第4話



 そして、放課後。


 俺は通学カバンを片手に光葉に言われた通りに中庭へやって来た。


 ベンチの前では、既に光葉が待っていた。


「あー、遅いですよ先輩! 女の子を待たせるなんて何事ですか!?」

「悪かったよ。クラスの仕事で提出物を職員室に運ばなきゃならなかったんだ」

「……意外です。先輩はそういうの誰かに任せてサボるタイプかと思いました」

「いや、どちらかといえばだれもやりたがらない仕事をいつの間にか押し付けられているタイプだな」

「ああ、陰キャの悲しい習性というやつですね」

「まったくだ。で、お前の言う通り中庭に来たわけだけど……?」

「おっと、もうたまごやきが待ちきれないんですね。躾のなってないお口ですね。くすくす」

「……帰る」


 俺は光葉に背を向けて歩き出した。


「わ、ま、待ってくださいよ先輩! 怒ることないじゃないですか。たまごやきはちゃんとごちそうしてあげますから」

「ごちそうって……中庭でどうやって?」

「中庭は単なる集合場所ですよ。ここから少し歩きます。さあ、ついてきてください」


 どうやら光葉には考えがあるらしい。


 ここはひとまず素直に従ってみることにした。


「分かった。任せる」

「はい。こっちです、先輩」


 そのまま俺と光葉は歩き出した。


 中庭を出て、運動所の端を通り抜け、校門をくぐり、歩道を直進して――って。


「光葉、どこに向かってるんだ、これ」

「どこって、私の家ですけど」


 こともなげに答える光葉。


「……え、光葉の家?」

「そうですよ。冷めたたまごやきが不満だったんですよね? だから私が出来立てのたまごやきを食べさせてあげますって」

「いや、待て待て。俺は何もそこまでして欲しかったわけじゃない」

「え? 一体何を遠慮しているんですか」

「だけど、一応俺は男子生徒だし、いきなり女子の家っていうのは……ねえ?」

「ねえ? じゃないですよ。今更何言ってるんですか。あんなことしたくせに」

「……あんなこと?」

「思い出してください、たまごやきを食べたときのことを」


 光葉の言葉に、昼休みのことを思い出す。


「確か、お前が俺の口に無理やりたまごやきを捻じ込んだんだよな」

「もう少し詳細を思い出して欲しいんです。あのとき、先輩がたまごやきと一緒に口へ含んだものが他にもありませんでしたか?」

「何かあったかなあ? 他には箸くらいしか――」

「そう、その箸です」

「箸? 箸がどうかしたのか?」

「それは私のマイ箸だったはずです。しかも、私がお弁当を食べるのに使用したばかりの」

「……!?」

「つまり先輩はたまごやきを食べると同時に、私と間接的に口づけを交わしていたんですよ! しかも舌と舌が触れ合うディープなやつをねっ!」

「な、なんだってー!?」

「そういえばたまごやきを食べたとき、すっきりとした甘さだったとか言ってましたよね。もしかしたらそれはたまごやきじゃなくて私とのキスの味だったのかも。あ、でも、ファーストキスはレモンならぬたまごやきの味だったってことかもですね。もう、先輩ったら。きゃっ」


 といって両手で頬を押さえる光葉。


「いやあれは――不可抗力だろ」

「どうでしょうか。たまごやきを食べたそうにしていたのは先輩の方でしょう?」

「そもそも俺に弁当を作って来てくれたのは光葉の方だろ?」

「……このままでは平行線ですね。続きは私の部屋で話しましょう」

「しかし、女子の部屋っていうのは……」

「おやおや、まさか怖気づいてるんですか?」

「違う、紳士的な振る舞いをしているだけだ」

「女の子の部屋に呼ばれて遠慮しちゃうのは、紳士というより童貞って感じがしますけど」

「なるほど、そこまで言われちゃ俺も黙っていられないな。さっさとお前の家に案内してくれ」

「ようやく覚悟が決まったようですね。こっちです、先輩」


 光葉が俺の半歩先を歩き始める。


 それにしても、女子の部屋か。


 初体験だ。


 一体どんな部屋なんだろう。


 天蓋付きのベッドとかあるんだろうか。


 ソファの上には巨大なテディベアがおかれていたり、雑誌棚にはファッション誌が並んでいたりするんだろうか。


 ……自分で言うのもなんだけど、ちょっとキモい妄想だな。今は光葉についていくことだけを考えることにしよう。


 とはいえ、さっきから周囲の景色はいつも俺が登下校のときに見ているものと変わらなかった。


 光葉も案外近くに住んでいるのかもしれないなあ、なんて思いながら歩くこと数分。


「……え」


 俺は、俺が住んでいるマンションに到着していた。


 一体どういうことなんだ?


 目の前の現実を理解できずにいると、光葉が立ち止りこちらを振り返った。


「先輩どうしたんですか? はぐれちゃいますよ?」

「あ、ああ……分かってる」


 光葉と二人でエレベーターに乗り込む。


 俺の部屋は3階なんだよな、なんて考えていたら、光葉が3階のボタンを押した。


 思わず俺は光葉の顔を見た。


「……何ですか先輩、私の顔に何かついてるんですか?」

「い、いや、別に何でもないんだ」


 軽い振動とともにエレベーターが止まり、俺らは3階に降り立った。


 そして廊下を直進した先で光葉が立ち止る。

「ええっと、鍵、どこに入れたんでしたっけ……」


 通学用のバッグを漁る光葉。


 うん―――まあ。


 このマンションに入ったときからこうなるんじゃないかとは思ってたけどね。


「うちの隣やないか……」

「え、何ですか先輩?」

「うちの! 隣やないかいッッ‼」


 今明かされる衝撃の真実ゥ!


 なんと光葉の部屋は、俺が借りている部屋の隣だったのだ!


 隣に同じ高校の生徒が住んでいるなんて、マジで気が付かなかった。


 家に帰ってからはほとんど外に出ないのだから仕方ないか。


「と、隣? 隣ってどういうことですか?」

「だから、隣なんだよ。俺はこっちの部屋に住んでるんだ」

「えーっ、本当ですか!? 誰かが住んでいるのは知っていましたけど、まさか先輩だったとは」

「今まで会わなかったのは奇跡だな」

「ということは、夜な夜な隣から聞こえて来ていた声は先輩のものでしたか……。夜、ひとりでナニしてたんでしょうねぇ」


 くすくすと笑う光葉。


「……ただオンラインゲ―ムをやってただけだ。変な誤解するなよ」

「ごかい? ここ、3階ですよ?」

「そう言う意味じゃない」

「とりあえず中に入りません? 鍵も見つかりましたし」


 光葉は右手の人差し指をキーホルダーにひっかけて、部屋の鍵をくるくると回した。


「ああ、そうさせてもらうよ」


 がちゃり、と音を立てながら光葉が鍵を開ける。


「どうぞ、先輩。初めての女の子の部屋を存分に堪能してください」

「堪能って……枕の匂いを嗅いだり床を舐め回したりすればいいのか?」

「えっ、さすがにそれは嫌です」

「まあ、そりゃそうか」

「……なんでちょっと残念そうなんですか」

「え!? いやまさか。さっきのは冗談で言っただけだよ。忘れろよ」

「私はとんでもない変態を部屋にあげてしまったのでしょうか……あの、先に電話をかけてもいいですか?」

「良いけど、どこに?」

「警察です」

「冗談だよな?」

「場合によっては冗談じゃなくなりますけど」


 スマホ片手に、光葉が言う。


 全く。


 最近の女子高生には冗談も通じないのか。


 というかさっきのはそういうノリじゃなかったのか。


 うーん、こういう風に空気を読み違えるから俺はいつまでも陰キャなんだろうな。


 良い教訓になった。覚えておこう。


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