第2話 軽やかに知り合い(3)

「時間かかってたね、入国手続。混んでたの?」


 私の入国手続をベンチに腰掛けて待っていてくれた紫貴さんに、自分の英語力がポンコツ過ぎて別室送りになりそうだったと説明すると、彼はクスと品よく笑ってくれた。


「俺の見た目でも別室送りはあんまりないよ、大丈夫」

「紫貴さんの見た目だと大変なんですか?」

「マァ、パスポートの時と入れ墨の量が違うからね。違う人に見えなくはないかも。でも本当毎回『パスポートと違う』って言われるから、大変なんだよ。今のパスポート更新するまでは顔に入れられないなあ……本当は般若を入れたいんだ。こう、顔の全面に、格好いいでしょ?」


 彼はなんてことないようにとんでもないことを言った。

 私の入国検査もそれなりに時間がかかったけど、きっと彼ほどではないと思い直し、「旅行者の方は列が混んでました」と付け加えると、「寒い中、みんなよく来たね」と彼は穏やかに微笑んだ。その後、二人で預け荷物を受け取りに行ったが、レーンから出てくるまで時間がかかりそうだった。ぼんやりと周りを見てから、彼を見る。彼の手の中のパスポートは青色だった。


「青色ですね」

「ン? あぁ、パスポート? アメリカで発行したからね」

「あ、日本で発行してないんですね」


 彼は口元を人差し指で気まずそうに触った。


「……俺、日本と関わりがあるから和名もあるんだけど、日本国籍じゃないの。いや?」

「へ。嫌じゃないですよ! ア、日本語お上手ですね?」


 私の咄嗟の回答に彼はクスクスと品よく笑った。


「日本の人、すぐそれ言う。なんなの? 当たり前のこと言われても困るよ」

「ウ、だって日本語難しいじゃないですか、英語と全然違うから」

「人の口から出るものなら真似しやすいよ。猫の真似のが大変」

「にゃーお?」

「フフ、あざとい」


 そんなことを話しながら荷物を待ち続けていると、「この後、俺は税関だな」と彼は退屈そうに呟いた。


「みどりさんは税関、何かある?」

「何もないです、紫貴さんは?」

「酒と煙草。でも、他にも持ち込んでると疑われて、すごく時間がかかる。だからもう申告しないで通り過ぎようとしても捕まる……入国手続きで言っているのに、絶対にもう一回は捕まるんだ……」

「ワァ、苦労されてる……」

「俺が終わるまで待っていてくれる?」


 彼はあざとく首を傾げる。可愛いなあと思いながら、私は頷く。彼は嬉しそうに歯を見せて笑った。


「むしろ、ちょうどいいですよ。私、その間にホテル探せますし」

「へ、ホテル? ……なぜ?」

「実は衝動のままに来たので、今日泊まるところも決まってなくて。急ぎ、近場で探そうと……」

「あァ。なんだ、そういう意味か」

「え?」


 彼を見上げると、彼はわざとらしく目をそらす。彼のその『気まずそうな』仕草を見て、少し考えて『意図』に気がつく。


「もし私が二人泊まれるホテル探したらどうされるんです?」

「……そりゃ、みどりさんに誘われたらホイホイついていくよ?」


 言葉を交わして、視線を交わして、お互いの好意の量を探り合う。多分今が一番、恋の楽しいときだ。


(そわそわして、ふわふわして、楽しい。紫貴さんもそうだといいけど……)


 頑張って、彼の左手の小指を掴んでみた。彼は一瞬体を震わせたが、ゆっくりと、私の手に指を絡める。彼の手は冷えていた。初めて感じる体温だ。

 私は彼を見上げて、ニッコリ笑う。


「シングルを探します」

「……ふうん」

「エ、怒りましたか?」

「怒ってないよ、拗ねただけ」

「その言葉のチョイスはずるくないですか?」

「マア、いいや。お薦めホテル教えてあげるよ。観光地アクセスしやすくて、日本語話せるスタッフがいて、治安よくてシングルが安いところ」

「エ、すごく助かります、ありがとうございます!」

「マァ、ダブルも安いけどね……」

「ウフフ」

「エ、ごめん、怒った?」

「怒ってないです、浮かれてるだけです」

「その回答も可愛すぎない?」


 ようやくレーンに荷物が流れ始めた。流れてきた彼のトランクはやはり黒で、おかしくて笑ってしまった。彼は私が笑った理由を聞くと「楽なんだよ、黒は」と苦笑した。

 その後、税関手続きで彼は本当に時間を要していた。

 その間に私は彼のお勧めホテルに連絡をすると、日本語で応対してくれるスタッフも在席にしてくれていたので、スムーズにシングルの予約が取れた。値段もマンハッタンの中心街に近いにも関わらず、それほど高くはない。とはいえ私の貯金をそこそこ食いつぶす額ではあった。


(ちゃんと考えなさいね、市村みどり。この恋にどこまで費やせるか、ちゃんと計算しないと……)


 浮かれる恋心に再度釘をさしつつ、彼を待った。

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