23話 黒木さんのつぶらな瞳の代償は
2車線同士の交差点。
時刻は夕暮れに差しかかり日の光が一方からまぶしい。
人はそこそこ。
車もそこそこ。
交番が目の前にあるから基本的に車も自転車もみんなおとなしい運転。
信号が変わる直前から渡り始める人も居るくらい。
そんな、何十回と見た光景。
そんな横断歩道の先に居るのは黒木さん。
高校に入って、初めて話しかけた相手。
会話は苦手だけど嫌いじゃないタイプ。
好きなものを語らせたら止まらない。
背は低めで体育だと前の方。
体も小さめで軽そうだし猫背だけど、実はそこそこにあるお胸。
たぶん美容院に行ってないか、行くとしても数ヶ月に1回なぼさぼさの髪の毛。
新入生のくせにまったく美容に気をつけてない、たぶん中学と変わらない格好。
話すといつもおどおどしてるけども、同類相手だとそこまでじゃない。
つまりはごく普通の、ただちょっとだけインドアで静かに過ごすのが好きなだけの女の子。
最近はなぜかやたらと真横にぴっとりくっついてくる子。
ビン底メガネとぼさぼさ前髪と横髪とうつむきがちな角度のせいで、いつも近くに居る子しか知らないけども――実はかわいい小動物系の顔。
今世で「今どきの女子」としての美容を極めている僕なら分かる。
この子は磨けば芸能界――より今どきはSNSでの有名人――きっと、それにもなれる。
こういうかわいい小動物系女子なんて、ただこの子みたいなだけで世の中の男が見逃さないんだ。
ただ、この子自身がそういうのに興味なくって――ほら、今でも買ったばかりの本に顔うずめて損してる。
けど、僕はそういう生き方もいいって思うし、高校はそうするつもりだから否定はしない。
ただただ、この子の素質を知ってるのは僕だけだって喜ぶだけ。
そんな、女の子。
同級生の女の子。
「――――――――すぅ」
加速した思考は、一瞬ですごい量の独白を叩き出す。
おかげで体は臨戦態勢。
手足に汗がにじみ、心拍も上昇、反射神経も敏感になっている。
体に意識を沿わせると――もう、腰を落としている。
中学までは毎日走り込みとか運動をして――健康的な女の子の範囲で鍛えてきた体。
それが、久しぶりに全力を出したいとウズウズしている。
「よーい」のあとの音を、今か今かと待っているんだ。
――うん。
今世の僕はね?
顔も体も、僕好みなんだ。
ついでに、マラソンを走っても痛くならないサイズの胸まで含めてね。
「――救急車、警察、お願いします」
もっと腰を落としながらぎりぎり聞き取れそうな音量と速度で店長さんへ声をかける。
「え? 明乃ちゃん、何を――――」
うん、認識してくれてるなら充分。
彼――彼女ならきっと、良いようにしてくれるだろう。
たとえ――――――――「これ」をして、僕がどうなったとしても。
僕はつま先へ、ふくらはぎへ、ふとももへ、腰へ、全体重をかける。
――今日の靴、店長さんとの買い物ってことで女子に流行りのダサスニーカーにしてて良かった。
全力出したらスカートめくれちゃうかな。
でもいいや、かわいいハムスターが助かるんなら、僕のぱんつくらい衆目に晒しても。
――最後に全力を出したのは中学最後の体育祭のリレーくらい。
1歩、2歩と加速する。
この体は恵まれている。
見た目、肌の綺麗さ、髪質、体力、背の高さ、胸とおしりの大きさ、そして筋力に運動神経。
そのどれもが文句なし――やろうと思えばなんにでもなれる、素晴らしい体。
そんな体に生まれ変わった――男だった僕。
そんな体が、これで木っ端みじんになるかもしれないけども――それでも僕は。
呼吸は止まり、世界は減速する。
持っていた紙袋は走るための犠牲に投げ捨てて。
それを知覚した人が振り向いてきて。
――青信号でみんなが渡りだそうとしている。
車は――恐らくは止めようとして、さらに加速している。
踏み間違い。
よくあることだ。
不幸な事故。
よくあることだ。
僕の視界はもう交差点の真ん中。
車は進行方向を変えない。
変えられない。
よくあることだ。
そして、その先のあの子の方に向かっている。
信号待ちの人の列に、わざとじゃないのに車が突っ込む事故。
よくあることだ。
けど――僕の知り合いには、あの子には――イヤだ。
――多分買ったばかりの新刊に夢中で、信号が変わったことにも車が来てることにも気がついていない、初めて座った席が隣通しだって理由でとりあえず話しかけてから毎日一緒の、ずっといて落ち着くタイプで急に話しかけると「むぇぇ」とかテンパって、でも素材は良いから美容院にでも行けば確実に美少女デビューできるのにって思いつつ男どもに食い散らかされるくらいなら一生このまで居て欲しいなぁって思ってる――――――――。
「……ぽぇ?」
第一声がそれかぁ。
僕は、気がついたら苦笑している。
ああ、君は本当にジャンガリアンハムスターだね。
そんなことを思って。
目の前に迫って、顔を上げて、僕を見て――そんな鳴き声を発している子。
黒木さん。
そんな彼女を、僕は――「買ったばっかりの新刊だろうけどごめんね」って心の中で謝りながら――抱きしめ、全力で、走ってきたモーメントのままに――跳んだ。
◇
「……え……銀藤さ……じゃない、お姉、さん……?」
「――ふぅ。 痛くはないかな」
「は、はい……え……え?」
僕の腕の中で――衝撃で吹っ飛んじゃったらしい、命と等価だろうビン底メガネ。
これを選ばせたこの子とこの子の親のセンスに男除けの感謝を抱いていたメガネさん。
それがない彼女。
つぶらな瞳をぱちぱちさせて、きょとんとして、ただただ僕を見上げている彼女。
それはまるで、ベッドにそっと押し倒されて、それを自覚していないかのよう。
「……え。 ……ひゅい?」
「うん、良かった。 衝撃は、全部吸えたみたいだね」
この子を抱きしめて何回か地面にぶつかって、何回も回転して。
――けども僕の両手はしっかりと、彼女の後頭部と首筋を支えている。
僕の手の甲は、たぶんすごく痛い。
けどもそれが「この子が受けるはずのものだった」って思うと、すごく誇らしい痛み。
首と、後頭部。
生命の急所を、しっかりと守ることができたんだ。
「……え、今……車が?」
「人を……女の子を跳ねて……?」
「き、救急車!?」
周囲でようやくに状況を理解し出す声が聞こえる。
「へ。 ……むぇ?」
そんな中、当事者の彼女は――まだ理解していない。
「黒木さん、息をして」
「へ?」
「大きく吸ってー」
「あ、はい。 ……すぅー……」
「吐いてー」
「はぁー……」
よし、認知は正常。
呼吸も正常。
呼気から血の臭いもしない。
「痛いところとか熱いところはない?」
「むぁ、はい。 あ、でも、お姉さんの顔が近くて」
「そ、ならよかった」
ひとまず打ち身以上のケガは無さそう。
素人判断だけどね。
「――明乃ちゃん! 大丈――――――――」
気がついたら黒木さんのメガネを外して押し倒した形の僕は、背中の方から遠く聞こえてくる店長さんの声に安心する。
「……ひとつだけ、お願い、聞いてくれるかな」
「ひゃひっ!? わ、わたし、初めてだけどお姉さんが相手――」
「――屋外では本とか読まない。 歩きながらも読まない。 特に交差点とかね」
「優しく――むぇ?」
「今どきは治安も悪いし車も暴走しがちなんだ。 そんなところに君が、前も向かずにちょろちょろしてたら――僕が、心配で寝れなくなるから」
「……? は、はい……?」
ふぅ。
必要なとこを伝え終えた僕は、くらくらする視界を休めることにする。
何か変なこと言ってたっぽいけども、たぶんこの子のことだから気にする必要はないし。
ま、とりあえずこれで良し。
あとのことは――ぜんぶ店長さんに丸投げしちゃおう。
ほら、脚とか動かなさそうだしさ。
女の子を守った名誉の負傷、ってね。
◆◆◆
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