第3話 姪が高校生になりました

 私から見て、「柚子」は姪ということになっている。妹の娘ということだ。とはいえ、実際にお腹を痛めて生んだのは妹ではない。生んだのが本当の母親というのならば、本当の母親はである。諸事情により、彼女に養子として育ててもらっている。


 柚子が生まれた時から、妹の深波に面倒を見ているため、本当の母親と言っても過言ではない。戸籍も妹の養子ということにしてもらった。私と妹は顔もよく似ていて、娘の柚子も私たちによく似ている。事情を知っている身内以外に、彼女が妹の本当の娘ではないことに気付かれたことはなかった。


 そんなこんなで、妹に娘を預けて早15年が過ぎ、柚子もこの春から高校生となった。このまま何事もなく過ぎていけば、成人したころ辺りに、私が本当の母親だと打ち明けてもいいだろうとは思っていた。


 しかし、ここで問題が発生した。それが先日、妹の深波からかかってきた一本の電話だった。


「先週、柚子の高校の入学式に参加したんだけど、そこに『彼女』が参列していたの。あいつの奥さんって、元有名アニソン歌手だったでしょ。テレビにもよく出ていたから、私も顔を覚えているから、間違いない」


 深波は、私たちの問題になりうる情報を丁寧に説明してくれた。


「彼女が柚子の高校の入学式に参列しているってことは、娘の学校に子供がいるってことでしょう?お姉ちゃんが柚子の高校に行くことはないから、よほどのことがない限り、問題は起きないと思うけど」


「それで、子供がどんな子か見てきたの?」


 説明を続ける妹の言葉を遮って、私はつい好奇心に負けて質問してしまう。結婚しているというのに、私に手を出してきた超人気声優。彼とその奥さん、元有名アニソン歌手の子供がいかほどの物か、気になってしまった。その父親とのことは、今この瞬間は忘れることにして、答えを待つ。電話の向こう側で大きなため息が聞こえる。


「はあ。気になるのはそこなの?もっとお姉ちゃんが気にするところはあるでしょう?高校に父親が出てくるかもしれないとか、近くで、偶然、出会って、修羅場になるとか!」


「そんなこと言ったって、彼女は私が不倫相手?浮気相手?だって知らないんだよ。あの男とは、あの飲み会で接触したのが初めてだったんだよ!私がそのせいで、妊娠したのだって知らないわけだし」


「だからって!」


「もう、そのことはいいでしょ。私が納得しているんだから。それで、やっぱり、彼女と彼との子供って、イケメン?それとも美少女?イケボ?」


「はあああああ」


 私の言葉に再度、大きなため息をつき、これ以上何を言っても、無駄だとあきらめに似た感じでしぶしぶ教えてくれた。なんだか言って、妹は私に甘いところがある。


「お姉ちゃんの想像通りで間違いないと思うよ。子供は男の子。父親に似たイケメンだね。将来さぞかし、女を食いまくるだろうことが想像できるわ。声はどうだろう。近くで聞いてないからわからない」


「うわあ。血は争えないということだね」


 そんな感じで、電話は終わりを告げた。どうやら、彼女にも用事があるようで、時計を確認して慌てた声を上げて、それじゃあと勝手に向こうから電話を切られてしまった。



 電話が終わり、私は机に腕を伸ばした。やはり、気にしていないとは言え、突如その話題が出ると、知らず知らずのうちに緊張してしまうようだ。肩が凝ったような気がして、ついでに肩をぐりぐりと回してみる。


「たとえ、柚子の学校に彼の息子がいたとして、会う確率なんてほとんどないでしょ。ましてや、あの男の子供は男、柚子は女。もし、偶然にも同じクラスだとしても、親しくなることはない。部活が奇跡的に同じだとしても同じこと。彼氏として深波の家に招いたとしても、私には関係ない。関係ないけど、それがきっかけで私の家にも来てしまったら」


 何とはなしに、彼の息子と柚子が親しくなる可能性について考えてみる。可能性は限りなく低いはずだ。柚子は父親にあまり似ていない。私や深波に似ていて、顔は普通だ。ブスでもないが、特別にかわいいとか美人というわけではない。性格も特にこれと言って悪いわけではないが、イケメンの男子生徒が気に入るようなものではない。


 こんなことを考えていても意味がない。結局は当人たちの問題だ。よほどの奇跡がない限り、私はこのまま、柚子の叔母として彼女をそばから見守るだけだ。とりあえず、高校生活を楽しんでくれるよう祈るだけである。


 しかし、私の楽観的な考えはすぐに覆されることになった。まさか、私がほとんどないと思っていた可能性の一つに柚子が当てはまってしまうとは、誰が想像しようか。そして、15年にもわたる平穏な生活は終わろうとしていた。



 高校生になっても、妹の深波が私に気を遣ってくれているのか、柚子が私の家に来る頻度は今までと変わらない。週に2~3回ほど、夕食を持ってくるという理由をつけて、家にやってきてくれる。そこで、彼女の高校生活を聞くのが、今の私の楽しみの一つだった。そして、貴重な生の高校生活は、私の小説の材料にもなっている。


「あのね、沙頼さん。私ね。お母さんにも言っていないんだけど……」


 深波から電話がかかってきてから初めて家にやってきた柚子は、珍しく、夕食を渡しても、すぐに私の家を去ろうとはしなかった。今はGWが開けた5月半ば。窓の外を見ると、桜はとっくに散り、新緑の緑の木々が青々としているのが見えた。


「お母さんにも秘密にしていることを私に話してくれるとは、よほど私は、柚子ちゃんに信頼されているということかな?」


 緑がきれいだなとどうでもいいことを思いつつも、柚子の深刻そうな表情が気になり、軽い返答をしてみた。母親にも言わないというということを私に話すというのは、どういうことだろうか。


「別に信頼しているとかではないけど、ただ」


「ただ?」


 途中で言葉を止めた柚子がちらちらと私を見ながら、言葉を続けようかと悩んでいた。ここまで聞いてしまって、聞かない道理はない。私は彼女の言葉を促すことにした。


「沙頼さんは、腐っても小説家でしょう?だから、こういう場合の対処の方法を聞けるかなって」


 顔を赤くして、ぼそぼそと話し出す彼女に、ついぽかんとしてしまう。確かに私は小説家としてお金をもらって生活をしている。とはいえ、私にそんなたいそうなアドバイスなどできるだろうか。まあ、話を聞かないことには何もわからない。高校生が抱える悩みだ。自分自身の高校生活を振り返りつつ、お得意の創造力を駆使して、大人のアドバイスをしてみよう。


 彼女の初々しい反応に気をよくした私は、いったい彼女がどん悩みを抱えているのか聞きだすことにした。どうせ、大したことはないだろうと高をくくっていたが、そこからまさかの展開となってしまった。



「あのね、学校で気になる男子がいて……」


 話し始めた彼女の顔は、完全に恋する乙女のそれだった。同じクラスの男子に興味を持つことは悪いことではないが、その相手が悪すぎた。普通だったら、彼女のクラスメイトの男子なんぞを知る機会はない。顔と名前が一致することもまずないだろう。それなのに、柚子の話を聞いていると、その特徴に当てはまる男子生徒が一人、頭の中に浮上する。


「その男の子、実は元アニソンシンガーと今も話題の超人気声優の子供なんだって。それで、親と比較されることが多いみたい。そのことで、悩んでいるみたいで、たまたま席が近くて、彼の話を何とはなしに聞いていたら」


「彼のことをうっかり好きになってしまったと」


「ううう」


 私が指摘すると、柚子は顔を両手で隠してうつむいた。手の間から見える顔は紅潮していて、恥ずかしがっているのが丸わかりだ。


 柚子の恥ずかしがる様子を見ても、心がほっこりとはならない。これは大変なことになりそうだ。自分が想像していた展開になってしまうとは思いもしなかった。柚子の言っている彼とは、確実に先日妹の深波が教えてくれた彼のことだ。そして、彼の父親は。


 私は内心の動揺を押し隠しつつ、無難な答えを口にする。そして、さりげなくその息子とやらの女性事情を聞いてみる。


「そうだねえ。恋に落ちるのは理屈じゃないっていうから、好きになってしまうのは仕方ないことだよ。でもさ、その子って芸能人の息子ってだけあって、女子にモテモテでしょう?その辺はどういう心境なの?」


 彼女の恋は応援するべきではない。もし、応援などしてしまい、めでたく恋人同士という展開になってしまったら。そんな恋人同士の彼らが私の家に来てしまったら。恋人の父親と私の関係を知られ、柚子が自分の出生の秘密を知ってしまったら。


 嫌なことばかりが頭に浮かんでは消えていく。それなら、いっそのこと、今のうちに悪い方向に行かないように、私が彼女をコントロールするべきか。いや、そんなことをしたところで、結ばれる運命だったなら、私のあがきも無意味になってしまう。


 とりあえず、柚子の恋の度合いを確認してみることにした。私の質問に困ったように笑いながらも、何かアドバイスをくれると期待しているのか、柚子は素直に答えてくれた。


「その辺は仕方ないとあきらめているよ。私だって芸能人の息子っていう部分に惹かれたところもあるし。でも、それ以上に、なんだか彼を放っておけないんだよね。なんていうか、弟みたいに思うときがあったり、なんとなく私に似たところがあるなあとか思ったり」


「オトウト、ニタトコロ……。ソレハ、ミジカニカンジルトイウコトデスカ?」


 彼女は無意識のうちに、私の秘密の核心に迫っている。似ているというのは、彼女の錯覚ではないだろう。なんと言っても、その芸能人の息子と柚子の父親は同じなのだ。半分血のつながった兄妹で、似ているところがあっても不思議ではないし、むしろ似ているところがあって当然だ。


「なんで急にカタコト?そんなことはどうでもいいでしょう?あのね、彼のことだけど、惹かれている部分もあって、つい安請負をしてしまったの。本題はむしろ、こっからなんだけど」


 次から次へと爆弾を投下しくる柚子に頭を抱えてしまう。私は未来予知者なのかもしれないと思えるほど、どんどん、私の想像は現実となりつつあったのだった。

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