7話 紅林さんだった
「ア、アキノちゃんだよねっ!? ほ、ほらっ、この『歌ってみた』の!! ……あ、ご、ごめんなさいっ!」
「いや、良いけどさ」
赤みがかったウェーブ。
着崩したギャル。
そして、助ける直前から何回か聞いた声。
……気が付けよ僕……紅林さんだって……!
そうしてたらさっさと適当な通行人に渡してさよならできたのに……!
ってのは無理か……あの状況、かなりやばかったし。
「……あたし、アキノちゃんに助けられたんだ……」
……で、その紅林さんはというと、どうやら僕の夜の姿――学校では隠してる、この体を存分に発揮したアカウントのフォロワーさんだったらしい。
いやまあ、確かに僕のやってる活動とこの子みたいな性格とはマッチするけどさぁ……まさかこんなピンポイントだなんて想像できるわけないでしょ!?
まさかお昼休み振りに会うだなんて想像できるはずもない。
そもそも話したことすら何回ってレベルだよ?
あれだ。
飼い主同士が知り合いでさ、お金持ちの家の優雅に好きなとこうろついてるペルシャ猫と、そこに連れて来られたケージの中で震えてる一般家庭の子供が飼ってるジャンガリアンハムスターって間柄だし。
「うへへへ……あたし、アキノちゃんの手、握っちゃった……」
「あのー、分かってると思うけど、君、今すっごいピンチだったんだけど」
「やっぱ配信通りに『君』って言うんだぁ……本当に男みたいなしゃべり方ぁ……」
「だめだこりゃ」
貞操の危機どころか命の危機だったっていうのに、この具合だ。
顔はクラスで見たことないくらいににへらってしてるし、顔は真っ赤で眠そうだし、話聞いてないし。
……ま、恐かったのから解放されたからしょうがないよね。
こういうのは安全だって確信してからちょっとして、一気に分かるもの。
「ケガはない?」
「はい!! あ、ヒザ擦りむいた程度だから……です!!」
「……うん、曲げても痛がらないし、ねんざにもなってない。 けど、念のために明日か明後日、『転んだ』とでも言って整形外科行ってね」
「アキノちゃんが言うならもちろんっ!! ……あ、です!!」
「………………………………」
……やりづらい。
クラスでは被捕食者として接していた相手が、まるでイケ猫を前にして被捕食者になった雌猫になったみたいなんだもん。
そういうのは肉体も男だった前世で見たかった。
どうせ覚えてないけど。
……今世は体が女だから、女の子が好きな女の子ってレアな個体を見つけなきゃ無理だしなぁ……。
「あ、あのっ」
「危ないことは、やめようね」
「はい!!」
とにかく紅林さんとはリアルで会ったこと――あるどころか、学校でほぼ毎日会ってる。
接点は無いけども同じクラスだし、会話も――HRとか体育とかで皆無じゃないし、今日だって会話したし。
そしてなにより近距離で顔を合わせてるんだ、いくら普段はジャンガリアンハムスターBになっていて今は人間になっているとしても、長時間の接触は危険だ。
……いやまあバレても良いんだけど……いやいや良くない、この子はぜっったいに秘密なんてできないタイプ。
それこそバレた次の日には、いや、その日じゅうにクラスどころか学年どころか学校中の女子たちへ無差別に拡散しかねない。
それはまずい。
僕の平穏な高校生活がどっか行っちゃう。
せっかく大切に育んできたジャンガリアンハムスターライフが台無しだ。
それだけは嫌だ。
僕はハムスター仲間たちとこそこそ慎ましやかに静かな高校生活を送りたいんだ。
黒木さんたちとこそこそもぞもぞ静かに隅っこに居たいんだ。
「繁華街は良いけど、人目のないところには行かない」
「はい!!」
「あと、ナンパとかうざったいのはよーく分かるけど、できる限り煽ったりしない。 周りを頼る。 君は女の子なんだから」
「はい!!」
返事だけは元気だね。
「蹴りで1人なら一時的にでも無力化できるのはすごいけど、大人の男を怒らせるような危険なことはしない。 頭に血が昇ったら何されるか分からないし、恨まれるからね」
「はい!!」
「あと――あれ、一緒に居ただろう友達は?」
「みんな逃げました!! あとでシめます!!」
あ、逃げられたんだ……っていうか多分この子、逃がしたんだよね。
クラスで眺めてた限りだと、なんとなくそう感じる。
この子も根は良い子っぽいから。
「あ、うん……ほどほどにね? 仏様も2回までなら笑顔で許すからね?」
「アキノちゃんも許しますか!!」
「許す許す、実害なかったんだから許す、良いね?」
「はい!!」
紅林さんが見たことない速度で良い返事をしている。
それを学校で発揮すれば、先生からもめんどくさそうに見られないのにね。
「じゃ、君も大丈夫だったみたいだし」
「奈々! ななって言います!!」
うん、知ってる。
紅林菜々さんだもんね。
「……僕は行くけど、奈々ちゃんもこれから気を付けてね」
「はい!! あ、最後に写真」
「奈々ちゃん」
――くいっ。
「ひゃうっ」
彼女のあごを、そっと指で持ち上げる。
「――悪いけど、それはだーめ。 良い子だから――ね?」
「……っ! ……っ!」
こくこくこく。
真っ赤な顔をした紅林さんが小刻みにうなずく。
……こういうの、後になって盛大に爆発するから本当はやりたくなかったんだけどね……けど僕、ダダこねる女の子を黙らせる手段、これしか持ち合わせないから。
この勢いだと、えんえんと着いてこられそうだししょうがない。
うん、紅林さんの綺麗な顔を近くで見て眼福だし良い匂いするけど、不可抗力なんだ。
「じゃ、今度こそ。 気を付けてね、奈々ちゃん」
「……ふぁい……」
女の子ってのは壁ドンとか顎クイに弱いもの。
それは同じ女の子相手でも効果があるから、これで落ち着いてくれるだろう。
――周囲に目をやると、路地の隅からお兄さんたちが僕たちを見守ってくれている。
うん、これなら彼女が確実に安全になるまでは見守ってくれるだろう。
悪いけど悪くないお兄さんたちによる見守り隊。
僕の、短いけど少なくない時間を過ごしているここでの信頼に任せ、背中に感じる視線から逃げるために、僕はジョギングすることにした。
◆◆◆
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