第2話 軽やかに知り合い(2)
「おはよう、みどりさん。あれ? メイクしてるんだ」
「初ニューヨークなので……えへへ」
「そか。可愛い」
私のメイクが終わる頃に目を開いた紫貴さんは、まず立ち上がって大きく伸びをしてから、私の顔を見た。そうして『可愛い』なんて、寝起きでもそんなことを当たり前みたいに言ってくれる。
(実質私の彼氏なのでは?)
上目遣いで「よかったです」と高い声で答えてみる。しかし目一杯頑張った私のぶりっ子を、彼は眠たそうに目をこすっていて見ていなかった。彼は欠伸をしながら席に戻ると、申し訳なさそうに眉を下げてこちらを見る。
「ごめん。俺、寝るね」
「もう、ご飯配られますよ?」
「夜食もらったからいいや……。ごめん、着陸したら、また話そ……」
それだけ言い残して紫貴さんはまた目を閉じた。彼の胸は深く上下している。深い呼吸、眠りの呼吸だ。
(本当に寝ちゃった)
消灯後すぐに私は寝てしまったけど、紫貴さんは寝付けなかったのだろう。ならできるだけ寝かせてあげようと残りの搭乗時間、音を立てないように過ごした。その甲斐あってか紫貴さんは着陸の衝撃を受けるまでずっと眠っていた。何故それがわかるかというと、私は音を立てずに、彼が寝ていることをいいことにその横顔をずっと見ていたからである。
「寝顔見ないで、恥ずかしい」
寝起きの彼はそう笑ってくれた。その笑顔が可愛くて、私もつい笑ってしまった。
飛行機が止まるとすぐ、彼は私の荷物を棚から下ろしてくれた。さすがに断ったけれど、荷物まで持とうとしてくれた。
(優しすぎない? もしかしてめちゃくちゃ手慣れているのかしら)
立って並んでみてわかったのだけれど、彼は私より頭二つ分ぐらい背が高く、意外と体格も良い。バンドのボーカルみたいな装いだから細いだろうと勝手な想像をしていたのだけれど、隣に立つと威圧感を感じる程度には身体が厚い。
(私の手荷物、軽々下ろしてくれたし、鍛えているんだろうなあ)
鍛えられた体躯だからか、真っ黒なモッズコートに真っ黒なセーターに、真っ黒で艶っぽいパンツに、真っ黒なブーツ……カラスと言うか、中学二年生というか、アニメキャラみたいな服装がしっかり似合っていて、しかも格好いい。
(彼がイケメンだから許されるのか……それとも私が浮かれているからか……両方か)
そんな失礼なことを考つつ、彼と並んで入国検査に向かった。彼はコートの前を合わせながら、欠伸をする。
「すごく寒いね」
「今日は最高気温がマイナス二度って言ってましたよ。今はマイナス十三度とか……」
「摂氏だよね? いやそれにしても、そんなに?」
「ニューヨークっていつもこのぐらい寒いわけじゃないんですか?」
「日にもよるけど、さすがに寒波かな。最近、こっちのニュース聞いてなかったから知らなかった。厚着しておけばよかったな」
彼の服装で特に寒そうなのは首元だ。タトゥーに防寒効果はないから、そこから寒さが入ってくるのだろう。私は手荷物の中から、寒さ対策で入れていた大判のストールを引き出す。青と緑をベースとしたチェック柄のストールで、ユニセックスのデザインだ。
(これなら紫貴さんでも大丈夫よね)
差し出すと、彼は不思議そうにストールと私を見た。彼の目が伏せられると、そのつけまつげみたいに綺麗なまつげがよく見えた。瞼から頬に落ちる影までも、彫刻みたいに綺麗だ。
「どうぞ、紫貴さん。首に巻いたら少しは温かいと思いますよ」
「……貸してくれるの?」
「はい、物を貸すとまた会えるので」
「何、その可愛い下心。そんなの言われたら借りるしかないじゃん」
彼はクスっと笑うと、ストールを受け取ってくれた。彼はストールをテキトーに首に巻く。モノトーンの彼の中でストールだけが色鮮やかだ。
「ウン、ありがと。温かい」
「良かったです。似合ってますよ」
「フフ、よかった。ハート柄だったら、半泣きで巻いてたよ」
「ハート柄でも身につけてくれるんですか?」
「マァ、みどりさんが可愛いこと言ってくれたから……なあに、嬉しそうな顔して。ずるい人だな」
彼の右手が持ち上がり、ためらいがちに私の肩に触れた。コート越し、しかもほんの一瞬だから体温すらわからない。だけど初めて彼が私に触れてくれた。
(……少しも嫌じゃない)
侵略おじさんとは大違いだ。彼の、伺いを立てるような躊躇う触れ方。そしてそれに対する私の感情。何もかも大違い。
私は深く息を吸い、そっと、彼が巻いてくれたストールの先を一回つつく。
「よかったですね、私がユニセックステザインが好きな人で」
「ウン、よかった」
私に触れられても、彼は少しも嫌そうではなかった。そのことにすごく、ホッとした。
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