第3話 何故だが眩暈がする


「クローディアじゃないか!」



 声がしてクローディアが振り返れば、金糸の短い髪が目に映った。綺麗な顔立ちを際立たせる碧眼がクローディアを捉えると、その瞳の持ち主である青年が駆け寄ってくる。


 白い騎士の鎧がよく似合う彼はクローディアの手を握り締めて、「記憶を失ったと聞いたが」と心配するように声をかけてきた。


 誰だろうかと困惑しながらモモへと目を向ければ、彼女は何とも渋い表情をしながらも彼を紹介してくれた。



「ラインハルト・ハーマベルト様です。このセイントレア聖騎士団の若きエースで、クローディア様の〝婚約者候補〟ですね……」



 婚約者候補。クローディアはラインハルトを観察するように見つめる。容姿も声も覚えがなくて、自分は彼の事も忘れてしまっているようだ。


 婚約者候補だというのにと申し訳さなげにしていれば、ラインハルトは「覚えていないのか」と、分かりやすく悲しそうにしている。


 婚約者候補に忘れられたのだから悲しくもなるよなと、クローディアは「ごめんなさい」と謝った。ラインハルトは「いや、君は悪くないよ」と言って微笑む。



「悪いのは魔物じゃないか。聞いた話じゃ解呪の後遺症なのだろう? なら、クローディアは悪くないよ」


「でも……」


「気にしないでくれ。僕は君が無事ならそれでいいから」



 本当はすぐにでも会いに行きたかったけれど任務があったからと、ラインハルトは「申し訳ない」と謝る。聖騎士団に所属しているのであれば、魔物との戦いで何日も王都を不在にしているのはよくあることだ。


 任務ならば仕方ないとクローディアが「謝らないでください」と返せば、ラインハルトは「君が無事でよかったよ」と安堵した表情をみせた。



「もう聖女の仕事をしても大丈夫なのかい?」


「えぇ。力は使えるし、メイリンさんからも問題ないって言われたわ」


「それならよかった。でも、あまり無理はしないでくれ」



 皆、心配していたからねというラインハルトの優しい言葉に、クローディアが心配をかけてしまって申し訳ないと思っていれば、くらりと眩暈がした。


 くらりくらりとする視界に足元がふらついたのを見てか、モモが「大丈夫ですか?」と身体を支えてくれる。


(なんだろ、この感覚)


 気分が悪くなったというわけでもなく、くらくらする感じだ。クローディアがこめかみを押さえれば、ラインハルトが心配げに声をかけてくる。



「大丈夫かい? 気分が悪いのか?」


「いえ、気分が悪いわけではないの。少し、くらくらするというか……」


「それは大丈夫じゃないですよね、クローディア様!」


「モモの言う通りだよ、クローディア。眩暈を起こしているのは大丈夫ではない」



 二人にそう言われて、それはそうだなとクローディアも納得する。眩暈がしているということは、身体が不調を訴えているということだ。


(でも、なんか……こう……)


 言葉にできない不思議な感覚にクローディアが首を傾げていれば、モモは「少し休みましょう」と提案した。きっと、リーウェン聖龍将軍の呪いを解いた疲れが出たのかもしれないと。


 確かのあの量の呪いを一気に解いたのだから力を使ってしまって疲れたのかもしれない。それを聞いてラインハルトが「それは少し休んだ方がいい」と、握っていた手を離して歩けるか聞いてきた。


 軽い眩暈だけで歩行には問題ない。クローディアは「大丈夫」と返事を返すも、ラインハルトは心配そうにしている。



「何かあっただろうか?」


「あ、リーウェン聖龍将軍様。申し訳ございません、クローディア様が少し疲れてしまったようで……」



 クローディアたちの異変に気づいてか、リーウェンがやってきた。モモから話を聞いて、彼は「見張り台の建物の中に休息所がある」と教えてくれた。そこは見張りの騎士たちが休憩するところではあるが、今ならば空いていると。


 少し休むなら丁度いいと言われて、モモは「そこで休ませてもらいましょう」と提案する。


 クローディアもリーウェンを叱った手前、自分が休まないわけにもいかない。そうするわと頷けば、「俺が案内しよう」とリーウェンが言った。



「ラインハルト、君は持ち場についてくれ」


「……わかりました」



 リーウェンに指示されてラインハルトは残念そうに眉を下げてから、「ゆっくり休んでくれ」とクローディアに声をかけてから持ち場へと戻っていった。


 彼の背を見送ってから、リーウェンに連れられて見張り台の建物の中にある休息所へと向かう。


 薄暗く少し土っぽい匂いのする室内にあるベンチにクローディアは腰を下ろした。隣にモモが座って背中を擦ってくれている。



「大丈夫だろうか?」


「えぇ、少し楽になりました」


「俺の呪いを解いた疲れだろう」



 かなり重いものだったはずだとリーウェンに言われて、「分かっていたならば早く解呪しなさい」とクローディアはつい、口に出してしまった。それだけきつい呪いだったのだからと。


 そう言われてリーウェンは数度、瞬きをしてから「すまない」と謝罪する。別に謝ってほしいわけではないのだけれどと、クローディアは思ったが少しは反省しているように感じられたので突っ込むことはしなかった。


 一つ深呼吸をすると眩暈は無くなっていた。急に治まったとクローディアがどうしてだろうかと思いながら、なんとなしにリーウェンを見遣れば、彼はふむと何か考える素振りをみせている。



「どうかしましたか?」


「いや……大したことではないんだ。その……誰かに叱られたことなど随分となかったなと」



 最後に叱られたのはいつだっただろうかなどと、ふと考えてしまったのだとリーウェンは話す。人に叱られたのはもう遠い記憶だったと。



「神龍セイントレア様には𠮟られることはあるがな。人に叱られたのは久々だったと思ったんだ」


「神龍セイントレア様にはどんなことで叱られるのですか?」


「……少し無茶をしているのではないかと」


「でしょうね」



 何となく想像していたことだったのでクローディアはそうだろうなと頷く。そろりと視線を逸らされたので、「神龍セイントレア様の言う通りです」と、クローディアは言った。



「自己犠牲もほどほどにしたほうがよろしいですよ」


「……善処、しよう」


「善処ではなく、返事は〝はい〟でお願いできます?」


「く、クローディア様、それは言い過ぎでは……」



 あわあわと慌てるモモの姿に、あぁそうだったとクローディアは思い出す。彼は聖龍将軍、自分よりも上の位のではないだろうか。


(でも、それはそれ、これはこれだと思うの)


 上の位の存在が無茶していいわけではないし、そんな姿を部下に見せても悪い見本でしかない。クローディアは言葉を訂正するつもりはなかった。


 こうやって誰かと対話してみると、自分は思った以上に強く出られるタイプの人間のようだ。


(それから自己犠牲が余程、嫌いみたい)


 これも記憶を封じたことに関係しているのだろうか。なんて考えていれば、リーウェンはまた考える仕草を見せてから「わかった」と頷いた。



「お前の言う通りだ。気を付けていこう」



 返事は〝はい〟以外、受け付けないが。言いかけた言葉を「リーウェン聖龍将軍様、持ち場に戻って大丈夫ですから!」と、モモに遮られる。


 これ以上は駄目ということなのかとクローディアは少しだけ不満を抱いたけれど、彼の顔を立てるのも大事かと言葉を飲み込む。



「聖女。クローディアと言ったか。少しは楽になっただろうか?」


「えぇ。何故か、すんっと良くなりました」


「すんっと?」



 クローディアの返答にリーウェンが首を傾げる。この状況をどう説明すればいいのか、クローディア自身も言葉が見つからないので、「今は大丈夫です」と言っておいた。



「もう少し休めば問題ないですので、気になさらず」


「そうか。また気分を悪くしたならいつでも言ってくれ」



 いつでもこの場所を使っていいからとリーウェンは言って、建物から出て行った。彼が居なくなったのを確認してから、モモがはぁとそれはもう深い溜息を吐いて、がっくりと力を抜く。


 それからクローディアへ顔を向けて「クローディア様!」と声強めに呼んだ。



「いくら、聖女様でも目上の方である聖龍将軍様にあのような態度は良くないです!」


「でも、誰かが叱らないと理解しないでしょう?」


「そうですけど! 言い方!」



 強く言うような感じはやめましょうとモモは突っ込む。それが悪いことではないが、その態度は一般的な聖女のイメージには合っていない。


 おしとやかで、優しい。そんなイメージがこの国では強いようで、モモが「余計な敵を作らないためにも気を付けてください」と注意する。



「今から気を付けてください!」


「そうね、うん。わかったわ」


「絶対に分かってないですよね?」



 その返事はとじとりと見つめられてクローディアは、何のことかしらと視線を逸らす。なんとなくだがまたやらかしそうであるという、よく分からない自信があったのだ。


 それを察したモモは「せめてほどほどに」と、半ば諦めたように注意する。そんな彼女を他所にクローディアは、先ほどの眩暈のことが頭に過った。


(あの眩暈はなんだったのだろう。急になったかと思ったら、今は何ともないし……)


 疲れからきているならば、もう少し長引いてもいいようなと疑問を抱くクローディアだが、「聞いてますか!」とモモに叱られて考えるのを止めた。



  

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