第4話 休憩は大事、身体は休めるべきなのです
クローディアが聖女の役目を果たしてから二日経った。あれから特に変わったことはないけれど、記憶を思い出そうとすると頭痛と胸の苦しさに襲われる。
ふわりと匂うお香が心地よい診察室にクローディアはいた。今はメイリンの定期健診を受けているところで、彼女の前に座って話をしている。
記憶を失ってからの感覚や、何を覚えていて、何を忘れてしまっているのか。思い出そうとする時の身体の変化をクローディアは素直に答えた。
記憶を失ってからの感覚は悪くはなく、体調も良かった。聖女としての解呪や土地を浄化する力は使えている。何を覚えているか、物や言葉、生きるために必要最低限のことは記憶にあった。
けれど、人の顔と名前、思い出、この国がどんなものなのか、聖女として知っていてもおかしくないことがすっぽりと抜け落ちている。力の使い方は覚えていて、聖女の役目は果たせるようにはなっていた。
思い出そうとすれば、頭痛に胸の苦しさが襲う。それらを聞いてメイリンはなるほどねと呟いてから、紙に書き留めていた手を止める。
「聖女の役目を果たせる力の使い方と、生きるために必要なことだけを残して、他の全てを忘れた……考えられているわね」
「と、いうと?」
「それだけ残していれば、最低限のことはできるわ」
聖女として知っていておかしくないことも、護衛騎士であるモモが教えてくれるだろう。
力の使い方さえ覚えていれば、聖女でいられるのだから公務に問題はない。生きるために必要なことがあれば、不自由なく暮らしていけるのだ。
要は嫌な事に関する記憶だけを綺麗に消して、一からやり直せるようにできているということだった。それを聞いてクローディアは自分は人生をやり直したかったのだろうかと思う。
「人生をやり直すには死んで生まれ変わるしかない。けれど、聖女として選ばれた以上は役目を果たさなければいけないから、死ぬことを選べない……。過去の聖女様は何もかも無くして一からやり直したかったのでしょうね」
自分の考えを伝えれば、メイリンはそうだねと同意してくれた。自分はそれほどに辛い目に遭ったのか、あるいは積み重なって、何もかも嫌になってしまったのか。クローディアは昔の自分を想って胸を押さえる。
呪った自分はやり直しを望んでいた。ならば、今は望み通りに記憶など取り戻そうとはせずに、やり直していけばいいのかもしれない。クローディアの考えを察してか、メイリンは「今はゆっくり休みなさい」と言う。
「記憶を思い出そうとすると頭痛、胸の苦しさを抱く。これは拒絶反応でもあるの。今はまだ思い出すべきではないって身体が伝えているのよ」
記憶を失ったことは今は忘れて心を休めなさい。メイリンは「まだ思い出そうなんて考えてはいけない」と診断を出した。とにかく、何も考えないで心を落ち着けなさいと言われてクローディアはそうかと頷く。
診察を終えて診察室から出たクローディアに、ドアの傍で待機していたモモが「大丈夫でしたか?」と声をかける。少しばかり不安げで、心配そうに。
「暫くは何も考えずに心を落ち着けなさいって言われたわ」
「記憶を取り戻そうと考えずにってことですよね?」
「えぇ。まだ駄目みたい」
それを聞いてモモが落ち込んだふうに俯く。どうしたのだろうと見遣れば、彼女は「わたしが傍にいたというのに」と声を震わせた。
どうやら、短い間とはいえ傍にいたというのに辛い目に遭っていることに気づけなかったことを後悔しているようだ。
「貴女とはまだ短い付き合いなのよね? そこまで落ち込まなくていいのよ?」
「でも、クローディア様はわたしのこと〝友達〟だって言ってくれたんですよ!」
護衛騎士になるべく厳しい訓練をしてきた。周りはライバルだらけで友達だと、仲間だという空間など与えてはくれなくて。一人でずっとやってきて、護衛騎士に選ばれた時、クローディアは言った。
『貴女はよく頑張ったわね。今日から私の護衛騎士……いいえ、友達として傍に居てほしい』
嘘もなく、微笑みながら言ってくれたのだとモモは教えてくれた。言葉の通り、友達として接してくれていたのだと。
「わたし、嬉しかったんです。護衛騎士に選ばれて、同期から妬まれたりもしていたので……ずっと一人だった私に友達ができて」
「そうだったのね……」
「だから、辛い目に遭っていたのに気づけなかったのが、悔しい……」
ぎゅっとモモは拳を握る。本心からの後悔なのはそれだけで伝わってきた。あぁ、自分の事を想ってくれている。クローディアは「どうして彼女の想いに気づかなかったの」と過去の私を叱りたくなった。
(それに気づけないほど、追い詰められていたということなのかしら……)
クローディアはモモをそっと抱きしめた。優しく、包み込むように。
「ごめんなさい、モモ。貴女のその想いは伝わったわ。でもね、貴女がそうやって泣きそうになっている姿を私は見たくないの」
「でも、クローディア様」
「私と貴女は友達なのでしょう? なら、友達を悲しませたくない私の気持ちを分かってくれる?」
自分の為を想って泣く友達は見たくはない、悲しませたくなんてない。そう思うのは当然ではないか、クローディアの言葉にモモはうんと頷いた。自分もそうだと気づいたようだ。
クローディアはそっと抱きしめるのやめてモモと向き合う。今にも泣きそうなモモは目元を擦りながらも、目を合わせてくれた。
「貴女のその想いで私という存在は悪い者ではなかったのだと知れたわ。記憶を失った私はもうどんな存在だったのか、分からなくなってしまっていたから」
記憶を失う前の自分を知れてよかった。クローディアがそう微笑めば、モモは「今も変わってませんよ」と返事をする。あの時の優しい貴女のままだと。
「おーい。青春やってるところ悪いけど、次の患者が来る時間だから帰りなさーい」
「あ、す、すみません……」
ひょこっと診察室の扉からメイリンが顔を覗かせて注意する。それにモモが頭を下げて、慌てながらクローディアの手を引いて小走りにその場から離れた。
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