないんだよ」


 俺の質問に、光葉は微笑みで答える。


「自分で作ってみると、もっと美味しいかもですよ?」

「やめておいた方が良い。卵と調味料が無駄になるだけだから。最近流行りのSDGsとやらに反する行いだ」


 光葉が眉を顰める。


「先輩、最近の流行とか気にするタイプなんですか?」

「……いや、そんなことないけど」

「じゃあいいじゃないですか。たまごやき、一緒に作りましょう」

「えー、でも」

「デモもストライキも強行採決もありません! そんなこと言うなら、たまごやき、食べさせてあげませんよ」

「理不尽だ! 不条理だ! 我々は断固としてたまごやきの引き渡しを要求する! そのためなら実力を行使する準備があるぞ!」

「おっと良いんですか、私に指一本触れようものなら110番が火を噴きますよ」

「くっ……!」


 さすがの俺も国家権力を相手には出来ない。


 たまごやきを要求する俺の抗議活動は一瞬にして幕を閉じたのだった。


「分かった、俺もたまごやきを作ろう。でも、何度も言うけれど、どうなっても知らないからな」

「私も何度も言わせてもらいますけど、デモもボイコットもありません。大丈夫です、一緒にやればうまくいく―――までは行かなくても、それなりのものが出来ますよ」


 と、光葉が俺に四角く折りたたまれた布を渡す。


 受け取って広げてみると、それはエプロンだった。


「……何、これ」

「分かってるくせに。エプロンですよ」

「それはそうなんだろうけど、なんでお揃いなんだ」


 その青いエプロンは、光葉が着ているものと色合いが少し違うだけでほどんど同じものだった。


「あ、先輩のイニシャルとか縫っておいた方が良かったですか?」

「いや……なんかお揃いのエプロンとか、ちょっと気が引けるというか」


 俺が言うと、光葉はにやにやとからかうように笑い始めた。


「あー、先輩もしかして私のこと意識しちゃってるんですかぁ? 残念でした、そのエプロンは予備として買っておいたものなんです。だから一緒なのも当然なのです。大体、先輩が今日私の家に来るかどうかも分かってないのにお揃いのエプロンなんて準備できるわけないでしょ? 論理的に考えればわかることですよ。それとも初めて女の子の部屋に入って動揺しちゃって考えが及ばなかったのかな? うふふ、可愛いですね~」

「うるせえ! 長々と喋るな! 着ればいいんだろ、着れば!」


 というわけで俺はエプロンを着用した。


 よく似合ってますよぉ、とか、光葉がからかうように言ってきたけど、無視だ、無視。


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