第25話 いい加減、帰ります

「あら、タイミングがいいわね。ちょうど柚子が出る組が始まったわ」


 ここから抜け出すタイミングを失くしてしまった。まさか、ここで彼らにまた会うとは最悪だ。柚子の応援はもちろんしたかったが、彼らに再び会いたくはなかった。


 柚子の応援をしたいという気持ちは、翔琉君の両親の再登場により失われていく。柚子には悪いが、彼女の応援をせずに、今すぐ家に帰りたくなった。


 しかし、深波や翔琉君に応援していけばという言葉を思い出す。彼らは私の姿を見て嬉しそうに微笑んでいた。そんな彼らを裏切ってもいいものだろうか。


 抜け出すタイミングは逃したが、そもそも今日の本来の目的は、柚子たちの応援がメインで、それに翔琉君の両親との話し合いが含まれていた。一番の目的は彼らの応援だ。自分の中で意見が行ったり来たりして、今日の私の心は忙しい。


 とはいえ、最終的に私はそのままこの場に残り、柚子の応援に専念することにした。あの男と一緒に居たくはないが、今は周りに大勢の人がいる。隣に心強い味方の妹もいる。柚子たちの笑顔を思い出すことで、あの男と一緒に居ることを我慢することにした。



「ゆずー!頑張れー」


 柚子の方も、翔琉君に負けず劣らず運動神経はいいようだった。網をくぐり、袋を足に入れて飛び跳ね、どんどん他の競技者との距離を離していく。このままいけば、ぶっちぎりの一位を取りそうだ。


 思わず、周りの応援も気にせず、大声で彼女のことを呼んでしまう。自分の娘とは世間には言えないけれど、彼女が私の娘であることに変わりはない。そんな彼女が一生懸命競技に取り組む姿に感動してしまった。


 私の娘はそのまま一位でゴールした。私の声は聞こえただろうか。聞こえなくてもいい。今日はとてもいいものを見せてもらった。これで、心置きなく家に帰ることができる。今度こそ家に帰ることができると、校庭に背を向けたが、まだまだ私は高校から出られないらしい。


「あ、あの先生、その」


「いやいや、柚子はすごいですね。ああ、翔琉君もすごかったですよ。ああああ、急に具合が悪くなってきました。いきなり大声を出したのがよくなかったんですね。よくなったと思ったのですが、これはもう、おとなしく家に帰るしかありませんね。ほら、ちょうど昼休憩になりますよ。翔琉君たちは親子水入らず、ゆっくりと昼食を取ったらどうですか?柚子も深波と一緒にお弁当を食べるといいよ」


 REONAさんの申し訳なさそうな声にひるんでいてはいけない。私は何とか家に帰る言い訳を早口で話しながら、一歩一歩校庭から距離を取っていく。彼らの後ろには競技を終えた柚子が、私たちの方に向かって歩いてきていた。


「ああ、思い出しました。具合が悪いというのは本当ですけど、今日は担当者さんと打ち合わせしなくてはいけない用事もありました。あああああ、電話もかかってきていました。ということで皆さん、今日はこれにて失礼させていただきます!」


「そ、そうだったんだ。ごめんね。お姉ちゃんが打合わせだったの、すっかり忘れていた。午前中だけ暇だって言っていたもんね。あとは、私が柚子の応援をしておくよ。ついでに写真もたくさん撮っておくから。また明日にでも、柚子の体育祭のこと、沢山話そうね」


「どうしても、先生と話したいのですが、今日は無理そうですね。お仕事なら仕方ありません」


「そうですよ、あなた。私たちも今日は翔琉の応援に来ているのですから、そちらに集中しましょう」


 編集者の加藤さんには悪いが、彼女のせいにして帰ることにした。三人が何か言っていたが、その場にいる彼らの反応をうかがうことなく、彼らを背に一気に走り出す。追いかけてきたら、追い付かれてしまうほどののろまな走りだと自覚しているが、それでも重たい足を懸命に動かして、必死に校門に向かって走った。



 校門を抜けて、駅まで何とか走り続けていたが、後ろから誰かが追ってくる気配はない。駅までは歩いて十分ほどかかる。そこを走ってきたのだから、改札を抜けて駅のホームに着くころには、身体中から汗が吹き出し、来ていた服がびっしょりと濡れてしまった。息も切れ切れで、はたからみたら、変なおばさんにしか見えないだろう。駅の構内掲示板を見ると、次の電車は十五分後に来るらしい。


「はあああ。ちょっと、ベンチに、座って、休もう」


 私はそのままベンチに座って息を整え、電車がやってくるとそのままそれに乗って、家に帰った。



 家に帰った私はすぐに、汗でぬれた身体をさっぱりさせるために、シャワーを浴びることにした。シャワーを浴びている最中に、改めて今日のことを振り返るが、どうにも身体的にも、精神的にも限界だったので、頭の中に靄がかかり、私の脳みそは考えることを拒否していた。


「今日はもう、休もう。うん、いったん寝よう」


 ようやく身体がさっぱりした私は、カバンからスマホを取り出したが、画面を見る気力は湧かず、そのままベッドに倒れこむ。そしてそのまま、夢も見ることなく、夕方までぐっすりと寝てしまった。


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