第六トーアの空
藤原いちご
第六トーアの空
この街には悪魔が潜んでいる。
太陽が沈んでいても決して眠ることのないその街の名は、世界有数の繁華街─
日本随一の夜の街で、今日もまた行きずりの人々が織り成す愛憎の記憶が刻まれている。
─
代表を務めるのは、ミステリアスな雰囲気を醸し出す
中性的な容姿から、元はこの花舞奇町でホストとして成り上がった男と噂されているが、その本名もその素顔も、そしてその年齢も、誰一人として知る由はない。
ただ一つ、三尋木刹那と言う花舞奇町の探偵。それ以上でもそれ以下でもなく、本人もまたそれ以外のことを口にすることはない。
そんな三尋木探偵事務所の門を、今日もまた一人の
コンコン
立て札すら掲げていない事務所のドアを二回ノックされたその時、刹那は淹れ立てのコーヒーを今まさに口にしようとしていた。
来客を前にティーカップをすっと皿へ戻すと、少々気だるそうに扉を開けた。
「すいません、三尋木先生はいますか…?」
事務所に訪れたのは、幸薄そうな、放っておいておけば今すぐにでもこの世から消えていなくなりそうな少女だった。
刹那は腕に巻いている有名高級ブランドの時計にて時間を確認する。とうに日付変更から一時間はすぎている。
「こんな時間に子供が一体… まぁいいや、人目もあるしとりあえず入って」
刹那が事務所内へ迎え入れると、少女は促されるのを待つことなく中央に鎮座するラグジュアリー仕様の高級ソファーに腰をかける。
「うわぁ! ふっかふか! プライドのソファーよりも良いじゃん!」
嬉々としてソファーの座り心地を語る少女が引き合いに出したプライドとは花舞奇町における最大勢力のホストクラブだ。
見た目にも未成年と分かる少女がホスト通いを仄めかすような発言に対して刹那は特に構うことなく、冷蔵庫にあったオレンジジュースを少女へ差し出した。
「あっ! このオレンジジュース私好きなんだよね!」
「……それで、ご用件は? 先に言っておくが子供が支払えるほどウチの依頼料は安くないぞ」
飄々とする少女に、飽くまでも大人としての立場を暗に伝える刹那だったが、少女は手に提げていたブランド物のバッグから封筒を取り出した。
「百万! これだけあれば足りるでしょ? 」
その金をどう工面したのか、刹那にとってそれは考える程のことでもない。出所に言及することもなく中身を確認すると、タバコに火を着けて話を進めた。
少女の依頼内容は特段異例的な内容ではなく、よくあるような人探しの類いだった。
半月前から、ほぼ毎日のように連絡を取り合っていた友達が突如として音信不通となる…
この街ではありふれた事なのだが、例えばそれが誘拐であったり殺人であったりと考えられる節はいくらかあっても、刹那は決してそれを口にはしなかった。
警察に駆け込むも大きな進展はなく、他の弱小探偵事務所では子供だからと足元を見られ、あまつさえ門前払いが続く中で転々とした結果がこの三尋木探偵事務所まで少女を辿り着かせた。
屋号を掲げることのない三尋木探偵事務所は、刹那より前の代から続く長年の歴史とその評判でのみ成り立っている。
故にネットで調べてみるだとか、歴の浅い花舞奇町の住人に聞くだとか、その程度ではこの事務所に辿り着くことは決してない。
「君のような若い子が来るのは久方ぶりだよ。よく見付けられたね」
刹那はそれなりの関心を示しつつも、依然変わりなくフレンドリーに話す少女とは一定の距離を置きながら話す。
半月前に少女の友達が行方不明となり、最後に会ったのは相い番で来店したプライドだった。
報酬金として札束を一本受け取った刹那は、早速少女から聞き出した情報を元にノートパソコンを叩きながらリサーチを始める。
その片手間で、取り出したスマホからなにやら外部に連絡を取った。
「…俺だ。今どこにいる? 人探しの依頼が来たからすぐに戻ってこい」
その電話から十分後、慌ただしく事務所の扉を開けて帰ってきたのは、唯一この事務所に在籍する従業員の
数年前に一時代を築いた元No.1ホストで、伝説的な存在であった蘭だったが、生半可に関わった暴力団の金銭絡みから生まれたトラブルに巻き込まれ冤罪で実刑を受けた。
その時、蘭の身元を引き受けたのが刹那だったのだが、蘭とはホスト時代に知り合ったとしても一緒に働いていたわけではない。
「お疲れッス… すいません、猛烈ダッシュで帰ってきたンすけど!」
肩で息をする蘭に対して、休ませることなくそのままの流れで刹那は依頼内容を伝えた。
やはりそう珍しいものではないからなのか、蘭もまた依頼主が年端のいかぬ少女だとしても眉一つ動くことはなかった。
「失踪者の名はララ。本名かどうかは分からないが、依頼主も本名までは知らないらしい。写真はあるが、足で稼いでこれるか?」
嘘や偽り… 花舞奇町では
本名は分からないものの、少女が所有するスマホのストレージに保存されていたララの写真を蘭のスマホへ転送する。
その画像を受け取ると、蘭は「じゃあ行って来るッス」と軽快に事務所を飛び出した。
直接現場を回って情報収集をする蘭と、花舞奇町にて独自のコミュニティとネットワークを包括する刹那の遠隔的な情報収集。
まさに頭脳と肉体とで分かれた二人のコンビネーションは高水準の依頼完遂率に結び付いている。
ひたすらパソコンとにらめっこをする刹那と、同じようにしてスマホとにらめっこをする依頼主の少女。
蘭が事務所を飛び出て以降、特に会話も生まれぬまま依頼が着々と進行していく。
「そういえば、ララはプライドで誰を指名していた?」
「代表!」
ララが指名していたのは、店の代表であるミツキだった。
SNSでも人気を博し、全国から指名客を集めるほどの実力者で、現在10ヶ月連続No.1という好成績を達成している売れっ子だ。
刹那がミツキの公開SNSを眺めていると、少女はホストの話題が出たことで食い入るようにその話を広げようとする。
一方的に少女が見せつけるスマホには、シャンパンタワーの写真や高級ブランデーと共にピースサインを取る担当ホストとのツーショットばかりだった。
その写真をほんの一瞬でも見ることなく、刹那は自らの仕事に没頭し、ノートパソコンから視線を逸らすことはない。
すると刹那は、ミツキがSNSへ投稿した「一晩で二千万ゲット」との一文が添えられた一枚の自撮り写真を見てふと囁く。
「悪魔だな…こいつ……」
少女はその言葉の意味することも分からぬまま、更に自分語りと共にツーショットをひけらかす。
あまりのしつこさに、骨が折れた刹那はチラッとスマホに写し出された画像に目をやると、目を開いて食い付いた。
「こ、これ…! 見せろ!」
少女のスマホを取り上げた刹那は、サササッと横にスライドし写真の数々を確認する。
そこで何枚かの画像を自らのパソコンへ転送させると、専用ソフトでスキャンして画像を高精細拡大する。
「間違いない…!」
刹那は何かに確信を得ると、ノートパソコンをパタッと閉じた。
すぐに蘭へ連絡を取ると、刹那は一張羅のコートに袖を通し少女を引き連れて外へと出た。
「ねぇ! どこに行くの?」
「いいから着いてこい…」
行き交う人々の波をかぎ分けて刹那が向かったのは最上階にプライドが構える、第六セントラルトーアビルだった。
通称・第六トーア。数々の曰くが付きまとう著名なビルには日本各地に名を轟かせる有数の店が立ち並ぶ。
「え、ちょっと! 今日お金持ってきてないよ!? 最近は売掛もさせてくれないし…」
エレベーターの中で少女が刹那にそう訴えるも、とうの本人は電光盤のみをじっと見ていた。
エレベーターのドアが開くと、ステンドグラスで装飾された廊下の先に黒基調のドアが構えてあった。
ただ黙って廊下を突き進みドアを開けて店内へ入る。
防音設備も十分なのか、店内に入るまで今まさに行われているシャンパンコールの音は聞こえていなかった。
「VIPルーム、ミツキ代表の素敵な姫様より! 高級シャンパン~ 頂きました!」
「ありやーっす!!」
盛大に軽快に気前よく今日も今日とてコールが鳴り響く。
すると黒服の男が入店に気が付いたのか、刹那の元へ立ち寄ると女性客よりも手厚く応対した。
「ミツキを出せ」
「すいません、ミツキさんはいま接客中で…」
それもそのはず、轟くシャンパンコールはミツキに捧げられたものだ。そんな中で当の本人が離席するはずもない。
「はぁ…はぁ… 相変わらず人使い荒いッスよ刹那さん!」
遅れてきた蘭だったが、刹那に耳打ちで指示を受けると、どこかご機嫌そうになる。
黒服が対応に四苦八苦しているその瞬間、蘭は盛大に黒服へパンチを浴びせた。
「な、なにするんだてめぇ!」
「今すぐミツキ出さねぇならこうしろってボスが言うもんでね…」
ストレスの発散なのか、単に楽しんでいるだけなのか、蘭はたじろぐ黒服を意に介さずまとめて袋叩きにする。
さすがの騒ぎに店内の客や従業員も異変に気が付いたのか、盛り上がっていたコールがピタリと止んだ。
慌てふためく従業員や客を横目に通りすぎて、VIPルームのある最奥まで行くと、強引に突入する。
「あ? なんだてめぇら」
「おまえがミツキか? ちょっと来い!」
蘭は無理矢理にもミツキの腕を掴んで外へと連れ出した。
ミツキの客はやめるようにと割って入るが、蘭が容赦なく一喝すると、それに萎縮して引き下がった。
ミツキを引き連れて向かった先はビルの屋上。少女もまた店の従業員や客と同じように驚いてはいたが、その後を追い掛けて屋上まで着いてきていた。
「この画像の子に見覚えは?」
失踪したミツキ指名の少女、ララの画像を見せる。
知らぬ振りをして見せるものの、泳ぐ目が何か知っているということを裏付けた。
「…じゃあ、この写真は?」
次に見せたのは、依頼主の少女が見せつけてきた画像の一枚だった。
そこに映るのは少女とその担当ホストの記念写真なのだが、よく見ると見切れた端にミツキが写っている。
ただそれだけの写真で、なんら不可解なことは無いのだが、それはあくまでただの人間にとってはと言うだけ…
「見えねえのか? 拡大してやるよ。これならどうだ?」
「な、なにも無いただのツーショット写真だろ…? 俺が見切れてるからってそれがなんだ?」
「とぼけるな、よく見ろ…… これはなんだ?」
拡大し、その上で指差しで視線を引かせたそこにはミツキの背中が写っていた。
…それは、人間にとってはそれまでの事なのだが……… 見える人には見える、翼もしっかりと写っていた。
「……なんだよ、お前も見えてんのか。じゃあ同類じゃん。見逃せよ、な? 仲間のよしみでさ」
観念したミツキは、そこにいるただの人間である少女には到底理解の出来ない言動の数々を並べた。
だが、蘭や刹那にはその言葉の意味することは十二分に理解していたし、それを根拠にミツキの元までやってきた。
翼…… 同じ写真でも人間には見えないモノ………。
そう、ミツキも刹那も蘭も、全員は悪魔であった。
その悪魔とは例えや揶揄などではなく、文字通りの悪魔であって、人間ではないということ。
人間に擬態し、この花舞奇町に根を生やし生き血を啜る者がいる。
花舞奇町では日常茶飯事になりつつある神隠しも失踪も、全ては悪魔たちによるもの。
ホストが飛んだ、売掛を残した客が飛んだ、売春で壊れた女が消えた…
そのような言葉の数々なら聞かぬ日のないこの街の真実は人間に知らされることはない。
ただひっそりと、悪魔がその血肉を喰らい己の糧としているだけ。
そういった対悪魔、悪魔狩り専門の探偵が、三尋木探偵事務所の真の役割といったところだ。
それゆえに依頼主の多くが三尋木探偵事務所の実態を知る、悪魔同士での問題を抱えた悪魔ばかり。
だがほとんどは事を荒立てずにひっそりと人間として暮らしたい者たちだ。
とは言っても気まぐれで人間からの依頼も引き受ける刹那だが、今回の失踪事件が悪魔が関わっているものとは予測していなかった。
悪魔はそれぞれを、男性ならインキュバス、女性ならサキュバスと名称が存在し、互いに異性の欲を喰らうことでその寿命を伸ばし続けている。
ララはそうとも露知らず、ミツキを我が物にしたいが一心で足しげく店へ通い詰め、頃合いとなった所でミツキが食してしまった。
今回の失踪事件の真実としては、それが全て。
刹那は例え同じ
少女にそのことを伝えると、たった一人の友人であったララを奪ったことを許せないとして、ミツキを殺せと泣き叫ぶ。
感情任せのその言動を、本来ならおかしな事と捉えるのが普通だが、刹那と蘭はあくまで悪魔…。
その言葉を受け取ると依頼通りに蘭と刹那はミツキを殺害した。
残った遺体を前に二人は見る見る内にその形相を変えていく。
翼が生え、角も生え、しっぽまで生えてくると、見た目は完全に悪魔のそれとなった。
そして、始末したミツキの遺体を貪るようにして
目の前に広がる異質な光景に思わず失禁するほどに腰を抜かして驚く少女。
屋上に残ったのは血痕と身に付けていた衣類や装飾具だけで、遺体はまるごと消え去った。
これでミツキは突如として飛んだこととなり、いづれ密かに記憶からも消えていく。それが辿る未来だ。
「…さて、喋りすぎたしな……追加報酬を頂こうか」
デタラメにも思えるような話を少女に話したのは、最初から肉体を喰らうために殺すつもりだったからだ。
そう言うと依頼主の少女を羽交い締めにして、生きたままその体を貪り喰らう。
「やっぱ若い女の肉体は美味ッスね…」
そしてまた一人…… この街からひと知れず姿を消す。
食事にありつき、空腹を満たした刹那と蘭の二人は、その異形なる翼を広げ第六トーアの空へと飛び立った。
この街には悪魔が潜んでいる。
それは今にも天を穿つほどのビルの群れの先にある空を飛んでいるのかもしれない。
だがこの街の人々は、決して空を見上げることはない。
なぜなら空には、欲を満たす金も異性もいないのだから。
そして刹那と蘭は何事もなかったように街へと帰り日常へと戻る。
また明くる日に訪れる、悪魔を待って─
第六トーアの空 藤原いちご @homura31
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