第9話 再戦

 イワノフはふと我に返り、頭を軽く振った。過去の亡霊に囚われている場合ではなかった。目の前には、今まさに自分の命を狙おうとしている者たちがいる。これ以上、過去の記憶に逃げ込むのは愚かなことだ。


 彼は冷たい目で仲間たちを見渡し、闇の中に立つ田熊と狗飼の姿を捉えた。余計な感傷は不要。彼らを排除するのが、今の自分にとって唯一の目的であり、組織のために必要な行動だと理解していた。


「回想などする暇はないな。今ここにいるのは俺たちとお前たち、それだけだ」とイワノフは低く言い放った。その言葉に、彼の部下たちも構えを直し、緊張が再び張り詰めた。


 田熊はその様子をじっと見据え、「やっと現実に戻ったようだな、イワノフ」と不敵に微笑んだ。狗飼も静かに頷き、身構えた。


 イワノフは部下たちに合図を送り、冷たい一声を放った。「ここで終わらせてやる。来い、田熊!」


 そして、闇の中で再び火花が散り、激しい戦いが幕を開けた。

 イワノフは小屋に逃れた。🛖小屋は床の穴を通じて別世界に繋がっていた。


 茨城の寂れた小屋の中で、戦いの音が消えた後も冷え切った空気が漂っていた。田熊と狗飼は、イワノフを追ってこの小屋に辿り着いたが、そこには思いがけない人物が待ち構えていた。


 暗がりの中、ひとりの女性が椅子に腰掛けていた。深津絵里を思わせる美しさと静かな強さを感じさせるその顔立ちが、薄暗い部屋の中でも印象的に浮かび上がっていた。彼女の名は須郷杏子。田熊たちは彼女がただの女性ではないと瞬時に悟った。


 須郷の手元には、一本の切り出しナイフが握られていた。長年の使い込みによって刃は鈍らず、むしろその研ぎ澄まされた輝きが本物のプロの手にあることを示していた。彼女が静かに田熊と狗飼を見据える視線には、並々ならぬ覚悟と凄みが宿っていた。


「田熊刑事、わざわざ茨城までご苦労なことね」と須郷は静かに語りかける。「けれど、あなたたちがここにいる理由は、あのイワノフとだけじゃないでしょう?」


 田熊は眉をひそめ、「須郷杏子、イワノフの仲間か?」


 須郷はかすかに笑みを浮かべると、ナイフを指でなぞりながら答えた。「仲間?違うわ。ただ、彼には恩があるの。それだけよ」


 彼女は机の上にある煮干しをひとつ手に取り、軽く噛み砕いた。その行為が妙に落ち着いていることに、狗飼は思わず警戒を強めた。見た目の穏やかさとは裏腹に、彼女にはどこか冷酷な気配が漂っていた。


「須郷さん、一体何者なんだ?あなたの目的は?」と狗飼が問いかけた。


 須郷は視線を遠くへと向け、口を開いた。「私の目的?それは賤ヶ岳の戦いの如く、名誉をかけた復讐よ。あの戦で多くの者が犠牲になったように、私もまた…」


 彼女の目に一瞬、悲しみの色が浮かんだが、それもすぐに消え去った。田熊はその変化を見逃さず、「復讐か…だが、俺たちを止める理由にはならない」と一歩踏み出した。


 すると須郷は静かに椅子から立ち上がり、ナイフを構えた。「なら、あなたたちがここで倒れるまで戦い続けるだけよ」




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