第34話 一人は寂しい
目が覚めたら夜の八時を回っていた。あれから、夢も見ずにぐっすりと寝ていたらしい。
二人が帰って緊張の糸が解けた私は、テーブルに残された空の湯呑みを片付ける気力もわかず、自分の部屋のベッドに倒れこんで寝てしまった。
夕食を取るためにリビングに行くと、当然、三人分の湯呑がテーブルの上に置かれたままだ。仕方なく、湯呑をシンクにもっていき、スポンジで洗い始める。
「こんな展開を私は望んでいたのだろうか」
一人つぶやいてみても、当然、一人暮らしのアラフォーの家では返答が来るはずがない。ただ、湯呑の泡を洗い流す水の音が響いているだけだ。わかってはいても、それが急に一人暮らしの寂しさを改めて感じさせた。
「一人で生きていくと決めたのに、あいつらのせいで……」
あの夫婦の会話は、緊迫していようが、聞いていてひやひやするものであろうが、人間同士の会話だった。普段、一人で自分の部屋で仕事をすることの多い私にとって、それがどんなものであれ、今考えれば私が手に入らなかったものだ。
この年になって、一人の寂しさに耐え切れなくなったのだろうか。たかが家に招いた迷惑夫婦が帰っただけだ。しかも、彼らは私の関係ないところで離婚を成立させようとしている。いや、多少は私が関係しているのかもしれないが、勝手に話しは進められた。私の家は、二人で話すための逢引き場所にでも使われたかのような扱いだった。
「はあ。考えるのはよそう。今日の夕食は何にしようかな」
夕食のメニューを考え出したとたん、空腹を知らせる音が腹から響きだした。
「お腹が減っているから、変な考えが頭に湧いてくるんだ。とりあえず、何か食べて気分転換しよう」
精神的に疲れていたので、料理を作ることをあきらめ、簡単に済ませることにした。常備していたカップラーメンを戸棚から取り出す。蓋をはがして、ポットのお湯を注いで三分待つ。
一人暮らしが際立つ食事に、余計に一人の寂しさやむなしさがこみ上げて気分が滅入ってくる。とはいえ、今は悠長に昼食を作る気にもなれなかった。
「いただきます」
三分が立ち、カップラーメンを食べ始める。インスタントと言えども、温かい食事である。腹に食べ物を入れたら、少し気分が落ち着いた。あっという間に食事を終えると、ようやく先ほど帰った彼らの会話を冷静に振り返る余裕ができた。
「REONAさんは、私に執着しているようだったけど、あれを本気にしていいのだろうか」
話の後半で、REONAさんは私のことが「好き」みたいな発言をしていた。つまり、私に告白してきた。男の方はその発言に対して、どういう反応をしていたか。思い出してみるが、男の方は大して驚いていなかった気がする。いや、最初は驚いていたが、次第に納得したような表情になっていたはずだ。
「えっ、ということは、私はREONAさんにマジの告白をされたということか」
いやいや、人生で一度も告白などと言う、リア充イベントに遭遇したことのない私に、そんな奇跡みたいなことが起こりえるのだろうか。しかも、男性ではなく、女性から告白されてしまった。それも、元とは言え芸能人で、しかも私が好きな歌手である。
「だとしたら、私は彼女の告白をバッサリと切り捨ててしまった、とういことか……」
あんな美人な元芸能人の告白に、一般人にほんの少し毛が生えたような人間が応えなかった。「嫌です」の一言で断ってしまった。これは由々しき事態となった。
「断ったらまずかったかなあ。『考えます』とか言って、保留でもよかったかも」
こんなプライベートなことを誰かに相談してもいいだろうか。誰かと言っても、相談できる相手など一人しかいないが。
「ううん」
悩んでいるうちに、眠気が襲ってきた。先ほどまでぐっすり寝ていたのに、よほど疲れているのだろう。夕食を取ったせいで眠気が襲ってきたのかもしれない。身を任せてもいいが、最近、同じ展開を繰り返している。
寝てばかりいたら、自分が社会から外れた社会不適合者だと思われてしまう。誰も、他人の睡眠事情など気にしないだろうが、私が気になるのだ。
「でもまあいいか。別に世間に迷惑をかけているわけでもないし、これでもきちんと仕事して税金も納めているし」
そうは言っても、さすがに今回は眠気に身体を任せることはしなかった。
「いやいや、今はダメだ。仕事を思い出した」
締め切りが近づいているエッセイがあるのをすっかり忘れていた。眠い目をこすりつつ、カップラーメンの汁をシンクに流し、空容器をゴミ箱に捨てる。
眠るためではなく、仕事をするために自分の部屋のパソコンの電源を入れ、眠気と闘いながら原稿を執筆して、日付が終わるころ、ようやく仕事に目途がつく。
こうして、怒涛の一日は終わった。
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