第10話 不自由を願い(2)


 紫貴は窓の下に座り込み、私を手招く。

 彼の隣に体育座りをすると、彼はジャケットを脱いで私の頭の上にかけた。意味があるのだろうと大人しくかぶる。ジャケットを脱いだ紫貴は、映画でしか見たことないような防弾チョッキと長い拳銃を背負っていた。


「それ、本物なの?」

「偽物背負ってたら間抜けでしょう?」


 紫貴は拳銃を抱えると、映画みたいに弾を詰める。やっぱり『本物なのかしら』以上の感想が出てこない。


「あーぁ……みどりともっと話したかったな」

「それは私もそう思ってるわ。紫貴がいけないのよ、私を寝かすから」

「ごめんってば……」


 彼を横目で見ると、口が尖っていた。


「うんざりしないで。ひどいことしたんだから、たくさん謝ってください」


 ツン、とその口を突くと、彼は目を丸くした。それから自分の口を抑えて、クスクス笑う。


「ごめんね? 大丈夫、医療用だしね、中毒性も、マア、……フフフ」

「フフフじゃないのよ、ちゃんと謝って」

「ごめんなさい」


 目の前の床に赤い点が落ちる。同時に、背後の窓から、『パン』と音がした。見上げようとしたら、紫貴に頭をおさえられる。


「下向いてて、みどり。一発じゃ割れないけど、危ないから」

「映画みたいね」

「映画だとマフィアってすぐ死ぬのなんでなんだろうね」


 紫貴は笑いながら、ガチャン、と拳銃を鳴らす。多分、安全装置が外されたんだろう。

 『パン』と、また窓が鳴る。


「……二発だとこの窓はどうなるの?」

「ウン? 五発ぐらいで割れるよ」

「カウントダウンじゃない、それ……」


 『パン』『パン』『パン』と音が続く。私が下を向くと同時に、バンと音を立てて上から窓ガラスが降ってきた。


「あ……」


 彼の銀髪が線を引く。

 一瞬見えたその横顔は、今まで見たことないぐらい楽しそうだった。私といるときはいつも優しい穏やかな顔をしているけれど、紫貴はそれだけでは生きられないのだと、その顔で悟る。

 窓ガラスが割られると同時に立ち上がった彼は、窓に向かって銃を構えていた。

 飛び散るガラスと発砲音を背に、私は隣で落ちていく薬莢を眺めていた。一瞬なのに永遠にさえ思える。コマ送りで進む世界の中で『そんな顔すら、大好き』と思った。

 全ての音が止んだとき、部屋には血痕は一つもなかった。


「Maledizione!」


 何か叫んだあと、紫貴はまた私の隣に座った。彼は不謹慎にも歯を見せて笑っている。


「今のなんて意味?」

「ン? ンフフ……」

「なんで笑ってるのよ?」

「ウン、気分がいいんだ。みどりがこんな俺を見ても、怖がらないからね。嬉しいの」


 彼は楽しそうに弾を詰め直すと、私に手を差し出した。


「最後のデートだ。走るよ」

「……私、薬のせいで、筋力落ちてるんですけど?」

「アハッ! じゃあ抱っこだ。おいで」


 彼が腕を開く。


「ウン」


 彼の胸に飛び込む。死ぬとき、私はこの腕を、この香りを、この人を思い出すだろう。彼は私を姫抱きにして走り出す。彼がドアを蹴破るのと、さっきまで私達が座っていた場所に銃弾が落ちるのは同時だった。 


「みどり、しがみついていて」


 銃声飛び交う中、紫貴は私をかき抱き、ケラケラ楽しげに笑いながら走り続ける。廊下に出ても銃弾が襲ってくる。が、紫貴は怯むことも足を止めることなく、ガン、ガンと撃ち返してしまう。背中が誰かの悲鳴を聞くけれど、紫貴はクルクル回って私に何が行われているかを見せずに、進んでいく。私は、彼にしがみついているしかできない。いつかのセックスのときと同じだ。


(じゃあ、安心だ。紫貴は痛いことしないもの)


 場違いにそんなことを思っている間に、彼は非常口を蹴り破って落ちるように階段を下っていく。無数の銃弾の雨の中、私達は落ちていく。けれど私は少しも怖くなかった。

 彼にしがみつき、銃弾に紛れないように、彼の耳に口を寄せる。


「ご飯を食べてね」

「ウン」

「夜は寝て」

「わかった」

「怪我しないで」

「約束する」


 一階まで駆け下りた彼はマンションの駐車場を駆け抜けて、非常扉を蹴り開けた。外は平穏な住宅街。なのに、私達の後ろを発砲音がついてくる。


「日比谷!」


 人工的な光が私達を照らす。オープンカーのフロントライトだ。そして彼を日比谷と呼ぶ人は一人しかいない。


「出せ!」


 紫貴の叫びに百々目さんは躊躇いなく、こちらに向かって車を発進させた。紫貴が私を抱き直し、近づいてくる車に向かって走りだ出す。

 紫貴は汗ばんでいた。けれど、血の匂いはしなかった。

 ぶつかる、その直前に彼は飛んだ。


(あ)


 コマ送りの世界の中、彼はボンネットを踏み、オープンカーに飛び乗る……ではなく、私を助手席に落とすと、自身は運転席の百々目さんの肩と仕舞われたルーフを踏みつけ、後方に向かって銃を構えていた。百々目さんは私達が乗ったのを確認もせずに、車を反転させ、トップスピードで発進させる。


「なんで折れてる鎖骨に乗る!?」

「うっせえ! 黙って運転しろ!」


 百々目さんは叫んでいるけれど笑顔だし、紫貴は追ってくる人たちに発砲しながらも笑顔だ。


(本当に野蛮な人たちなんだな……)


 そんな今更なことをしみじみ思いながら、私は助手席で打ち付けた腰を撫でながら、後ろを振り返る。一台の車がしつこく追いかけてきているのがわかった。

 紫貴の手が、さらり、と私の髪を撫でた。


「百々目、みどりを日本まで送ってあげて。あとは任せた」

「え、紫貴!?」


 紫貴は追いついてきていた一台の車に向かって、あろうことか、飛んだ。

 彼はボンネットに飛びのった、と思ったらフロントガラスを蹴り破り、車に乗り込む。叫び声と発砲音……どうやら、乱闘しているらしい。そうしてその車は離れていった。

 見送ってから、運転席の百々目さんを見る。


「トム・クルーズなの……?」

「それな。安心だろ?」

「何も安心できない……」


 百々目さんはアクセルを踏み続けている。対向車が不自然なほどいない道路を彼は飛ばし続ける。先程までの喧騒ははるか後ろだ。


(……何、これ……)


 ふと、お腹の底から笑えてきた。

 急に笑い出した私を百々目さんが冷めた目で見る。


「怖すぎて頭おかしくなったか?」

「だって……こんな別れ方って、ある? なんで銃撃戦の中で別れるのよ、フフフ……」

「……笑い事か?」

「フフ、ウン、……笑い事。だって、紫貴、楽しそうだったもの、フフフ」

「あんたの笑い方、紫貴に似てる」


 百々目さんが私の頭を撫でた。せっかく笑っていたのに、撫でられていたら鼻の奥が痛くなった。


「ありがとな、みどり。あんたが相手でよかった。本当に、……よかった」


 それは、私の台詞だ。


(紫貴で、……よかった)


 暴走する車の中で、私は思い切り泣いた。




 ――これが、私のニューヨーク滞在の最後の朝だった。

 つまり、三年前の出来事だ。

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