第5話 不穏な気配
あれから、私は暇さえあれば、柚子から借りた写真を眺めている。渡してくれた写真には柚子はもちろん、柚子と今年一年を共にするクラスメイトが四十人ほど映っていた。
「これが翔琉だよ。そして、これが私の担任。それから、お母さんが、これも一緒に見せた方がいいよって」
一枚は入学式のクラス写真、もう一枚は、深波が気を聞かせてくれたのか、あの男の妻である元アニソン歌手のREONAと一緒に、校門横の入学式の看板前で取られた翔琉君の写真だった。
「たまたま、翔琉たちの近くにいたのが私たちで、お母さんが彼らの写真を撮ったんだよ。それで、無理を言って写真をもらったんだって」
「私の妹、おそるべし……」
妹のおかげで、翔琉君のお母さんの今を知ることができた。彼女は息子の妊娠が確定すると、芸能界を引退すると発表した。そのため、今ではメディアで彼女を見かけることはない。写真の中のREONAさんは、実年齢よりもかなり若く見えた。さすが元芸能人と言えよう。その隣に映る翔琉君も、彼らの遺伝を受け継いでいた。写真の中のREONAさんの表情は作り物のような笑顔、息子もむっつりとしていて、どうにも仲が良くなさそうな雰囲気を醸し出していた。
桜は散りかけだったらしく、地面に桜の花びらが散乱していたが、それが春らしさを演出しているとも言えた。
「これって、どう考えても、何も起きないわけないよねえ?」
柚子や深波の言う通り、あの男の息子はイケメンだった。声は確認することはできないが、顔は父親似だと言えるだろう。サラサラの色素の薄い焦げ茶色の髪に、ぱっちりとした二重、身長はそこまで高いとも言えなかったが、これから伸びるのだろう。母親の血もしっかりと受け継いでいて、意志の強そうな瞳がそっくりだった。ここまで似ているのなら、声は良いに決まっているし、歌もうまいに違いない。
写真を見ながら、そのたびに大きなため息がこぼれてしまう。悪く言えば、一夜の過ちでできた子供と、本妻の子供。父親と血のつながった兄妹を私は目の前で見ることになるのだ。もしかしたら、私の将来の旦那になりうる存在だった男の子供と会うのだ。気分が乗るわけがない。
話はそれだけでは終わらなかった。私の運命がどんどん悪い方向に転がっているように錯覚してしまう。
「私の叔母さんが小説家をしているって話になって、翔琉が沙頼さんの作品のファンだって教えてくれたの。そうしたら、翔琉の両親もファンなんだってさ。なんでも、沙頼さんのアニメ化もした作品の悪役をお父さんが、お母さんはOP(オープニング)を歌ったとか言っていたよ。そこで二人は知り合って愛を深めて、めでたく結婚という流れになったみたい」
「ああ、そういうこともあったねえ。もう、十五年も前のことだから、すっかり忘れていたよ。彼らにも息子ができて、その息子が柚子と出会うなんて、人の縁とは面白いものだねえ」
「なんか、棒読みなんだけど、その時何かあったの?普通、そんな有名人二人と仕事をしたんなら、もっと嬉しそうにするでしょ」
私の遠い目をしながらの発言に、柚子が不思議そうに首をかしげている。確かに自分の作品がアニメ化されて、大物二人に作品に出てもらえるというのは、とてもうれしいものだ。その当時を嬉しそうに回想するのは普通だともいえる。
しかし、そんな嬉しそうに当時を懐かしむことができない事情が、私にはあるのだ。
写真を貸してくれると言って、私の家にいつものようにやってきた柚子が話してくれたのは、思い出したくもない、私から見たら、終わった話だった。私の初のアニメ化作品の悪役をやったのは神永さんであり、OPを歌ってくれたのはREONAさんで間違いはない。とはいえ、そんな二人の話を私にして、いったい柚子は何がしたいのだろうか。あの当時を思い出すと、いまだに胸が痛い。
「同じ現場で恋が芽生えたって、なんだかそれだけで羨ましい気がする」
顔を赤らめて、翔琉君の両親を想像している柚子の顔は、とても愛おしいものだった。本来なら、私の娘として一緒に生活をしていたはずだった。この話も叔母として聞くのではなく、親として聞きたかった。とはいえ、親として聞くとしたら、それはそれでどうにも気分が滅入ってしまいそうである。とりあえず、出会い云々の話はその辺にしておくことにして、彼女が言いたいことをさっさと聞くことにする。
「翔琉君の両親の話を持ち出して、私に何か彼らのことで頼みたいことでもあるの?自分の片思い相手の両親のことを話すなんて、普通はあんまり聞かないけど」
「えっと、その、ほら、翔琉の両親も沙頼さんの作品のファンで、彼が私に会えると話したら、我々もぜひ会ってみたいって言ったみたいで……」
私が知らず知らずのうちに、険しい顔をしていたようで、柚子の発した言葉は尻すぼみに小さくなっていく。そんな様子も可愛らしいと微笑むことができたら、どれだけ楽だっただろう。この状況で微笑むことは私には不可能だった。代わりに自分でもぞっとするような低い返事をしてしまう。
「それは無理。私の家に招待するのは、翔琉君っていう、柚子のクラスメイトの男子だけ。それ以外は認めない。ファンだからって、そうやすやすと私に会えると思っているのが、腹が立つ。自分たちが有名人だから、私が尻尾を振って喜んでお会いしますとでも?バカバカしい。そんなミーハーな時代はとっくに終わったんだよ。くそが」
「さ、沙頼さ、ん?」
「ああ、もし、どうしてもっていうのなら、彼らとは別の機会に設けてもいいかもね。あれからもう、十五年もたつし。いつまでも過去にとらわれているのは、何だか気分が悪いし。うん、それがいいかもしれない」
ちらりと柚子の様子をうかがうと、私を怖がっているようだ。私を呼ぶ声が震えている。そんな彼女にある選択をゆだねることにした。
「ねえ、柚子。あなた、自分のルーツに興味はある?もし、知りたいのなら、教えてあげてもいい。あなたの本当のルーツ、教えてもいいよ」
もちろん、彼女の本当のルーツを知ることは、彼女にとってプラスになるか、マイナスになるのかわからない。むしろ、マイナス側になることを私は予測している。
「ただし、生半可な覚悟で知りたいなんて口にしないように。知ってしまったら最後、あなたはきっと今までのこの生活と決別しなければならない。今の生活を壊したくなかったら、それでいい。私の今話していることは、おばさんの戯言だと聞き流してね」
言いたいことを告げ、私はふと窓の外を眺めてみる。柚子から最初に彼らの息子の話を聞いたのがGW終わり。今は六月に入り、初夏の暑さが少しずつ身に染みてくる季節となった。空は澄み切った青空が広がり、私たちの今のテンションとは大違いだ。私と柚子の周りには暗いよどんだ空気が立ち込め、爽やかな夏空とは程遠い。どちらかと言うと、じめじめとした梅雨の時期に似たような空気である。
初夏が近いとはいえ、まずは梅雨が来る。じめじめした季節がもうすぐやってくる。
「その発言聞いて、断る人がいると思うの?」
外を眺めていたら、柚子の真剣みを帯びた声が耳に入り、彼女の方に視線を向ける。
「ううん。どうだろうね。これが物語の中だったら、確実に『ハイ』つまり、興味がある一択だよね。でも、ここは現実で、私はむしろ、ここまで聞いて、聞かないという選択肢を取る人がいてもいいと思うよ。人間、聞かなかった方がいいことも間々あるしね」
「ちょっと考えさせて」
柚子はなんだか思いつめた表情で私の家から出ていった。私としては、どちらでも構わない。興味を持って真実を知り、母親が私で父親があの声優の神永浩二だと知ること。翔琉と呼ばれる男子学生が実は異母兄妹であること。これらを知って、柚子がどういった行動をするのか、興味もあった。
選ばなかったとしても、いずれは通らなければならない道。このまま翔琉という存在と出会わなければ、今この時に必要はなかったのかもしれない。しかし、現実では、二人は出会い、柚子は恋に落ちた。
「事実は小説より奇なり」
本当にこの言葉通りである。私は柚子との会話に思いをはせながら、今日も翔琉という男子との邂逅のシミュレーションに勤しむのだった。
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