第10話 不自由を願い(3)

『市村さん、ハムステッドの焼き菓子って検査通ったんでしたっけ』

「検査は通りました。今、デザインの最終調整中です。どうされました?」

『広告部が『手土産にお薦め最新お菓子@銀座』特集を再来週打つそうで、そこに間に合わないかなって』

「でしたらアディジェのゼルテンはいかがでしょう。元々クリスマス時期のお菓子ですので希少価値が……、あ、でも置いているの銀座特設だけですね」

『いや、銀座に置いているならオッケーです。じゃあ、そっちでいけるか調整してみます』

「お願いします。ハムステッドも進捗確認しておきますね。こっちも広告載せられるならありがたいので……」


 ディーラー部のマネージャーと話している間に別の着信が入ったので、「すいません、また後で」と切り、かかってきた電話を確認する。ちょうど話をしていたハムステッドの取引先からの電話だった。

 ハムステッドはイギリス郊外北部に位置する高級住宅街だ。ハムステッドティーの仕入れ先を探していた時に立ち寄った菓子店のスコーンが美味しく、なんとか日本でも売れないかと交渉を始めたのは去年の夏だ。一年以上かかったけれど来月には店頭における見込みが立っている。とはいえ包装の最終調整でバタつき、シビアなスケジュールになりつつある……そんな中で、菓子店オーナーのウィリアム・ミッチェルさんからの電話だ。


(イギリスは今、朝の七時か。昨日送った案が気に入ってくれた電話だといいんだけど……)


 一呼吸おいてから、電話に出た。


「Hello,Willy. How are you?(こんにちは、ウィリー。調子はどうです?)」

『Of course,it's awesome! (もちろん最高だよ!)』


 彼の元気そうな声に、送ったデザイン案を気に入ってもらえたのがわかった。


『As soon as I saw it,I knew "this is it"! (見た瞬間わかったよ! これだってね!)』

「I'm so glad! Now we will proceed with the final adjustments.(よかった! これで調整進めていきますね)」


 調整が間に合うかを頭の中で計算していると、ウィリアムさんが「|"Now" what are you doing for Christmas?《『それで』クリスマスはどうするんだい?》」と含みのある言い方で尋ねてきた。

 去年のクリスマスから彼とは交渉をしていたため、私がクリスマスも働き続けていることを彼はよく知っていて、また、そのことを大変心配をしてくれている。だから今年こそ休めるだろうね、という意味で聞いてくれたのだろう。

 私は、つい笑ってしまった。


「Christmas is "the time to earn money" in Japan.(クリスマスは日本では『稼ぎ時』ですよ)」

『Really? What's a terrible country!(えぇ? ひどい国だな!)」

「That's exactly right...(本当ですよね……)」


 チャットでチームに『デザイン案OKでたので、これで進めてください。また各々、進捗状況の更新をお願いします』と連絡をし、ついでに先ほど電話をくれたディーラー部のマネージャーと広告部のチーフマネージャーに『ハムステッドも間に合うかもしれないですが、いかがされますか?』と連絡をしておく。どちらに転んでもいいように広告の素案を手書きし始めながら、カレンダーを見る。

 十一月十一日、気が付くと今年も終わりそうだ。


『Your partner is still absent?(パートナーはまだ不在なのかな?)』


 私がため息を吐くと、ウィリアムさんはケラケラ笑った。

 彼と以前パートナーの話をした際に『元カレより顔がよくて、身体がよくて、稼いでいる人じゃないと無理』と答えて以来、ことあるごとに『そんなんだからパートナーが不在なんだよ』とからかってくるのである。余計なお世話といえば余計なお世話なのだが、彼は私のことを娘のように思ってくれているので、無碍にはできない。


「If there's the candidate, don't hesitate to woo him.(候補がいたら、即口説きますよ)」

『But it is "Christmas",isn't it? Even if it's not ideal, is it possible to try night?(でも『クリスマス』だよ? ちょっと『試す』ってのもありだろ?』)」


 あんまりな言い様にゲラゲラ笑ってしまった。



 ――あれから、三年。

 私は日本の老舗百貨店のヨーロッパ地区担当のバイヤーとして、そこそこちゃんと働けるようになっていた。

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