侵入者

 いつもは家族と同じ天幕で寝ているのに、花嫁は前夜、一人で寝なければならなず、私は心細さに涙をこぼした。隣村までは歩いて5時間ほどかかる。男たちは交易のために行き来するが、女たちはほとんど行くことはない。嫁ぐと簡単に家族とは会えなくなるのだ。

「お父さん。お母さん。ヘク。アヌ。テソ」

 声に出すとほんの一時間前まで一緒にいた両親と兄、妹、弟の顔が思い出される。決して裕福な暮らしではなかった。それでも、家族みんなで食事をし、働き、寝る。それだけで十分幸せだった。夕刻には村をあげての宴会が開かれ、私はその中心で、普段食べられないようなご馳走をふるまわれたけれど、ちっとも嬉しくなかった。

 これまで嫁いでいった女たちはどんな気持ちで宴が過ぎるのを待ったのだろう。きっと同じように不安だったはずだ。私の前に嫁いでいったのは、私も幼いときに遊んでもらった近所のラネ姉さんだった。何年前だったっけ。ラネ姉さんは元気にしてるかな。暮らしには慣れたかな。私も慣れるかな。


 一人で寝る天幕は広すぎて、なんだか寒く感じられた。明日は早い。ちゃんと眠っとかないと。涙をぬぐい、目を閉じる。


 ドスッ。


 何か重い音がして、私は固く閉じていた目を開いた。天幕内の蠟燭は消していたので、暗くて何も見えない。ただでさえ不安だった気持ちに拍車がかかる。獣だったらどうしよう。ううん、それはないはず。天幕の外では男が一人、夜通し見張りをするのだ。

「あの、何かあったのですか?」

 恐る恐る声をかける。返事はなかった。

 何か、あったの? 

 私は身体を固くして、耳を澄ます。


 ガサ。


 今度は違う音。天幕の入り口の方からだ。 

 私はそうっとかけていた布をずらして、体を起こした。じりじりと天幕の後ろ端の方へ移動する。

 何? 何が起こっているの?

 分からない。けれど、天幕に誰かが入ってきた気配がする。私は手で後ろを探りながら、仰向けから半身を起こしたままの体勢で後ろにさがる。

 大丈夫。相手も私がどこにいるか見えないはずだ。そう自分に言い聞かせるけれど、息を止め続けることはできない。

 だめだ。自分の呼吸の音がする。そして、相手の呼吸の音も。

 どうしたらいいの? 人を呼ぼうか。でも声を出したら相手に居場所がわかってしまう。

 手が天幕の端についてしまった。ここから逃げられないこともない。でも天幕は重い。持ち上げるには少し時間がかかる。でも迷っている暇はない。

 時間にして一分ほどだったと思う。私が上半身をひねって四つん這いになったとき。後ろから人間の手と思しきものが私の上衣をつかんだ。私はそれだけで体が硬直してしまい、悲鳴をあげようにも声も出せなかった。 

「ーー」

 私は後ろから誰かに引きずられ、体を持ち上げられた。


 誰か! 助けて! お父さん! お母さん! ルタ! ルタ!! ルタ!!!

 心の中で私は叫んだ。無意識に大好きな幼馴染の名を心で呼んでいた。それでも肝心の声が、出ない!

 私はあっという間に抱きかかえられ、口を何かでふさがれた。

 これは何のにおい?! どこかで嗅いだことがある。記憶が危険だと警告している。

「んんん(やめて!)」

 懸命に叫ぼうとするけれど、声は私の口をふさいでいる布か何かに吸収されてこもった雑音にしかならない。

 だめだ。力が抜けていく。この香り。もしかして、儀式に使う眠りの香?!

 私は意識を失った。

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