第4話 夢見るように触れる(2)

「じゃあここはもう、ニューヨークではないの?」

「ウン、ニュージャージー州のウエストニューヨーク。ニューヨーク州は川の向こう」

「千葉に南東京って都市があるみたいなこと?」

「ウン、そうなるのかな? こっちのが家賃安いし広いから、こっちの家にしたんだ。……みどり、眠いの?」


 紫貴の運転はとても丁寧だ。ボコボコ穴があいている道路だというのに、気がついたら眠くなってしまうほど、スムーズで安心してしまう。


(でも、折角お家に連れ込まれるというのに寝るわけには……)


「寝ちゃっていいよ?」


 不甲斐ない私の頭を撫でて、紫貴は笑ってくれる。


「本当に寝ちゃうよ?」

「時差ボケの中、無理させる気はないよ」

「……いいの?」

「ウン? 何がだめ?」


 右手で私の髪の毛をくるくると遊ばせながら、左手で運転をする彼の横顔は、やっぱりそのまま美術館に陳列してほしいぐらい素敵だ。私は瞬きをして、あくびを噛み殺した。


「寝ちゃったら困るでしょ?」

「みどりを布団まで運ぶぐらいの筋力はあるよ」

「そうじゃなくって……男の人って、そういうこと好きなんでしょ? ……ゲームにしちゃうくらいには……」


 わざと嫌な言い方をすると、紫貴は眉間にシワをよせてくれた。


「みどりを傷つけたクソ野郎殺すとして……俺をそれと一緒にするのは、やめて」

「いきなりすごく口が悪い! あはは、ありがとう、怒ってくれて」

「笑い事ではないんだけどな。……ね、みどり、今どんくらいお金あるの?」

「エ?」


 私は貯金や売れそうなものを思い返してから、「どうしてそんなこと聞くの?」と尋ねる。彼は少し黙ったあと、「この後、俺の家にみどりを連れ込むんだけどね」と切り出した。その切り出しでいいのかなと思いつつ「それと私のお金は関係あるの?」と先をうながしてみた。

 彼は言葉を選んでいるのか、また黙る。しかし意を決したように口を開いた。


「家に連れ込んだら帰したくなくなるというか、すでに帰したくないんだよ。だから理由が欲しくて。金に余裕ないなら、俺の家に住んでくれる理由にならないかなって思ったの。ホテル代はいらないし、俺がすぐ車出すし、案内するし……便利だよ?」

「……家連れ込んで事が済んでも、すぐ追い出したりしないよ、ということ?」

「次、そのクソ野郎との経験で俺の行動予測したら怒るからね?」


 彼が本当に不愉快そうに言うからかえって嬉しくなってしまった。

 私の頭の上で遊んでいる彼の右手を捕まえて、指を絡める。片手運転はあぶないよ、と言うべきなのに、彼の手を離したくなかった。


「私、家族としか暮らしたことないから。喧嘩したり、失敗したりするかも……」

「たしかに。喧嘩も失敗はたくさんするかもね。でも、みどりとしてみたい。やだ?」

「もう。やだって言わせる気ないでしょ」

「ウン、あったらそもそも提案しないよ」

「もう! フフ……」


 思わず笑うと「マア、返事は明日でいいよ」と紫貴も笑った。彼の笑顔には、どんな私の結論でも受け止めてくれる度量があって、だから好きになったんだとあらためて思った。

 車がマンションの駐車場に入っていく。

 時差ボケと満腹で本格的に眠くなっている私があくびをすると、紫貴は「部屋まで我慢ね。抱っこで連れてってもいいけど、やでしょ?」とクスクス笑った。

 紫貴のマンションはフロントにコンシェルジュがいた。彼は紫貴にいくつかの郵便を手渡してきた。紫貴はそれを受け取りながら、コンシェルジュにいくつかの指示みたいなのをする。そのやり取りが手慣れていて、ここで暮らしたときのイメージになった。


「いこ」

「ウン」


 ゴウン、ゴウン、とゆっくりとのぼるエレベーターに乗って、最上階にのぼる。そして、案内された一番奥……紫貴の家は、開けた瞬間に「エ」と声を出してしまいたくなる部屋だった。

 まず、異様に暗い。


「紫貴、これ、電気付いてる?」

「付いてるよ? でも暗いんだよな。その辺で靴脱いで上がって。俺、部屋では靴履かないから」

「……わかった」


 部屋はフルフラットになっていて、日本で言うところの玄関的なスペースはなかった。紫貴に言われた通り、ドアの近くで靴を脱ぎ、部屋に上がる。


(電球が切れてるのかな?)


 念のために壁の照明スイッチをつけたり消したりする。ついているのに、やはり暗いようだ。


(……ん?)


 照明のスイッチの横に、細いバーがついていた。バーといっても出っ張っているわけではない。小さなボタンのようなものが、細いバーの上にある。指を当ててみると、どうやらそれはバーの上を上下に動くようだ。


(まさか……)

「みどり? 家、案内するけど……何してるの?」


 奥に行っていた紫貴を手招いて、発見したバーとボタンを指差す。彼が不思議そうにそれを見ているので、そっと、ボタンを上へ移動させた。

 部屋が明るくなり、目をまんまるにしている紫貴の顔がはっきりと見えた。


「紫貴、まさか……」

「……受け止めきれない。……え? 二年ここで暮らしてるんだぞ……? は? まさか他の部屋も……?」


 紫貴は口をおさえて、顔を伏せる。しばらく待っていると、口をおさえるのをやめ、彼は私を見た。


「みどり、一緒に暮らそう。俺を一人にしないで」 

「ア、ウン、そうね。……プッ……フフフッ」


 彼は真顔だったので、よりおかしくなってしまった。笑いをこらえられない私に紫貴はム、と顔をしかめる。


「みどり、笑い事じゃない。もしかしてシャワーもお湯が出る可能性すらあるんだぞ」

「紫貴、あなた……」

「大寒波の夜に極寒シャワーした俺の努力は……」

「フ……アッハッハッハッ!」

「笑い事じゃないんだってば! ちょっと確認して、みどり!」


 これはちょっと大変かもしれないと思いながら、私の手を引っ張る彼に続いて、家に上がった。

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