第5話 鬼来たりて(2)


 彼の唇が唇に与えられるだけで、背筋に性感が走る。彼の平べったい舌が優しく私の唇をつつくから、早くしてほしくて口を開く。でも、彼は慰めるように舌先で私の唇をなぞるだけ。彼の頭を掴んで引き寄せても、彼はクスっと笑って触れるだけのキスを続けてしまう。

 私だけ汗ばみ、目が潤み、中は濡れていく。


(お腹、熱い……)


 彼のうなじを引き寄せ、彼の意地悪な唇を舐め、前歯で軽く下唇を食む。それでも彼は笑うだけ。ならばと彼の口に舌を挿し込み、拙いなりに彼の口内を探索するけれど、彼はまだ私を焦らしたいのか、意地悪に私の脇腹を撫でて邪魔をしてきた。そんな優しい意地悪にさえ、私は甘く震えてしまう。


(早く触って欲しい……)


 下腹部がドキドキと震え、まだ触れられていない胸が張っていた。破裂寸前の水風船みたいに、ちょっとしたことですぐ溢れてしまいそう。私はそのぐらい飢えている。なのに彼のキスは優しい。


「紫貴ぃ……意地悪しないで……」


 泣きそうだった。

 半日前に抱き合っていたはずなのに、ずっと水を与えられなかったかのように、欲しい。

 彼が私の顔を見て、ゴクリと唾を飲んだ。


「意地悪って……でも、そこまでしたら、俺、キスだけで収める自信ない。疲れてるでしょ、みどり?」


 いいの、と彼が低く尋ねてくる。その声にさえ私は腰を揺らしてしまうのに、優しい彼はまだ私を気遣っている。


(ずるい……)


 なんと返事をしたらいいのかわからなくて、代わりに彼の右手の手首を掴み、薬指の先を咥えた。塩辛いような気がした。彼のタトゥーを舌で味わい、骨を甘噛みし、指の付け根にキスをする。

 視線を上げると彼の頬が赤くなっていた。


「私、……したいって言ったよ……?」


 小声で強請ると彼も小声で、そうだね、と呟き、親指で私の唇をなぞった。


「俺も、……したい」


 彼の親指が優しく私の顎を押し、私に口を開かせる。彼はようやく舌を挿し入れ、私の舌をとらえてくれた。


「ん、ん……」


 先程までの触れるキスが夢だったみたいに、彼は舌の付け根までえぐってくる。彼に与えられるものを必死に飲み下し、まともに息もできないまま彼にしがみつく。


(気持ちいい……)


 彼のしていることは蹂躙だ。なのに、私の感じるものは安心感と気持ち良さだけ。

 彼の冷たい手が性急にパーカーを胸の上までたくし上げ、ブラも力任せに上にずらしてしまう。バチンと大きな音を立ててホックが外れ、晒された胸に彼の手が這う。形を潰すように揉まれ、彼も飢えているのだとわかる。そうわかってしまえば、愛撫の激しさは愛おしさにしかならない。

 敏感な先端を指の腹で遊ばれても、彼に媚びた頭が快楽のみを拾い上げ、もっといじめてほしくなる。両足で彼の身体を引き寄せると、濡れた下着を彼に押し付けてしまった。彼がそんなはしたない私を咎めることなく、腰を揺らし、私の柔らかな肉をいじめてくれる。

 舌を吸い上げられ、胸の先端を潰され、ゴツ、ゴツと腰を突き上げられ、頭の中で火花が散った。


(ァ、……もう……っ!)


 弾ける、と思ったら、達してしまっていた。

 勝手に両足が伸び、腰が震え、力が抜ける。快楽の余波の大きさから、バチ、バチと自分から火花がでている気さえする。

 ちゅ、と音を立てて、彼が私から舌を抜いた。


「……みどり?」

「ァ、……」


 彼は体を起こし、ぐったりと力の抜けている私の膝を掴んだ。抵抗もできず、足が大きく開かされてしまう。


「や、ぁ……、見ない、で……」


 私はもう、ぐちゃぐちゃだった。

 たくしあげられたパーカーとブラジャーが首のあたりでだぼつき、ショーツは脱がされてもいないのにすでに意味をなしていない。ぜえ、ぜえ、と荒い呼吸繰り返しながら、恥ずかしさに目を伏せた。

 彼は何も言わずに私の痴態を見ている。


(もしかして、ドン引きされてる……? だって気持ちよかったから……)


 両手で顔を隠すと、彼の冷たい手が膝から離れ、代わりに私のお腹を優しく押した。


「……一人で気持ちよくなっちゃ駄目だよ。謝って」

「エ……?」

「ちゃんと俺の顔見て、謝って」


 そっと指の間から彼を見上げると、彼は優しい顔で私をじっと見下ろしていた。愛おしくてたまらない、彼の目がそう語っている。だからほっとした。

 顔を隠すのをやめて、彼の手に手を重ねた。


「……ごめんなさい?」


 彼は優しく微笑んでくれた。


「許さない」

「エッ、許してくれないの?」

「ウン、そんな顔で謝られても、……もう、我慢の限界……」


 彼はふざけた調子で話しながら、黒いズボンの前を緩め、下着をずらした。解放された彼の性器は彼の言葉の通り、我慢の限界に来ているようだ。それを見ているだけでこみ上げてきた唾を飲み下し、彼を見上げる。

 彼の額に汗が見えた。


「みどりが明日ベッドから動かなくていいように、俺、全部ちゃんとするから……、いいよな?」


 彼の手がグ、グ、と下腹部を押してくる。その奥にある子宮を意識されられて、口から甘く息を吐いてしまう。


(断らせる気なんかないんだ……)


 彼の欲にお腹の奥が切なく疼いていた。


「……いいに決まってる。紫貴も気持ちよくなってくれなきゃ、やだ」

「ハ、……もう、とっくに気持ちいいよ。頭おかしくなる……みどり、可愛い、大好き……」


 彼は甘くつぶやくと、ショーツのクロッチをずらすだけで、性急に私の中に薬指を沈めた。

 私の身体は彼の指に必死に媚びて、あっという間に根本まで飲み込んでしまう。自分でも触れることができない場所に入り込んだ彼の指が、私の中を探り、押して、広げて、道をこじ開いていく。そのすべてが気持ちよくて、変な声をだしてしまいそうで前歯を噛みしめると、意地悪な彼がキスをした。彼の前歯が私の下唇を引っ張って、それからいやらしく舌で私を誘う。


「みどり……強情だな。素直に口開けて」

「だって……ァアッ! うぅーっ! やぁ、アンッ、……なんで今押したのぉ、意地悪!」

「ハハッごめん、ごめん。じゃあキスね」


 気持ちよくてこぼしてしまう恥ずかしい喘ぎ声を、空気に溶ける前に彼が飲み込んでくれる。だから安心してもっと気持ちよくなってしまう。


(キス、気持ちいい……指も、すごい、……もっと、もっと……)


 彼の胸に自分の胸を押し当てて、彼の背中に爪を立てる。触れあっている場所すべてが磁石のようにくっついているのに、もっと欲しい。


(足りない、こんなんじゃ足りない)


 もっと傍に来てほしいと苦しむ私から、しかし彼は指が抜き、唇も離れてしまった。


「やっ、キスして」

「待って、みどり……」

「早くっ」

「わかったから……」


 勝手なことを言う私に小鳥のようにキスをしながら、彼は避妊具の袋を切った。彼の銀髪から汗が落ち、彼の甘く苦く重たい香りが鼻腔を満たす。伏せていた彼の視線が持ち上がり、私を見る。

 彼の顔は一目で見て分かるほど、私に飢えていた。


「紫貴、来て」


 私が腕を広げると、彼は私を押しつぶしながら一気に押し込んでくれた。疼いていた奥にようやく与えられた熱に喜ぶ前にのけぞってしまう。感じたことがない気持ちよさに、腰がつい逃げようとする。けれど彼の手が腰を押さえつけて、逃がしてくれない。


(死んじゃう!)


 待ちのぞんでいたはずなのに、感じたものは恐怖に近かった。彼の手が私の腹を押した途端、体中の骨がなくなってしまったかのような錯覚に襲われる。処理しきれない気持ちよさに視界が揺れた。そんな中、彼は容赦なく動き始めてしまう。息の仕方もわからなくなり、後頭部をラグに強く押し付ける。


(駄目、……これは駄目!)


 咄嗟に、彼の肩を叩いていた。


「待ってっ」


 彼は私が言う通りに、動きを止めた。


「ごめん、息が……」


 上がる息を整えていると彼の模様だらけの手が私の前髪をかきあげ、目尻に優しいキスをくれた。もう一度謝ろうと彼を見上げる。


「……みどり、平気?」


 彼は真っ赤な顔をしていた。額からボタボタと汗を流し、歯が震えている。可哀想なぐらい我慢してまで、彼は私を気遣いながら、待ってくれている。


(エ、大好き)


 そう思った瞬間に、お腹の奥が勝手に動いてしまった。


「にゃう!?」

「グッ……ウ……」


 彼の形がはっきりと分かるほど締め付けてしまい、私はのけぞり、彼は呻いた。彼がすがるように私の両手を掴む。


「ア、ちがうのっ、わざとじゃないっ……!」

「いいよ、もっとして。もっと……」


 彼は私にキスをして「足りない」と砂漠で水を求めるように呻く。「こんなんじゃ足りない」と、痛いぐらい強く私の手を掴んで、彼は呻く。


「みどり、……欲しいんだ……もっと……」


 尽きることがなく、満たされることがない。

 買ったばかりのラグを汚しながら、彼を知らない頃には戻れないんだと確信させられてしまう、どうしようもない、この欲。


「全部あげるから、全部欲しがって」


 彼は苛立ったように舌を打つと、噛み付くようにキスを始めた。唾液を奪われ、舌を吸い上げられ、息さえできない。全身を彼に押しつぶされ、重たくて、死んでしまいそう。苦しいのに、でも嬉しい。ゴツ、ゴツと彼が進んできてくれると、涙がこぼれるのに、もっと来て欲しい。ずっとイッてるのに、まだ欲しい。


(ァ、こぼれる――)


 酸欠の頭がそう理解した瞬間に、彼が震えた。性急な動きが止まり、ようやく舌を抜かれる。深く息をするだけで全身が甘く痺れてしまう。


「ふぁ、あ、……」

「ハー……」


 彼は荒く息を吐きながら、最後まで出し切るように私の奥に押し付ける。それさえ気持ちよくて私が喘ぐと、みどり、と彼がかすれた声で私を呼ぶ。そうして目が合うと、私達はまたキスを始めてしまっていた。


「みどり、ごめん……いい?」

「謝らないで。私ももっと欲しい……壊れてもいいから……」

「フハ、……最高だ。愛してるよ」


 そんな風に互いに夢中になりながら、私たちの同棲は始まった。

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