第16話 変化の年

 彼女を家に招き入れ、リビングに案内してイスを勧める。緊張が解けたのか、彼女はドサッとイスに座り込む。


「柚子にとって、本当のお母さんっていうのは、血のつながりがあるということ?」


 家に上げたのに、なぜか今度は黙ってしまった柚子に、仕方なく、私の方から話を切り出す。九月に入ったとはいえ、外はまだまだ残暑が厳しい。柚子の額に流れる汗を見ながら、少しでも身体が冷えるように冷たい麦茶を差し出す。


「当たり前でしょう!こんなに近くに本当のお母さんがいたのに、どうして私はあなたに育ててもらえなかったの?私はいらない子供だったの!私は、私は……」


 受け取った麦茶を一気に飲み干し、彼女は突然、感情的に言葉を吐きだした。そんな様子を見ていると、逆に私の方は頭が冷静になってくる。


「いらない子供だったら、わざわざ妹に預けないよ。ただ、私には事情があった。それでも、近くであなたの成長を見たいから、妹に無理を承知で頼み込んだの。深波の子供として育てて欲しい。そして、柚子の顔を見せに来て欲しいって」



「嘘。そんなの嘘だ!だったらなんで、私に本当のことを隠していたの?もっと早く私にそのことを話していたら、こんなみじめな気分にならなかった。他人から、いや付き合うことになった恋人から聞くことはなかった!」


 柚子が飲み干したグラスを勢いよく机の上に置く。顔を赤くして興奮気味に私を睨みつける。私に怒りをぶつけているのだろうか。しかし、言葉の端々に悲しみが透けて見える。


「そんなこと言われても、私だって本当のことを柚子に話すのか、ずいぶん迷ったよ。いつまでも秘密にできることではないと思っていたし。秘密を先延ばしにすると言っても、柚子が成人するころには話そうと覚悟を決めていた」


 そう、最初はそのつもりだった。もう少し、自由に普通の家庭の子供として何も知らずにのびのびと育って欲しかった。それが今、崩れ去ろうとしている。結局、これも運命だったということだ。しかし、まさか彼女の出生の秘密が、あの男の息子からばれたというのは皮肉なものだ。


 それにしても、柚子の口から聞き捨てならない言葉が発せられた。『恋人から自分の出生の秘密を聞かされ』とは。私の家に二人で来なかった割には、ずいぶんと二人の距離は縮んでいたようだ。


「翔琉君から聞いたみたいだけど、そうなると、柚子は彼との関係を見直す必要が出てくるね。何せ、聞いたならわかると思うけど、あなたたち二人は、異母きょう」


「認めない!だってそうなったら、私たちは」


「恋人同士はまずいね。ああ、この際だから直接聞くことにするけど、来月の体育祭の件、私も応援に行ってもいいかな。秘密を知ってしまったついでに、私の依頼にも付き合ってもらえると嬉しい」


 柚子には悪いが、体育祭の応援の許可を取る必要性を思い出す。さすがに許可も取らずに私が高校に現れたら、驚き困惑するだろう。それに、私は一応、書籍化もされ、コミカライズ、さらにはアニメ化も果たした有名作家である。自分でいうのもおこがましいが、サイン会も実施したことがある。私はただの四十代のおばさんではないのだ。もし、突然高校に行くとなれば、混乱を招く恐れがある。


「さっそく、私の母親を気取るつもり?それとも、彼の両親を訴える?自分も手を出されたのに、結婚をしたのはREONAだって、裁判でも起こすの?」


「やってもいいけど、面倒くさいね。そんなことをしても、きっとあの男は反省しない。逆に柚子や翔琉君、REONAさんの立場がなくなるよ。お金も必要だし、裁判のための証拠集めだって必要になる。デメリットしかないと思うよ」


「じゃあなんで、彼の依頼を受けたの?依頼を受けて、不倫が確定した時のこと考えているの?離婚になるかもしれないんだよ」


「いいんじゃないの?彼もそのことを視野に入れているかもしれないし」


 柚子の言っていることは一理ある。翔琉君から依頼されたのは、両親の不倫調査だった。どちらが不倫をしているのかと尋ねたら、父親の方だと回答を得た。


 父親、つまり柚子の本当の父親が、今の奥方、つまり翔琉君の母親であるREONAさんが居るにも関わらず不倫している。もしそうだとしたら、これは更生の余地なしのクズ男だ。翔琉君が高校生になるまで隠しきれていたのか、REONAさんが我慢していたのかわからないが、あちらの家族も、そろそろ我慢の限界が来ているのかもしれない。


「それで、話は戻すけど、体育祭、私も柚子たちの応援に行ってもいい?」


 それてしまった話を戻すために柚子に問いかけると、あきらめに似た表情で答えが返ってきた。その答えを聞いた私は、さっそく頭の中で、ある計画を立てることにした。



 翔琉君の両親、つまりあの男とREONAさんの浮気調査をしなくてはいけないが、そればかりに気を取られていてはいけない。自分の仕事のことも大切だ。彼らのことを考えつつも、私は仕事の方も通常通りにこなしていた。


 柚子が突然、私の家に押し掛けてきた日、彼女が私との関係を知ったきっかけなどは、本人から直接聞くことは叶わなかった。翔琉君経由であるが、どこからそんな話題に発展したのか気になる。


 とうとう、柚子と翔琉君は恋人同士になってしまった。私の予想していたことが現実となった。秘密を知ってしまった以上、今までの関係ではいられない。今年は変化の年だ。翔琉君たちの家族関係も変わろうとしている。



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