第4話 夢見るように触れる(1)
私が生まれたのは広島の
海沿いの街で、
大学では薬学を専攻したの。三原に大きな病院がなくて不便だったから医療に興味を持つようになって……でも医者は大変でしょ? 薬剤師は食いっぱぐれないと聞いていたし、丁度いいかなって。マァ、結果として薬剤師にはならなかったけど、大学で勉強していたお陰で製薬会社には入ることができた。結構いい会社だったのよ? 給料もそこそこ、福利厚生もしっかり、知名度も高いし……ウン、そうね、入りたくて入りたいというより『意地』で入った会社だった。
大学で初めて男の人とお付き合いをしたの。
私、東京に比べたらはるか田舎の土地から出てきていたから、いい……『的』だったんだろうなって今なら分かる。でも、そのときは分からなかった。憧れの東京で、憧れのキャンパスライフで、浮かれていて、楽しくて、声をかけてもらえたのも嬉しくて、付き合ってって言われて、何も考えないで頷いてた。
本当は声をかけられたときも、デートに行ったときも、告白されたときも、違和感があったんだ。店員さんに対する態度とか、ポイ捨てするとか、無理やり触ってくるとか……でも後先考えないで……それで、……エエト、その、いわゆる
……それで、すぐ浮気。
と言うか……『私のターン』は終わったんだって。全部そういう『ゲーム』だったんだって……田舎から出てきた女を誰が一番多くモノにできるかっていう……そういう、男の人の間でやっていたゲーム。都道府県ごとにポイントも違うんだって。広島の女は少ないからポイント高かったんだって、……そんなの、聞いても何も嬉しくはないけどね。
それで、……傷ついた。
違和感があってもその時には好きになっていたから。だからとても傷ついて、でも、……私がそれで負けるのはムカつくでしょ? だから勉強頑張って一番いい会社に入ったの。その時は、溜飲が下がるっていうのかな、気持ちはスッキリした。
でもそんな気持ちで入った会社だったから仕事にやりがいは見つけられなかった。いい会社だし、いい人達と働いていたから楽しかったけど、毎日定時を待ってた。会社だと男の人と関わらなきゃいけないのも、きつかった。年上の男性はやっぱり立てなきゃいけない空気とか、若い女の子は可愛がられなきゃいけない空気とか、そういうの……きつくて……家で一人で、内容のない海外ドラマ観てる時が一番楽だった。
そんなときに社内で新しい企画のコンペがあったの。任意参加だったから、私はスルーしたんだけど、……一つ上の男の人が参加していた。社内コンペだし、通ったらそのプロジェクトのリーダーをやらなきゃいけないから、普通、三十代、四十代の人が参加するの。でもその人は二十五で、でも誰よりも熱意があって、……圧倒的に良かった。だからその人の企画が通ったの。
その人のプロジェクトのメンバーは挙手制で、私は手を挙げなかったけど……、たまに私の受け持ってた研究に近いところがあって、そういうときは手伝いをしてた。その人、誰よりも頑張ってて……誰よりも楽しそうで……つい手伝いたくなる、そんな人だった。
ちゃんと話したことはないけど、いつも楽しそうだった。ちゃんと話したことはないけど、いつか話したいと思ってた。いつか、あの人と……ちゃんと、仕事がしてみたい。次に彼のプロジェクトのメンバー募集されるときは絶対に手を上げよう、そう、思ってた。
その人ね、突然死んじゃったの。
原因は分からなくて、心不全らしいんだけど、なんで? って感じで……。あんなに楽しそうに生きていた人が死んでしまう……明日が来ないかもしれないことが怖くなった。人はいつも早すぎる内に死ぬ、当たり前のことなのに、その当たり前が怖かった。
私、今のまま死んだら、死にきれない、そう思った。
まだニューヨークにも行ってないし、まだやりがいのある仕事も見つけていないし……まだ、本当に好きな人と付き合ったこともない。だから仕事を辞めて、ここに来たの。無鉄砲でしょう? でも、そのぐらい、衝撃だった……。
息を吐いて、紫貴の手を握る。
「……私の初恋はあの人だろうなって思う。付き合いたいとかじゃなくて、……、知りたいって気持ちになったのはあの人が初めてで……でも、何も、……死んでしまったらもう何も聞けなくて……」
「ウン、わかるよ」
紫貴の声はいつものように、何でも受けいれてくれる響きがした。だからその手に縋って、泣くのをこらえて視線を上げる。
「……だから、紫貴、あなたに声かけたの……、あなたが助けてくれたとき、あなたをもっと知りたいって思ったから。もう、後悔したくなかったから。だからすごく頑張ったのよ……ナンパなんて慣れてないんだから、ね」
頑張って笑った。
けれど彼はつられて笑ってはくれず、私の手を握って「ウン」と、真面目な顔で頷くだけ
「ごめん。こんな自分語り重かったよね……何言いたいのかもわかんないし……えへへ、ごめんね、何も気にしないで……」
「笑わないでいい。わかった。……だから俺を好きになってくれたんだね」
彼の低い声が鼓膜に届き、心に落ちる。
自分でも何を言いたいのか言葉にできなかったのに、彼には伝わってくれた。息を吐いたら、一滴だけ涙が落ちてしまった。それを慌てて拭ってから、彼を見る。
「こんなに光栄なことは、この先ないだろうな」
彼は目を細めて、私の手を持ち上げる。彼の唇が指に触れた。
「俺ができる全部で、これまでのみどり、これからのみどり、全部、大事にさせてほしい」
彼の瞳が少しグレーがかっていることに、不意に気がついた。
「俺のところに来てくれて、ありがとうね」
「……ウン、……あそこに、いてくれて、ありがとう……、紫貴」
その後のディナーは、ただ美味しくて、楽しくて、安心して浮かれることができた。紫貴もずっと楽しそうで、ずっと優しい瞳で、私を見てくれていた。私がマナー違反をしても小声で教えてくれるし、私が一杯一杯になって「好き」とこぼしても、「知ってる」と優しく受け止め続けてくれた。
「いこ、みどり」
「ウン」
ディナーの後、彼の車に乗ったときに行き先は聞かなかった。彼についていくと、決めていたから。
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