第2話 聖女と神龍に選ばれた存在
聖女クローディアが解呪の後遺症で記憶を封じられたということは城中に広まった。
聖騎士や、神官、巫女と城で働く人間たちはそのことを知って、クローディアのことを心配するように声をかけてくる。
メイリン呪術師の治療を受ければきっと記憶を取り戻しますよと。ゆっくりと心を休めてくださいと慰められる。
自分の事を知っている人たちの心配する声に、クローディアはただ「ありがとう」と返事を返す。記憶を封じたのは自分だと隠しながら。
目を覚ましてからあの後、神龍セイントレアとガラシヤ女王陛下と謁見した。神殿の奥、
白美で胴体の長い竜の姿に、繊細な
その傍らに座る床につくほどの長く艶のある黒髪の女性は悲しげに藍の眼を細める。
儚くも美しい容姿に似合う真っ白で上品な着物を身に纏むガラシヤ女王陛下は、神の代わりに返事を返す。
『その治療方法を認めましょう。今は心を休めなさい、クローディア』
ふっと微笑むガラシヤ女王陛下の顔をクローディアは忘れられない。記憶を封じたことを責めることもしなかった彼女の優しさが心に染みた。
『今は休むと良い、我が娘として選ばれた聖女クローディア』
神龍セイントレアからの労いも受けて、クローディアは解呪の後遺症によって記憶を失ったことになった。
馬車に揺られながら移り変わる景色を眺めてクローディアは少し前の出来事を思い出していた。
聖女としての正装である肩を出した純白のワンピースドレスに、白銀の薄い衣が背中から両手の中指に繋がれている。
両腕を広げれば翼のように広がって見える衣は、神龍セイントレアの娘の証だ。
神が好きな白い百合の花を模した冠を身につけて、クローディアは聖女の役目を果たすべく、戦地へと赴いていた。
セイントレア国は神龍セイントレアによって建国された。
遥か昔、様々な理由で迫害された者・戦争によって故郷を失った者、多種多様な人種が集まり、神に願った――どうか、我らを受け入れてくれる場所を与えてほしいと。
こんな自分たちを受け入れてほしい。苦しみ続ける彼らを憐れみ、神龍セイントレアは〝種族が違えど互いに争わず、力を合わせて共存していくこと〟を条件に神の力を使い、荒れ果てた土地に恵みを与え、国を築いた。
なので、国民は獣人やエルフ、魔族に人間と種族は多種多様だ。さらには先祖が他国の血を継いでいて、その名残りとして名前がこの土地特有のものでない者もいる。
「この国は、周辺国から手に負えないと、誰の領地でもなかった魔物溢れる土地だったのです。どんなに神が国を守ろうとも魔物の脅威は無くならない。国を守る神の代わりに聖騎士たちが魔物と戦っているのですよ」
隣に座るモモが物語を語るようにこの国の成り立ちを、魔物と今も戦っていることを教えてくれた。
目覚めて記憶を失ってから間もなく、聖女としての役目を果たさなければならなくなったクローディアが、現状を理解できるように分かりやすく。
クローディアは生きていく上で必要な記憶はあった。聖女としての力の使い方も覚えていたけれど、人との関りやこの国がどういったものなのかは忘れてしまっている。
こうして護衛騎士であるモモに教えてもらっていたのだ。彼女は世話係であり、友人だったこともあってか、嫌な顔することもなく、状況を理解できるまで何度も説明をしてくれた。
「クローディア様はつい最近、聖女として選ばれたのです。一百年振りにですよ! 凄いことなのですから。それで、聖女様は魔物との戦いで受けてしまった聖騎士たちの呪いを解き、土地を浄化する役目があるのです」
「聖女でも、聖騎士でも呪いってかかるものなのね」
「はい。神に選ばれたからといって中身は人間ですから。魔物と戦える力を与えられたとしても、魔物の呪いを跳ね返すことはできないのです」
神龍セイントレアが人間に与える力というのは一欠けらにすぎない。神の力というのは人間の身体に負担をかけるからだ。全ての呪いを弾くなど、それほどの力を与えられて耐えきれる人間はいない。
その代わり、呪いを解く力を一部の人間に与えられているのだ。聖女はそれだけでなく、土地の浄化もできるように力を授かっている。
「あ、もう着きますね」
教えられたことを覚えるように脳内で反芻していれば、モモが外を指差した。馬車の小窓からは聖騎士たちが設営した拠点が見える。
木々に隠れるように建てられた周囲を見渡せる見張り台の傍で、騎士たちが休んでいる。小さな石壁の建物には怪我人を運ぶ姿もあった。
馬車が止まり、モモに先導されながらクローディアは拠点へと足を運ぶ。
石壁の建物に寄り掛かるように座り込む騎士たちが目に留まった。彼らの腕や肩、足から黒い靄が溢れ出ている。
その靄は聖女であるクローディアにしか見えていないようだ。モモに「彼らの解呪をお願いします」と言われて、クローディアは呪われているだろう黒い靄が出ている箇所に触れていく。
力を注ぐように念じれば、黒い靄は砂のようにさらさらと散っていった。瞬間、苦しんでいた騎士たちが嘘のように元気を取り戻す。
(ちゃんと、聖女の力は使えるのね)
少しばかり安堵した。使い方は忘れていなかったとはいえ、不安だったからだ。これは大丈夫そうだと次の騎士の肩に触れて解いていく。
一人一人と呪いを解いて、ふと視線を上げた視界に捉える。少し離れた先に動き回る騎士たちへ指示を出している青年がいた。
端整な顔立ちによく映える竜の眼は切れ長で、艶のある長い黒髪を緩く一つに結った姿は凛としている。
黒を基調とした金の装飾がされた華人服を元にしたような衣に、鎧を付けている青年は刀身の長い剣を腰に掛けていた。
クローディアは思わず顔を顰めてしまう。それほどまでに酷い呪いが、彼の全身を纏い黒い靄が渦巻いていたのだ。
普通の人間ならば苦しみもがいているだろう。その重い呪いを何とも思っていないかのように青年は立っている。
「モモ、彼……」
「あ、リーウェン聖龍将軍様です」
「聖龍将軍?」
覚えのない単語にクローディアが首を傾げれば、モモは「これも忘れてしまったのですね」と、小声で教えてくれた。
聖龍将軍とは神龍セイントレアに選ばれた騎士であり、聖なる龍となった存在である。
人間を辞め、生涯を神龍セイントレアに仕える彼は聖騎士団の上に立って、彼らを指揮しているのだという。
だから、呪いを受けていても平気な顔をしていられるのか。クローディアは納得したけれど、あの呪いは解いたほうがいい。いくら聖龍とはいえ、身体に負担はある。
クローディアはリーウェンへと歩み寄って声をかけた。彼は指揮していた手を止めて、「なんだろうか」と返事を返す。
「新しく選ばれた聖女、で間違いないな。何か俺に用だろうか?」
「リーウェン聖龍将軍様。貴方の呪いを解かせてください」
「あぁ。俺はまだ耐えられえる。先に部下たちの呪いを解いてほしい」
「貴方以上に酷い呪いの騎士たちはいませんけど?」
自分よりも他の騎士たちを。そう答えるリーウェンにクローディアは、思わず強い口調で言葉を返してしまった。
現状、最優先するべきはこの呪いの塊のようなリーウェンだ。他の騎士たちは軽度であり、急ぐ必要はない。
むしろ、貴方の呪いのほうが周囲に悪影響を与えかねない。クローディアは残っている知識の一つを思い出す。
呪いを多く被っている人間の近くにいると体調を崩す。これは聖女の力の使い方を覚えていたから残っていた知識のようだ。
クローディアは「貴方の呪いは解いた方がいい」と言って、リーウェンに手を差し伸べる。
「俺は問題ない。俺よりも部下たちを優先してほしい」
「自己犠牲もほどほどにしなさい!」
クローディアの大声に周囲に居た騎士たちが一斉に顔を向ける。クローディアは眉を寄せながら腰に手を当てて、リーウェンを見つめる。
それは子供を叱りつける母親のようで。リーウェンもモモも目を瞬かせた。
「自分の事もできないで部下たちに示しがつくとでも思っているの? 貴方は聖龍将軍で、彼らの上に立つ存在なのでしょう。ならば、上の存在がしっかり治療をしなくては、部下たちは自分の負った傷を過小評価するわ」
聖龍将軍が平然としているというのに、自分がこんな傷で弱音を吐いている場合ではない。そう思う騎士たちは多いのではないか、貴方を慕っているならば。そんな騎士たちが無茶をしたらどうするのか。
上司であるならば、身をもって示すべきだ。ちゃんと解呪をするように、治療するようにと。クローディアは「自己犠牲で何が救えるというの」と、リーウェンを叱った。
クローディアは自己犠牲の精神が嫌いだと思った。自分のことを犠牲にして、何が救えるのだろうか。自分の事すら救えずに他人を助けることなどできるのか、そう思って。
何故、そう思ったのだろうか。それは分からなかったけれど、心の奥底から嫌だと感じたのだ。
「ほら、手を貸してください」
リーウェンの返事も待たずにクローディアは彼の手を掴む。どっしりとくる呪いの重さに顔を顰めながらも、力を注ぎ込むように念じた。
ゆっくりと、足先から黒い靄が砂となって消えていく。数分としないうちに、黒い靄の渦は無くなっていった。呪いを解いたことを確認してからクローディアは「これでおしまいです」と言って手を離す。
「自分の事もちゃんと考えたほうが良いわ」
クローディアはそれだけ伝えてから、他に呪いにかかった騎士の元へと向かう。視界の端で呆気に取られていたモモが「待ってくださいよ!」と、慌てて追いかけてくるのが見えた。
(あ、聖龍将軍様を叱ってしまった)
いくら自分が聖女であっても聖龍将軍のほうが位は上なのでは。やってしまったかもしれないと思ったけれど、後戻りはできない。
これは仕方なかったということにして、クローディアは呪いにかかる騎士に声をかけ、解いていく――そんな時だった。
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