逃亡

 目を覚ましたとき、私は体を布に包まれて担がれていた。一瞬、自分に何が起こっているのか理解ができなかった。頭がまだぼんやりとしている。そうだった。私は花嫁の天幕で誰かに眠らされたんだ。どのくらい眠っていたのだろう。覆ってる布のせいで周りが見えず、時間も自分の居場所も分からない。

 私の身体が小さいとはいえ、肩に担いで歩けるということは、この誰かは男なんだろう。この男の目的は何なのだろう。私を殺すつもりなら天幕で殺せたと思う。では誘拐? そんなことして得になるとは思えないけれど……。

「あの! 花嫁をさらうなんて、死罪ですよ! 考え直して戻ってください! 今ならまだ間に合うかもしれません。私が出歩いたことにしますから!」

 私は精一杯声を張り上げた。布を通してだからくぐもった声にはなったけれど、男に聞こえたはずだ。

 男は黙っている。

「聞いてますか?! あなただって死にたくないでしょう?!」

 私はもう一度叫んだ。

「……じゃあ、ヤヌはいいのか? 顔も知らない男と結婚するのが」

 男の声に私は驚いた。

「ルタ? ルタなの?!」


 私は嬉しさとそして絶望感とでいっぱいになった。さらいたいと思うほどルタが私を好きでいてくれるのは嬉しい。けれど見つかったらルタは死ぬ。

「俺は嫌だ。ヤヌが他の男に嫁ぐなんて。ヤヌは平気なのか?」

「平気じゃない。平気じゃないけど、ルタが死罪になるのはもっと嫌。ルタ。とにかく話そう。私を下ろして」 

「戻れというなら下ろさない」

 ルタは村には帰らないつもりのようだ。そうならば、どこへ向かってるの?

 私はどうすればいい? ルタに死んでほしくない。村に戻らないなら、逃げるしかない。

「分かった。村には戻らないから。だから下ろして。そうしなきゃルタ、歩きにくいでしょ」

 ルタは少し考えているのか黙ったまま歩いていたけれど、結局足を止めて私を下ろした。私はがばりと布から顔を出して私を見下ろしているルタを見上げた。暗くて分からないけど、本当にルタなんだよね? 

「ルタ!」

 私はルタの背中に腕を回した。ルタは身をかがめて私の顎をあげると、口づけをしてきた。

 驚いた。かあっと頬に熱が灯る。ルタに初めて口づけをされた。心臓が壊れるくらい早鐘を打っている。ルタのことが好きだった。でも、妻にはなれないと分かっていたから、口づけされるなんてなんだかまだ目が覚めていないのかと思えてくる。こんな日が来るなんて。

「ずっとこうしたかった。ヤヌが好きなんだ」

「ルタ……。うん、私も……」

 ルタの気持ちを初めて聞いた。涙が出そうになった。

 でもこうしてはいられない。私はルタに死んで欲しくない。

 私は改めてあたりを見回した。周りは木々で囲まれている。ここは村の裏の森? 

「ルタ。ここどこ? いったいどこに行くつもりなの?」

 ルタの顔を見上げて聞く。

 ルタは私の言葉に、私の手を引いて歩くのを再開した。私もルタの大股に遅れないよう足を動かす。

「海」

 小枝を刃で払いながらルタは足を止めずに言った。


 海。話には聞いたことがあった。裏の森を抜けて、いくつかの村の先に海というものがあると。川とは比較にならないくらい大きなものだと。

「海に面しているのは町と呼ばれるものだそうね。村よりもずっと人が多くて、なんでも売ってるって。その町で暮らすの?」

「いや、海から別の島へ渡る。そうすればきっと誰も追ってこられない」

 ルタの考えていることは壮大すぎて、私には思いもよらないことだった。海までの道のりは気が遠くなるほど長いはずだ。それまで捕まらずにいられるだろうか。食料はどうするのだろう。残された家族は? 不安が心を覆っていく。

 そんな私の心を読んだかのように、ルタは私の手を握る手に力をこめた。

「大丈夫だ。俺たちはきっと生き延びる」

 結婚しても家族とはほとんど会えない。ルタとももちろん会えない。

 そうなら、ルタと共にどこまでも行こう。

 ルタの言葉に私は覚悟を決めた。




 

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