家族にはなれないけれど
セツナ
家族にはなれないけれど
雨がザーザーと強い音を立てて降っていた。
降っている、と言うよりはもはや、身体に穴を開けようとするかのような強さの雨だった。
俺はただ茫然とそれを一身に受けていた。
たった今、目の前で好きだった相手にこっぴどくフラれた今、多少雨に濡れるくらいどうってことない。
帰宅した頃にはきっとびしょ濡れで、濡れた身体を億劫にも思うかもしれない。
それでも今はこの雨に濡れていたかった。
***
好きだった人にフラれて見事に風邪を引いた俺は、風邪が治った瞬間、暴飲暴食を繰り返した。
世間はすっかり秋になっていたので、これは食欲の秋だから。なんて心の中で言い訳をしながら、食事をとり続けた。
食べ放題のファミリー向け焼肉屋で、元を取るために散々食べるだけ食べた後、帰宅している道中で俺は急に気持ちが悪くなってしまった。
道端の電柱に片手をついて口元を抑えてうめき声をあげていると、後ろから声をかけられた。
「大丈夫かい?」
ゆっくりと振り返ると、そこには俺の腹の位置くらいまでしか身長がないような、小さなおばあちゃんが立っていた。
「あ、あぁ……大丈夫で――うくっ」
大丈夫だと言いかけて、迫り上がってきた吐き気に口元を抑える。
おばあちゃんはそんな俺に近寄ってきて、背中を優しくさすってくれた。
「大丈夫じゃないだろう。うちはすぐそこだから少し来なさい」
断る間もなく、背中を押しながらおばあちゃんの家に連れて行かれる。
2分も歩かなかったので、すぐ近所だったのだろう。
開け放たれた玄関内、段差に腰掛けると世界が一気に低くなり、再び気持ちが悪くなる。
胸をさすって吐き気を逃がそうとする俺の背中を、小走りでやってきたおばあちゃんが撫でてくれる。
「ほら、これ。胃薬。飲みなぁ」
言って、差し出された粉薬を同じく持ってきてもらった水で流し込む。
舌に乗る薬は苦味が強く、俺の脳内には『良薬口に苦し』という言葉が浮かんだ。
「ありがとう、ございます……」
お礼を伝えると、おばあちゃんは「いいんだよ」と笑った。
「これ食べなぁ」
そして、どこから持ってきたのか、柿を一つ俺に手渡した。
そこでようやく、俺は食欲の秋とかいうくせに、秋の味覚は食べていなかった事に気付いた。
柿を受け取りながら、俺はなんとお礼を言えばいいのか分からず、ただ「ありがとうございます」と伝えることしか出来なかった。
***
柿と薬のお礼にと、俺を助けてくれた恩人の元に足を運ぶと、おばあちゃん――ウメさんというらしい――は嬉しそうに俺を迎えいれ、手土産のお菓子と一緒にその倍ほどの量の茶菓子と温かいお茶をいれてくれた。
そこから、俺とウメさんは色んな話をする茶飲み友達になった。
会社の愚痴、朝の井戸端会議の内容、彼女が出来ない虚しさ、1人のご飯の寂しさ。
「彼女が出来たら結婚したいんだ」
「それは彼女とあなたで決める事でしょうよぉ」
「そうなんだけどさ、俺は家族が欲しいんだ」
「そうだねぇ」
俺が恋人が、家族が欲しいという度にウメさんは複雑な表情を浮かべた。
「ウメさんは、旦那さんとか居ないの?」
ウメさんの住む家は立派な一軒家なのに、彼女は1人で暮らしている。
とても素敵な家だが、彼女にはきっとここは広すぎるだろう。
「いたんだがねぇ」
ウメさんは、そう言ったきり言葉が止まる。
きっと難しい話なんだろう、と思って俺は言葉を待つ。
「法隆寺でプロポーズをしてくれたんだよ」
「法隆寺って、あの?」
「そうだよ、不器用で優しい人だったよ」
ウメさんは旦那さんの事をそう言った上で、しばらく黙り込んだ。
そして、少し考えた後にポツリと呟くように言った。
「私には子どもが居なくてねぇ。あなたが居てくれてとても嬉しいのよ」
そんなウメさんの言葉が、やけに俺の胸に響いて泣きそうになった。
俺は家族の温かさを知らないまま、大人になってしまった。
だから、彼女の親族のような温もりが嬉しかったのだ。
「俺も嬉しいよ」
ぽつりと俺がいうと、ウメさんは顔中をしわくちゃにしながら笑った。
***
ウメさんが倒れたのは、そんな会話から程なくしてだった。
いつものようにウメさんの家に茶菓子を持って行くと、玄関先に町内会の会長である初老の男性が立っていて、案外あっけなく病院を教えてくれた。
ウメさんは俺の事を井戸端会議で話していたらしい。恥ずかしいけれど、どこかこそばゆい嬉しさがある。
病室に行くと、ウメさんは白いベッドに横になっていて、元気そうなのにどこか不安になってしまった。
「ちょっと持病がね」
と、言ったきりウメさんは身体のことは語らなかった。
代わりに俺に向き直って、
「あのな、私旦那にまた会いたいのさ」
悲しそうに目を伏せるウメさん。
俺はウメさんが、旦那さんの事をまだ愛していると分かっていたから、ただ「分かった」と頷いた。
「旦那さんは今どこにいるか分かるの?」
尋ねるとウメさんは窓の外を見つめて「奈良さね」と呟いた。
俺はすぐに上司に電話し、3日ほど有給休暇を取る旨を伝えた。
そして、休暇の初日には俺は一度も言ったことのない関西行きの飛行機に乗っていて、昼には奈良駅の改札を出ていた。
奈良どころか、関西に足を踏み入れたのも初めての俺にとっては、飛行機を自分で予約したのだって初めてだし、電車などの接続を調べたのも初めてだ。
改札を出てウメさんの住んでいたという場所まで、バスに乗っていくことにする。
久しぶりの移動で疲れたのか、バスに揺られるうちにうたたねをしてしまい、慌てて降車ボタンを押して急いでバスを降りた。
バスを降り、スマホのマップで現在地を調べてみる。ここがどこなのか、目的地までの距離なども何もわからない。
バタバタとカバンを漁ったり、スマホで調べたりしていると誰かに裾を引っ張られるような感覚があった。
なんだろう、とそちらに目をやると……鹿が俺の服をおやつでも食べるかのようにもぐもぐと咀嚼していた。
「ひぇえっ!」
ビックリして声を上げた俺の服から口を話した鹿だったが、その顔はなぜか笑っているように見えて、むかついた。
それでも服を食べようとする鹿の猛攻撃をよけつつ、俺はもう一度バスに乗ることにした。
今度こそ寝てしまわないように、ウメさんの旦那さんを探しに行く旅を再開したのだった。
***
スマホに残しているウメさんが住んでいたという住所にたどり着いたのは夕方になってからだった。
彼女が旦那さんと住んでいたのだと教えてくれたアパートは既に取り壊されていて、今は立派なマンションが建っていた。
早速手がかりを失った俺は、近くに店を構えている居酒屋に足を向けた。
ここもウメさんが旦那さんとよく来ていた居酒屋だと話を聞いていたからだ。
――カラン。
客の入店を知らせる軽快な鈴の音を耳にしたのか、まだ扉を半分も開けていないのに、奥から男性の「いらっしゃい」というよく通る太い声が俺を出迎えてきた。
店主と思われる体格のいい男性に、頭を下げるとカウンター席に腰を下ろした。
すかさず店主が俺にお通しを持ってきてくれたので、飲み物の注文とともに彼に尋ねてみることにした。
「シゲさんって知ってますか?」
すると、店主は一瞬いぶかしむような表情を浮かべたので「あ、ウメさんという女性に言われてきたんです」と付け加えた。
ウメさんの名前を聞いた瞬間、店主は「ほう、なるほど」と懐かしそうな顔をして、店の隅の座敷席を指さした。
「シゲさんなら、あそこにいるよ」
と言って、注文を作りに下がった。
俺はお通しをもってシゲさんの居る座席の正面に座った。
「なんだぁ?」
店内のテレビを見ながら酒をあおっていたシゲさんは、俺の姿を見ると眉をひそめた。
俺みたいな若造に用はない、というような感じだ。
「ウメさんって知ってますか?」
シゲさんの顔を見つめたまま、俺がそう尋ねると彼はひそめた眉の先をピクリと動かした。
「知ってるが、なんでお前みたいなやつに――」
言いかけて、シゲさんは「まさか」と口を開けた。
「あいつ、再婚したのか」
そんな見当違いな事を言い出すシゲさんに、俺は叫びたい気持ちになった。
「馬鹿なことを言うなよ。ウメさんはずっとあんたの事が好きなんだぞ」
「……だから、なんだってんだよ」
お前には関係ないだろ、と全身で拒絶してくるようなシゲさんの態度に、俺は口を開いた。
「ウメさんが倒れたんだ」
その声はきっと震えているだろうと、自分でもわかってしまうほどに、悔しさと歯がゆさでいっぱいだった。
なんでこいつは、こんなに苦しんでるウメさんの事をわかってくれないんだ。
こんなに遠く離れた場所に来て、ウメさんをあんな場所に一人ぼっちにさせて。
「ウメさんは、あんたに最期に一目会いたいって言ってた」
辛い気持ちを嚙み締めた歯の隙間から漏れ出るような声で、俺はそう続けた。
シゲさんは一瞬、ショックを受けたような顔をして「そうか」と悲しそうに目を伏せた。
「だから、ウメさんに――」
そう頭を下げようとしている俺の言葉に重ねるようにして、シゲさんは言った。
「ワシは行かんよ」
思いもよらない言葉に、俺は唖然とした。
「なんでだよ!」
「ワシが……ワシなんかは、もう二度とウメに顔向けなんてできないんだ」
そんな弱気なシゲさんの言葉が頭にくる。
感情に任せて声を上げようとした瞬間、横から伸びてくる手があった。
「おまちどうさんです」
店主が先ほど頼んだお酒を持ってきてくれたらしい。
しかし、彼の持っているお酒は俺が頼んだものではなく、麦焼酎のビンだった。
「兄ちゃん達、酒が足りてないんじゃねぇんですかい?」
店主の持ってきた酒のグラスをシゲさんに渡し、それに焼酎を注ぐ。
シゲさんもおとなしく酌を受け、二人で酒を酌み交わしていく。
そんな時間とお酒が進むうちに、シゲさんが色々とぽつぽつと話してくれるようになった。
「ウメの奴は本当にいい女だったよ。生きるのがへたくそな俺を、何時も支えてくれて」
「でも、俺は一度過ちを犯してしまったんだ」
「そんな俺が、ウメに顔向けなんてできるはずもなくて、ここまで逃げてきちまったんだ」
「俺は弱い人間だ」
そう言葉を漏らすシゲさんは、弱音を吐くたびに身体が小さくなっていくようだった。
俺はウメさんに恩を感じていたし、幸せになってほしいと思うほどに、大切に思っていた。
しかし、こうして話をしていくうちにシゲさんにも同じくらいの情が沸いてしまった。
どうしてこの二人はこんなにお互いを思っているのに、上手くいかないんだろう。
「いいから、会いに行こうよ」
だから俺は、シゲさんにそう言った。
「ウメさんがあんたに会いたい、って言ってんだよ。惚れた女が、大切に思っている女が会いたいって言ってんだよ」
驚いたようにこちらを見ているシゲさんの目を正面から見て、俺は言った。
「だからシゲさん、ウメさんに会いに行こうよ」
俺はそういうと、シゲさんは小さく「おうよ」と頷いた。
***
シゲさんより一足先に自分の地元に戻った俺は、ウメさんの病室に居た。
シゲさんが指定した時間が近付いてくるにつれ、変にそわそわし出した俺に釣られて、理由を察したのかウメさんも落ち着かない様子だった。
15時。病室の外、ナースルームにかけられた時計からオルゴールの音が鳴り響く。
それを合図にするかのように、病室の扉が数回ノックされた。
「はい」
ウメさんに代わり、俺が返事をするとそこには――鹿の頭部を模した被り物を被った男がいた。
まぁ、十中八九シゲさんなんだけど。っていうか……
「いや、そこは馬じゃ無いのかよ!」
俺はついそう言ってしまうが、それに負けじとシゲさんは「奈良には鹿しかないんじゃ!」と反論する。
そんな騒動を聞きつけたナース主任のおばさんが、ウメさんの病室まで怒鳴り込んできた。
「うるさいですよ! 静かにしてください!」
大の大人なのに叱られてしまって、俺とシゲさんは肩を落とすが、ウメさんをチラリと盗み見るととても嬉しそうに顔を綻ばせていた。
あぁ、本当にウメさんはシゲさんが好きなんだなぁ、とそれを見て実感した。
恥ずかしそうにウメさんの元に歩み寄ってくるシゲさんも、照れくさそうではあるが、それでもウメさんに負けないくらい嬉しそうな顔をしていて、とても微笑ましかった。
「来てくれたんですね」
「呼ばれたからな」
「嬉しいです」
「……すまんな」
「何がですか?」
「今まで酷い事をしてきた」
「そんな事、いいんですよぉ」
ウメさんの言葉に、シゲさんは涙を浮かべて、それにつられるようにウメさんの声にも涙が滲んでいく。
「あなたが会いに来てくれただけで、私はいいんです」
ウメさんのその言葉で、シゲはんは更に堪えきれなくなったようで、目頭を抑えた。
その状態のまま沈黙が降りた病室の空気を、最初に破ったのはウメさんだった。
「ところで、その紙袋はなんですか?」
シゲさんは取り外した鹿のお面を抱えている方とは逆の手に紙袋を持っていた。
「よもぎ饅頭だ」
シゲさんはそう言って、ウメさんのベット脇のサイドテーブルに紙袋から取り出したよもぎ饅頭の箱を置いた。
「お前はよく昼に食べてただろう」
シゲさんの言葉で、俺は彼がこの時間にお見舞いに来た理由がわかった。
きっと、シゲさんとウメさんにとってお昼のおやつの時間は大切な時間だったのだろう。
俺はいつもお昼時にウメさんの家に行くたびに、頂いていたお菓子とお茶を思い出す。
「ありがとうございます」
ウメさんはとても嬉しそうに微笑み、よもぎ餅を一つ手に取る。
シゲさんもそれを柔らかいまなざしで見つめていて、その様子を見届けて俺はその場を去ることにした。
病院から自宅へ帰る街並みは、すっかりと落ち葉で埋まっていて、もう秋も終わるのだと知る。
そして俺は、風が運んでいく落ち葉たちを目で追いかけながら、シゲさんとウメさんの幸せを願った。
俺もああいう風に、誰かを愛することができればいいな。
まだ見ぬ相手に思いをはせて、歩く遊歩道は少し寒いけれど、とても心地が良かった。
-END-
家族にはなれないけれど セツナ @setuna30
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