第10話 不自由を願い(1)

 朝日が部屋に差し込み、窓際に立つ彼の横顔のラインを朝日が彩る。銀髪が光を吸い込んで、宝石みたいだ。


(紫貴、本当に痩せたな……)


 手を伸ばして、彼の右手に触れる。その冷たい指さえも痩せていた。彼はやつれていた。けれど、それでもなお――


「天使みたいだな、みどり」


 私が思っていたことを言って、紫貴は笑う。


「こんな男に声かけられても、次からは無視しなきゃだめだよ」

「紫貴みたいなきれいな人、他にいない」

「ばかだな」

「……ばかじゃいけない?」


 彼は私の手を握りしめ「ウウン」と首を横に振る。そうして、「いいよ」と何でも受け入れてくれる微笑みで、頷いてくれた。こんな人は他にいない。だからこんなに好きになる人はこの先いないだろう。


(でも、別れ話だ)


 分かっていたから私は待った。

 彼は朝日に染まる街を見下ろし、話し始める。


「……俺ね、この間の悪巧み会議で偉くなることになったんだ。でも、会議で決まった通りに偉くなるには、俺はまず一年は生き残らなきゃならない。それはとても……危ないんだ。寝ている君なら、まだしも……起きている君と暮らすなんてしばらく無理なぐらい、俺の周りは嫌がらせがたくさん起きる」

「……撃たれるのは、いやね」

「ウン、……俺もいや。痛いからね」


 彼が私の手を口元に寄せて、息を吐く。あたたかな吐息で泣きたくなった。


「君と暮らすのは本当に、不自由だった。心も、体も、時間も奪われる。俺はずっと猫をかぶらなきゃならないし、君はのんきで警戒心もなくて無力で、厄介な小さな抱き犬みたいだ」


 吐き捨てるような厳しい口調なのに、彼は優しく笑っている。だから、私は黙って続きを待つ。


「……でも……幸せだった。君を抱えて、不自由でいることが、俺の幸福だった」


 そうして彼は、私の手を離した。


「でも今の俺じゃあまりにも君の自由を奪ってしまう。不平等だ。俺は、君とは平等でいたい。だから……」


 彼はもう泣いていない。ちゃんと笑っている。そのことが寂しくて、でも安心した。


「逃がしてあげる。……お別れだ」


 朝日が空に馴染んで、世界はすっかり朝だった。


「でもね……俺は蛇よりもしつこいから、みどりが他の誰の女になってても必ず迎えに行く。次はどこにも逃さないように、この星全部、君にあげるよ」


 悪魔みたいな顔で彼が笑う。とてもいい顔だ。


(いつか、本当にそんなことしそうね)


 私がクスクス笑うと、彼はムと顔をしかめた。が、不意に紫貴は「ア」と声を上げた。


「なあに?」

「『今』、『ここから』、どうやってみどりを逃がそうかなと思って……さっきから囲まれてるみたいなんだよね。このガラス、防弾だけど、そろそろ危ないね」


 まばたきをして、彼の顔を見た。彼は周りのビルを指さして「ほら、あの光はスコープだよ。朝日でキラキラしてると思ったんだよなぁ」とのんびり笑っている。『いたずら成功』の顔だった。


「……別れ話してる場合じゃないじゃないの。ばかね、あなた」

「ばかじゃいけないの?」

「ア、……ずるい蛇」

「好きなくせに」


 彼は場違いにニヤニヤと笑う。そんな模様だらけの彼が何よりも愛おしかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る