第41話 落下

 ああ駄目だ。

 王様の舌も唇も気持ちが良くて、押したり叩いたりしていた筈の胸に縋りついてしまう。

 このまま気持ち良さに流されてしまいたい。

 俺を押さえつける手のひらは、力強いのに優しく、決して離してくれないのに痛くない。

 王様が絶妙に力加減をしているのだろう。

 ムッ。経験値の自慢か。

 何だよ。俺はほぼ初心者だけど、そんなに慣れてるところを見せつけなくてもいいだろ。

 嫉妬心だと認めたくなかった。

 そうだ。キスを止めないと。誰かが王様を呼びに来てしまう。

 舌を噛んだらキスを解いてくれるだろうとはぎったが、王様に怪我をさせるわけにはいかない。

 咥内から王様の舌を締め出し、腕から逃れようとはするものの、王様を傷つけたいわけではなかった。

 穏便に、傷つけず、この場だけ離れたかった。

 俺の抵抗が伝わっていないはずがないのに、唇は重なったままだ。

 力では敵わないが、こうなったら意地でも俺の力で離れてやる。

 妙な闘争心が湧き、作戦を変えた。

 上からのしかかって来ていた王様の力を逆手に取り、下からくぐり出よう。

 よし、今だ。

 その場で勢いよく屈み、身体を囲む腕から逃れ、王様と距離を取るため数歩下がる。

 いや、下がったはずだった。

 数歩目の足が、あるはずの地面を踏めない。

「コーヤ!」

 瞳を見開き、驚きの表情を浮かべる王様の顔と、俺に向かって伸ばした腕が、スローモーションのようにゆっくりと空を切る。

 大きな手のひらが、俺にあと少し届かない。

 逃れた場所は、崖っぷちだったようだ。

 今更わかってもどうしようもないな、と頭は呑気に考える。

 また落ちるのか。こんなことなら、もっと王様とキスしておけば良かった。

 青い空と、王様の、叫び声を上げる悲痛な姿に胸が痛む。

 あぁ、王様泣かないで。

 俺は、そこで意識を失った。


 目が覚めたのは、草の上だった。

 身体のあちこちに痛みがあることで、すぐに崖から落ちたことを思い出せた。

 仰向けに寝転がったまま周りを見回すと、細いい木の枝が数本、裂けたように落ちていた。

 見上げると、落ちてきたであろう崖の途中には枝の少なくなった木が数本見える。

「あぁ、木の枝に落ちて助かったのか」

 どのくらいの時間、意識を失っていたのか。声を出してみると掠れていた。

 身体を確かめようと四肢を1つずつ動かしてみる。

 動いたことと、痛みを感じることにまずホッとした。左の足首と膝が特に痛い。だが他の手足は何ともない。打撲と擦過傷くらいだろう。

 思い切って体を起こしてみると、肋骨にも痛みはあるが動けない程でもない。ひびくらいか。

 だが、さっきまで見えなかった足元の離れた場所に、うつ伏せに倒れた人物を目にして、痛みは吹っ飛んだ。

 這って近づきながら叫ぶ。

「王様!カルレイン王様!」

 返事がない。顔は反対側に向いていたが、この金髪と青いロングコートには見覚えがあった。

「王様!王様!」

 更に顔が見える位置に移動した。

 顔面は蒼白で瞼を閉じたままだったが、整った目鼻立ちに厚みのある唇。間違いなくカルレイン王だ。

 いつも上品で優雅な顔には表情がない。問いかけにも身動きせず、意識が無かった。

「どうしよう。やだ、王様。目を覚まして下さい。ねぇ、王様!王様!」

 返事をしてくれない王様の姿に、涙が溢れてきた。袖で拭っても拭っても、次から次へと涙が止まらない。

 だが、泣いている場合ではない。こんな時はどうするのだったか。

 涙は流れるままにして、回らない頭で必死に考える。

 呼吸は、ある。よし。脈も問題ない。

 頭を打っているかもしれない。脊椎が無事かわからないし、肋骨が折れていたら内臓を傷つけるかもしれないから動かせない。

 このまま治癒魔法を掛けるしかなかった。

 まだ流れ続ける涙を手で拭うと、王様の頭の方から術を掛けていく。

 ありったけの力を込めて頭の次は首、背中と、腰までの術をかけ終えても、王様の意識は戻らなかった。

 一旦止まっていた涙が、また目に溢れてきたが、まだやることがある。

 今度は、体を仰向けにして、手足の状態をみなければ。

 苦労して衣服から出すと、腫れや変色を確かめて、折れていそうな部位は治療する。

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