そのままゲームセンターの中をブラブラしていたが、特に目新しいものはなかった。店を出ようとしたその時、あるものが目に入った。ゲームセンターの入口付近の壁に沿って設けられたガチャガチャの列。


「うっわ、いっぱいある」

と彼が近づいていったので、私も後に続く。キャラクターものもあれば、生き物のフィギュアもあるし、謎の置物もあった。

「こういうの、してみたくない?」

「確かに。ゲーセンじゃなくてスーパーとかにあるやつもさ、行くたびにラインナップチェックしてた」

まぁ実際回したことはないんだけどね、と付け加えると、じゃあ今日やっちゃおうよ、と彼は言った。

「今は……いいかな」

する気分にはなれなかった。このマシンを見ると、何だか胸がざわつくのだ。それがどうしてなのかは、分かっている。あの人のことを思い出すからだ。


「――、ってあるじゃん」


最近流行りの言葉としてニュースで取り上げられたそれ。子どもがどんな親に生まれるかという運で人生を左右される、というのをガチャガチャに喩えて皮肉っているのだ。

「それをテレビで聞いた時にね、あの人が言ったの」


――あんたらが親を選べないように、私も子どもを選べないんだから。

――ほんとに、あんたなんかを引き当てちゃって、母さんがっかりだわ。

――子どもガチャしっぱーい。


「だから、何って言うんだろ。ちょっと受け付けられないんだよね」

色とりどりのカプセルが入ったマシンに手を触れる。どうしても、あの人が私を嘲ったときに映っていたイメージ写真と重なって、しんどくなる。


「やっぱり、俺たち似てるよ」

彼は唐突に言った。

「何が似てるのよ。君は私から見ると、とっても恵まれてる」

「確かにそこは、違うかもしれないね。でも、望んだものを手に入れられなかったっていうところは、似てるよ」

そう言って寂しそうに笑う。彼は更に続けた。

「君がガチャガチャが嫌いならね、俺はクレーンゲームも嫌いだ」

どれだけお金を費やしてもね、手に入らないものがあるということを否応なく突きつけてくるから――彼はそう言った。それから気まずい沈黙が流れる。なんか、ごめん、と先に謝った。彼もきまりが悪そうに、ごめん、と一言呟いた。


「私達、謝ってばかりばかりだよね」

「そうだね」


次の言葉が出てこない。


「……ガチャガチャ、ひとつだけしてみよ」

バツが悪くなって、彼から距離を取る。どれにしようかと悩んだ挙げ句、私にお似合いなものを見つけた。


『よわむしくんストラップ』――イモムシをデフォルメした小さなぬいぐるみのついたストラップだった。顔の部分に泣き顔がプリントされている。なかなか発色のいい蛍光カラーのものだった。お金を入れて、ハンドルをぐるっと回すと、ころんとカプセルが転がり出てきた。開けると、蛍光イエローのよわむしくんが入っている。

「何それ、かわいい」

気がつくと後ろに誠也がいた。俺もやろっかな、とすぐにお金を入れてハンドルを捻る。またころんとカプセルが出た。

「おんなじ色だ」

彼が見せてくれたよわむしくんも、鮮やかな黄色だった。

「やっぱり私達、似てるのかもね」

そうなのかも、と彼が相槌を打った。早速鞄につけると、彼も自分の鞄につけ始めた。

「お揃い」

「カップルみたい」

冗談でそう言うと、彼は何も言わずにただそっと微笑んだ。その笑みがやっぱり悲しげで、どこか壊れてしまいそうなほど脆いものに見えた。でも、それ以上踏み込む勇気はなかった。


 *

 正午も過ぎたので、モールのフードコートで昼食を済ませることにした。お店で食べるより安くあがるから、という倹約家としての意見を出したが、片方がどちらかに合わせなくていいから気が楽だというのもあった。私はうどん、彼はオムライスと見事に食べたいものが別れたので改めてここにしてよかった。フードコートは閑散としていて、疎らに客が見える程度だった。その中の窓側の席を選んだ。私は肉うどんとおにぎりのセット。彼はオムライスにチーズをかけた、まぁ何ともこってりとした食べ物だ。


「おにぎりも頼んだんだ」

と私のお膳を見て彼が言った。

「うどん屋のおにぎりって美味しいんだよ。いっつも頼んじゃう。誠也も結構お腹に来そうなもの食べるんだね」

彼の食の好みを知らなかったので、洋風というのは意外だった。

「なんてことないよ。これくらいぺろっと食べられる。まぁ朝ごはん食べてないからね」

「私も食べてない」

「何でそんな食い気味に言うんだよ」

彼はスプーンでオムライスを少し切り取って、それを私に向けてきた。

「これ、何?」

「味見だって」

と平然と言う。いや、でも、と口ごもっていると

「まだ俺口つけてないし、大丈夫だよ」

とあっけらかんと言った。でも私がそれで食べたら君がそのスプーンを……と言おうか言わまいか迷っていると、じゃあいいや、と彼は自分の口に運んだ。あ、と思わず声が出る。

「やっぱり食べたかった?」

とイタズラっ子みたいな顔で私の顔を覗いててくる。

「結構でーす」

手元のうどんを一気に啜って、威勢よくおにぎりを頬張った。



 *

 食事はあっという間に済んで、モールを出た。駅に着くと次の電車が丁度来ていて、スムーズに移動することができた。お次の場所は2つ先の駅。お腹が一杯になって少し眠たくなってきたので彼に、着いたら起こしてと頼んでうたた寝した。


 着いたよと耳元で声がして目を開ける。すると彼の顔がすぐ近くにあって、驚いて仰け反ってしまった。私の反応があまりにも過剰だったからか、彼が弁明した。

「君が俺の肩にもたれかかって寝てたんだからね。何にも手出しはしてないから」

ほら、降りるよ、と彼が急かすので、その後に続いて電車から降りる。起きたばかりで頭がぼーっとしていて――私が彼の肩にもたれて……それを彼はどうするわけでもなく駅に着くまでずっとそのままにしていたってこと?――などとぐるぐると脳の中で渦巻いていたが、暫く歩いているうちに頭がスッキリ冴えてきて、あまり深くは考えないことにした。


 駅の構内から出ると、早速聳え立つビル群が見える。そのあまりの高さに、うわぁ、と感嘆の声を漏らしてしまう。ビル達が天高くから私を見下ろしている感じがして、その態度が癪に障ってガン飛ばしてみたけれど、無生物相手に張り合うのも馬鹿らしくなってやめにした。スーツ姿の男女が行き来する交差点を彼は器用にくぐり抜け、私も後を追う。

 目的地は、映画館。並び立つビルの一角にそれはあった。あまりにも思っていた感じと違って驚いた。こじんまりとした印象ではあるが、どことなく荘厳さをも感じる佇まい。最初映画館を挙げた時、「モールの中にあるシアターでよくない?」と意見したのだが、彼がそれを拒んだ理由が外観だけでも何となく分かった。


 私が映画館を候補に挙げたのは一度も映画館で映画を見たことがなかったからだ。地上波放送でなら見たことはあるけれど、館内で見ることで味わえるものもあるはずだと思っていたのでずっと行きたかったのだ。勿論あの人はお金を払ってまで見るもんじゃないと切り捨てたけど。彼もまた映画館を候補に挙げた。


「どうせ逃げ出すなら空想の世界にもトリップしたいだろ」


そういうわけで、両者の意見が揃った映画館を目的地にしたのだ。それに加えて、見るなら上質な環境で、良いものを見たいよね、と言う彼の意見によって、少し遠い、この映画館に決めた。


 上映中の映画のポスターを見て、見るならこれがいいだろう、と彼がそのうちの一枚を指差した。少し昔のロマンス映画で、吹き替えものだった。リバイバル上映と言って、ここでは過去の名作も時々上映しているらしく、それも彼がこの場所を選んだ理由のひとつらしかった。

「これ、見たことあるの?」

と券売機でチケットを買っている時に聞いてみた。

「昔見たことがある。でもその時は意味が分からなかったんだ」

確かにこの映画は小さい子も楽しめるようなお話ではなさそうだ。

「どうしてまた見たいと思ったの?」

「小さい頃はこういうのを見るのが退屈だったし、嫌で嫌で仕方なかった。でも今ならもっと、違う見方もできるんじゃないかなって思ってね」

と彼は遠い目をして答えた。


 上映が間もなく始まるとアナウンスが流れたので、慌てて売店でドリンクとポップコーンを買う。

「ポップコーンはおっきいの分け合えばいいよね」

ジャンボサイズを1つ、それとコーラを2杯買って暗幕の張られた部屋に入る。薄暗いシアターの中を歩いて、席を探す。座っている客もちらほら見かけた。私達の席は後ろ側の真ん中。なかなかいい席を取れたみたいだった。ふかふかの椅子に座ると身体が沈み込んで気持ちよかった。前のスクリーンに目をやる。大きい。大ホールの壁一面を覆うほどのスクリーンがそこにはあった。凄い、と呟いてしまう。

「凄いのは画面だけじゃないよ。ここは音質もクリアで、没入感が凄いらしい」

右隣に座った彼が私に囁く。その次の瞬間、足元を照らしていたライトが消えた。館内が一気に真っ暗闇になる。そろそろ始まるみたいだ。始まる前にコーラを口に含んで喉を潤しておく。私もこの世界に入り込もう、現実を忘れて、この世界に溶け込んでしまおう。そう決めて、次第に明るくなるスクリーンをじっと見つめる。



 *

 *

 *

 『fin.』という文字が真っ暗になった画面からぼっと浮かび上がって、物語の終わりを告げた。どっと疲れが押し寄せてきた。


 一番最初に思いついた感想としては――長い。地獄のような3時間だった。感情移入がしづらい話。美人な主人公が都会に出てきて、金持ちのドラ息子と恋に落ちるというシンデレラ・ストーリーもの。その色恋と同時進行で、主人公がひょんなことからファッションショーのモデルとしてランウェイを歩くことになり、世界的に有名になっていく、という話が進む。どちらも擦られに擦られた題材で、胸焼けすら感じた。彼女らの言動も理解しがたいものが多かったし、ドライブデートでの陳腐な台詞など聞いているこっちが恥ずかしくなるような掛け合いもあった。話を通して伝えたいテーマも見えてこない。記憶に残っていることと言えば、登場人物の引っかかる物言いぐらい。


「努力次第で何だってなれるさ」


「環境のせいにするなよ」


「自分の力で戦ってみな」


ショー前日のドライブで、ボーイフレンドがヒロインに喝を入れるのだが、お前が言うな、と野次を飛ばしたくなった。キザな男というのを表現したかったのかもしれないが、全くかっこよく見えない。自分は何一つ努力せずにその地位を手に入れたくせに。説得力の欠片もない。そんな男と結ばれて、幸せ、とか言っているヒロインもヒロインだ。見終わった後もモヤモヤとした感情が胸の奥の方で燻っていて、全然すっきりしなかった。いくら素晴らしいスタジオだと言っても、こんな酷い作品では没入感なんてあったもんじゃない。この作品をリバイバル上映って大丈夫かと思ったけれど、そこそこ有名な作品で人気があることには違いなかった。私に合わなかっただけなのか、と思っていたが、彼もあまり満足していない様子で

「やっぱり、小学生の頃感じたことは間違ってなかったのかもしれない」

と苦笑いを浮かべていた。


 映画館で唯一良かったことと言えば、ポップコーンだ。塩気がちょうどよかった。中盤あまりにも退屈になって静かにつまんでいた。ある時カップに手を入れると彼の手と当たった。手と手が少し触れ合っただけなのに、どういうわけか少しだけ、ほんの少しだけ、どきりとしてしまった。暗い場所で本当に助かった。


 映画館を出て駅まで戻っている途中のことだ。あまりにも酷すぎて、感想らしい感想すら共有できずに歩いていた。彼が見て、と足元を指差した。アスファルトの割れ目から小さな花がひとつ、顔を出していた。何もこんな寒い季節に、こんなところに咲かなくとも、と思ってしまった。


「置かれた場所で咲きなさい」


ふと思い出して呟いてみた。


「その言葉、やだな」

彼は暗い表情をしていた。屈み込んで健気に咲く花に視線を落としたまま、彼は続ける。

「どんな場所に生まれても耐えろ、そのぐらい我慢しろって言ってるようなもんじゃん。そこが嫌なら、いっそ逃げちゃってもいいと思うんだよね」

彼の言いたいことは何となく分かった。


だけど――


「だけどね、逃げられないんだよ。私達は。自分の力じゃどうにもならないんだから」


彼の横にしゃがみ込んで、同じように花を見つめる。


「自分に与えられた環境で、与えられた能力で、何とかしていくしかないの」


彼に意見を伝える、というより、私自身に言って聞かせていたのかもしれない。私は何度も胸の奥で自分の言ったことを反芻した。私は、私に与えられたもので、生きてゆかなきゃならない。さっき見た映画で男が簡単に言ってのけた無慈悲な言葉の欠片が胸に刺さって抜けなかった。


――環境のせいにするなよ。――


【続】



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