第2話 軽やかに知り合い(5)


 ホテルのラウンジで彼を待っていると、外からガアンとすごい音がした。立ち上がって確認しようとしたら、スタッフに止められる。身振り手振りと聞き取れた単語から察するに、どうやら近くの店に車がつっこんだらしい。


(怖すぎ……。紫貴さん、大丈夫かしら。事故に巻き込まれてないといいけど……)


 ラウンジのソファーに腰掛け直すと、慌ただしいスタッフたちの横をすり抜けて彼が現れた。約束の五分前。


(ア、素敵)


 相変わらず真っ黒コーディネートだが、機内の服装と素材が異なるのは一瞬でわかる。そのままランウェイに出てもいいぐらい、決まっている。髪もちゃんとセットされている。昨日も格好良かったけど、今日の彼の方がキラキラしていた。

 彼は私を見ると、目を細めて「ウン」と頷いた。そして彼は右手を差し出してくれた。入れ墨だらけの右手に右手を重ねると、彼はクスクスと笑った。


「握手じゃ歩けないよ」

「ア! そ、アッ……すいませんっ」


 慌てて左手でつなぎ直そうとしたが、その前に彼の左手が私の右手を掴んでくれた。当たり前みたいに恋人繋ぎで、当たり前みたいに嬉しい。冷たすぎるその左手をぎゅうと握り返すと、彼が嬉しそうに笑いながら私を見てくれた。


「みどりさんが可愛い格好してくれて、嬉しい。どんな格好でも嬉しかったけど、俺の空回りじゃなくて安心した」

「……私も、一人で気合入ってなくて安心しました」

「俺、デート服も黒しかなくてごめんね?」

「ア、ハイ、いや、……ウン、デートでよかったです」


 彼の右手が私の左手に伸ばされる。ア、と思う前につかまって、彼の左腕に導かれた。彼の導きに便乗してピッタリと寄り添ってみると顔が熱くなった。彼が「嫌じゃない?」と聞いてきた。もちろん、嫌ではない。恥ずかしくて、嬉しくて、慣れないだけだ。そんな私の気持ちはきっと顔に出ている。二十五歳にもなって垢抜けていない自覚はあった。

 それでも、私は気合を入れて彼の腕を掴んだまま、赤くなっているであろう顔を上げて、彼と目を合わせる。


「私、デート服、これしか持ってきてないので、後で買います。そしたら、……またデートしてくれますか?」


 彼は目を丸くした。それから彼は私から目を逸すと、二回咳き込んだ。


「じゃあ、それは朝食の後ね。俺のための服なら俺が買うから」

「え、いや、そういうつもりじゃ……」

「なんで? 俺のためじゃないの?」

「そこじゃなくてっ」

「もう、わかったから。あんまり照れさせないで。俺、こういうの慣れてないんだよ、……早く行こう。コーヒー飲みたい」


 早口で早足になった彼に引っ付いて小走りでホテルを出る。ホテルの近くにパトカーや救急車が来ているようだった。


「ア、そういえばさっき事故があったみたいで」

「行こ。渋滞に巻き込まれると面倒だ」

「え、あ、はい……」


 彼は事故があった方を一瞥してから、そちらとは逆方向に歩き出した。


(なんだろう、やけに冷たいような……いや、デート前に渋滞に巻き込まれたくはないもんね)


 小さな違和感に目をつぶり、彼の隣を歩く。彼の冷たい手が私の体温に馴染むぐらい歩いた先に停められていた車は黒の高級車で、「また黒!」とつい言ってしまうと、彼は赤い頬で「好きなの、黒」と笑った。


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