第2話 あれから15年
「嫌な夢を見た」
朝、目覚ましの音で目覚めるが、最悪な夢を見てしまった。目覚ましのアラームを止め、辺りを見回す。特に変哲もない私が住んでいるマンションの寝室で、ようやく頭が正常に動き出す。
今朝見た夢は、夢というには、あまりにも現実味を帯びている。実際に、夢の内容は15年前の出来事をそのまま思い出したようなものだ。
「ピンポーン」
はあとため息をつきながら、パジャマから長袖Tシャツとスウェットに着替えていると、来客を知らせるインターホンが聞こえてくる。いったい朝から誰だろうと思いつつも、インターホンの画面を覗くと、そこに映っていたのは。
「ああ、今日は柚子(ゆず)がうちに来る日か」
私のよく似た顔をした少女が、マンションのエントランスホールで私の返答を待っていた。
「いつもありがとうね。お母さん、深波(みなみ)にお礼を言っておいてね」
「いえ、お母さんは、沙頼(さより)さんの食生活が不安だから気にしないでと言っていました」
「ああ、そう。妹は私に対して、どうにも過保護だからね。私がお姉さんだっていうのに」
家に少女をあげると、リビングの椅子に座るよう勧め、私は彼女に冷たい麦茶を出した。私の言葉に彼女は特に表情を変えなかったが、椅子に座り、グラスに口をつける。そして、一息ついたのか、母親からの言葉を律儀に私に伝えてきた。
「では、これが今日のご飯です。しっかりと渡しましたので、私はこれで失礼します」
私のために作ってくれた、料理が入ったタッパーをビニール袋に入ったままの状態で私に差し出す。妹の深波は、こうして週に二回ほど、娘の柚子を私のもとによこしてくれる。中を見ると、今日は肉じゃがのようだ。
娘の柚子は、私の家にご飯を届けてくれるが、渡し終えると、役目を果たしたとばかりにすぐに私の家から去ろうとする。今日もまた、麦茶の入ったグラスが空になると同時に席を立って、帰ろうとした。
「待って、待って。もう少し、私とお話ししてから帰らない?これから何か用事でもあるの?」
「いえ、用事はないですけど、家に帰って宿題をやったり、学校の授業の予習をしたりしたいので」
そのたびに私が引き留め、少しだけ彼女と話をするのがお約束となっている。大抵の場合、特に用事がないことが多い。彼女を引き留め、彼女の身の回りの出来事を聞くのが私の楽しみになりつつあった。
今日もこの後の予定を聞くと、そっけない返事だったが、予定がないとのことだった。私は、彼女と食べようと思っていたお菓子を戸棚から取り出した。
「昨日、編集者の人が旅行のお土産を買ってきてくれたの。たくさんもらったから、一緒に食べない?もちろん、深波や玲(れい)君、凛(りん)君、亮(りょう)さんの分もあるよ」
私の担当編集は、有休を使って北海道旅行に行ったらしく、お土産にチョコレートやら、クッキーやらを大量に私にくれた。妹家族に世話になっていることを知っていて、妹家族の分もということで、たくさんくれたのだ。別に娘の柚子と一緒にこの場で食べる必要はないが、話をしようといった手前、何もなしでは味気ないなと思い、一緒に食べながら話をしようと考えた。
ちなみに、玲君と燐君は柚子の二つ年上の双子の兄たちだ。亮さんは深波の旦那の名前である。
「お菓子を食べていく時間くらいはあります」
「ありがとう。どれを食べようか」
予定はないとのことだったが、お菓子の効果はあったようだ。私とお菓子を食べながら話をしてくれる気になったようだ。
机にもらったお菓子の箱を置くと、彼女の目は箱にくぎ付けとなった。今年、高校生になったと聞いていたが、やはり、若い子は甘いものに目がないらしい。かくいう私も若くはないが、甘いものは好きだ。
担当編集の加藤さんは京都に旅行に行ってきたらしく、箱の中身は生八つ橋だった。味がいろいろあり、どれを食べようかと考えている間に、柚子は自分の食べたい味の袋を勝手に開け始めた。王道の抹茶を選んだようだ。
私から一緒にお菓子を食べようと言った手前、勝手に開けたことを指摘することはしない。私も期間限定っぽい薄桃色の桜味の袋を開封して一緒に食べ始める。
しばらく二人で生八つ橋を味わい、無言の時間が続いた。
「今年から高校生になったんだよね。確か、市外の高校に電車通学だって深波から聞いたけど」
「そうです。お母さんが通っていた高校にしました」
「そっか。お母さんの通った高校ね」
柚子が深波のことを「お母さん」と呼ぶたびに、胸がつきりと痛みを訴える。自分で決めたことなのに、どうにもいまだに傷がいえることはない。後悔はしていないが、どうにもやるせない気持ちになってしまう。
もし、彼女を自分の娘として育てることができたなら。私、私の夫、彼女にとっては本当の父親と、三人で仲良く暮らせていただろうか。そんなことが頭をよぎること早15年。妹の娘、私の姪となる少女は、今年の春、高校生となった。
「早いものだねえ。もう、柚子も高校生か」
「なんだか、沙頼さんの言い方、おばあさんみたいですね」
「失礼な。私はあなたのお母さんと3歳しか変わらないんだけど」
その後も、たわいない話、彼女の家族の日常、私の日常などを話しているうちに、目の前のお菓子がどんどん減っていく。生八つ橋の他には、硬いほうの八つ橋にかもサブレ、チョコやクッキーなどが置かれていた。お菓子を食べ終わる頃合いで、柚子の方から別れを切り出してきた。
「ごちそうさまでした。私たちの家族の分はどれですか?」
「深波たちの分はこっちに分けてあるよ。柚子たちとおいしくいただきましたって、加藤さんにお礼を言っておくね」
「私たち家族の分も感謝していましたと伝えてください。ありがとうございました」
もう、彼女を引き留めるすべは持っていない。今度こそ、素直に送り出すことにした。
「じゃあね。高校生活頑張ってね」
「はい。沙頼さんもお仕事頑張ってください」
彼女が帰って、家に私だけになると、大きなため息が出てしまった。
「本当に、いい子に育ったなあ。私の娘とは思えないほどに」
誰もいないのをいいことについ、今までの愚痴が口から出てしまう。
「妹に柚子を預けたのは、私の判断だったけど、それにしても私に対して、どうしてあんなにそっけないのか。敬語が抜けないのか気になるところだよね。柚子にとっては、私は自分のお母さんの姉、つまり叔母に当たる立場になるから、仕方ないのかなあ」
とはいえ、私には子供たちにとって興味を引く対象となりえることが一つある。
「私はアニメ化も果たした人気作家だぞ!」
そう、私の職業は小説家だ。自分の職業には多少なりとも誇りを持っている。そして、この職業のおかげで、彼女と言う存在が生まれたのだ。最も、そのせいで彼女と普通の家族として暮らせなくなったともいえる。
これまでたくさんの書籍を世に出してきた。それなりに売れて、アニメ化も成功させた人気作家なのだ。高校生向けに書かれた書籍もあるし、結構人気となっている。
「もしかして、柚子は読書が嫌いなのでは」
独り言が部屋の中に零れ落ちていく。しかし、いつまでも愚痴をこぼしていても仕方ない。過去の判断に悩んでいても仕方ない。私は気分を入れ替えるため、コーヒーを飲むことにした。
「プルルルル」
コーヒーを飲みながら、自分の部屋で新作のプロットをパソコンに打ち込んでいると、スマホに着信があった。私に電話をかけてくる人はあまりいない。自分の両親か、妹、担当編集くらいのものだ。
「もしもし、深波がこんな時間に電話をかけてくるなんて、珍しいね」
「ねえ、柚子の行く高校なんだけど、そこに……」
妹が私に電話をかけてくることはあまりない。柚子のことは、妹に一任しているので、彼女の育て方に私が文句を言ったことはないし、彼女も自分の息子たちと同様に愛情込めて育てていることを知っている。なので、あまり私に電話をかけてくることは少ない。
「それはまた、偶然というかなんというか……」
彼女の今日の電話は、私にとって重要な情報だった。
柚子の高校生活をきっかけに、私の生活が変わるかもしれない。
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