酔いどれ:前

「たのもうぅぅぅ──────」

 無数のネオン看板がひしめきギラつく我鳴ガーミンの夜。掛け声とともに選品店セレクトショップの扉が叩かれる。

 閉店の看板は掛けていたので、チェンは居留守を決め込んだ。

 ノックの音は次第に強くなる。バキャリと鈍い音がした。

 

 振り返ると、入り口の扉から手が生えていた。客の手が店外から扉を貫いているのだと気付くまで、しばらくかかった。

 チェンは鉄パイプを持ち出すと、壁に張り付き慎重に扉を開く。

 振り下ろした鉄パイプは、片腕で防がれた。

 

「提携相手に殴り掛かるとは何事ですか」

「うん?」

 チェンは首を傾げる。迷惑客は長い髪を無造作まとめ、黒の道服を纏っている。見知らぬ姿だ。

 しかし少年のような姿形なりから発せられるのは女の声で、こちらは聞き覚えがあった。

 

「この店に観光客金ヅルを連れてきているのは誰だと思っているのです?」

 選品店セレクトショップに観光客を誘導する人物は一人しかいない。観光ガイド兼功夫クンフー使いの美煌ミーファンだ。

 

 チェンは鉄パイプを引っ込め、しめやかに扉を閉じた。間髪入れず、扉からバキャリと手が生えてくる。

 苦渋の決断で扉を開けると、美煌ミーファンは平然と閉店後の店に上がり込んできた。

 

「いらっしゃいませぇぇぇぇぇ‼︎」

 自棄になって歓迎するチェンを無視し、美煌ミーファンは店に展示している卓に着く。

 使用された卓のキ物が嬉しげにカタコト揺れるのが恨めしい。卓の上のバレリーナのオブジェが付いたオルゴールも、歓迎するように一曲披露していた。

 

茅台酒マオタイシュを一杯」

「うちは酒屋じゃないんだけど⁉︎」

 美煌ミーファンは鼻で笑うとチェンを手招きする。仕方なく近寄ると乾いた物で頬を叩かれた。美煌ミーファンの手には札束がある。どうやら札束で引っ叩かれたらしい。

 

──どうしてくれよう、こいつ──

 簀巻すまきにして店外に蹴転がしたかったが、悲しいかな腕っ節では叶わない。

 仕方なくバックヤードに引っ込み、満たした杯を美煌ミーファンに差し出す。

 杯を干した彼女は、即座に中身を吹き出した。当たり前だ。杯の中身は酢である。

 

「無礼はこれで許すけど、扉の修理代は払ってもらうからね」

 美煌ミーファンから充分な距離をとりつつ、チェンは警告する。

 

「そもそも、何でうちに?」

「静かにお酒を飲める酒屋など無いですし」

 この言葉は理解できた。我鳴ガーミンの大概の酒屋は猥雑で騒々しい。

「どうでもいい扱いをして良い知人は、店長以外に思い付かなかったので」

 こちらの言葉はめちゃくちゃ釈然としなかった。

 

 要は、無礼を働いて良い相手を酒に付き合わせたいらしい。

──極力関わらないようにして、酔ったら思いきり紙幣シザを巻きあげて店外に放り出そう──

 怒りを商魂に昇華させ、チェンは紹興酒しょうこうしゅを探す。

 

「どうしたの?」

 ガサゴソやっているとリャンが自室から出てきた。騒がしくしていたので様子を見に来たらしい。


「あっ、壊す人」

 店舗に美煌ミーファンを見つけ、リャンはこぼす。

 リャンは美煌ミーファンと面識があったし名前も知っていたが、彼女を壊す人と呼んでいた。大体合ってる。

 

 紹興酒と杯を美煌ミーファンの前に置く。すみやかにこの場を離れようとしたが、腕を捕まれ強制的に卓に着かされた。リャンもちょこんと隣に座る。

 使用者が増えた卓は嬉しげに脚で床をタップし、観衆が増えたオルゴールのバレリーナは張り切ったように回転速度を早めた。

 無理に回転するとオルゴールの歯が痛んでしまう。チェンそっとバレリーナを押さえてオルゴールを保護した。

 

 キ物に優しいチェンを微妙な顔で眺め、美煌ミーファンは手酌で酒を呑み始めた。

──さて、どんな愚痴や罵倒が飛び出すやら──

 身構えたが、功夫クンフー使いは黙々と杯をし続けるだけだ。

 手持ち無沙汰になったチェンが自身とリャンの茶を淹れ、茶菓子を平らげた頃に、彼女はようやく口を開く。

 

「──店長は、御子息が亡くなったら蘇らせますか?」

「はい?」

屍物かばねものにしてしまえば、一億兆歩譲って生き返った風にも見えるでしょう?」

 思わず眉をひそめた。

 屍物かばねものとは、死体がキ物化し動くようになった物のことだ。道具のキ物は放っておく我鳴ガーミン住民も屍物かばねものは忌避する。

 

「妄言としても冗談としても、面白くないね。リャン自身の前で言うのもどうかと思うよ」

「別に構わないよ、父さん」

 咎める養父を、床から浮いた脚を揺らしながらリャンが宥める。


「俺の母さんも屍物かばねものだったんでしょ? 別に──」

 咄嗟にリャンの口を塞いだが、もう遅い。

 美煌ミーファンは見開いた目でリャンを凝視していた。

 

「──今、何と言いました──?」

 ゆらりと功夫クンフー使いは立ち上がる。細い身体から尋常でない圧が立ち昇る。

「ちょ……待て! 落ち着いてくれ、美煌ミーファン!」

 危険を感じ、即座にリャンを背に庇う。

 功夫クンフー使いはキ物退治を行うが、その原点は屍物かばねもの退治にあったと聞く。屍の子のリャンは美煌ミーファンにとって唾棄に値する存在なのだろう。

 

「産まれはどうあれ、だろう? この子は! 食べて、寝て、成長して。血が通っていて、暖かい」

 美煌ミーファンは鋭くチェンを見据えている。

「そんな存在を壊すのはどうしようもなく『殺し』だよ? あんたは生きた子供を砕いて肉片にしたいってのかい? 生まれがよこしまだというで⁉︎」

 声を荒げて説き伏せる。検分する目は丸くなったあと、するりと剣呑さを失った。

 

「──存外、情が深いのですね、店長は」

 美煌ミーファンはすとんと椅子に座り直した。その顔は安堵しているようにも見える。怪訝に思いながらもチェンは胸を撫で下ろした。

 リャンはと言うと、きょとんと大人たちのやりとりを見ている。


「リャン君、少し腕を診せてもらって良い?」

 素直に腕を差し出した少年の脈をとり美煌ミーファンはじっと彼を観察する。

 

「うん。脈は整っているし経絡けいらくの位置も正常。気血も巡りも滞りない。貴方は間違いなく『生きて』いる」

 当たり前のことを感慨深げにこぼす美煌ミーファンに、チェンは小首を傾げた。リャンも目をぱちくりさせている。

 

「それにしても屍の子と知った上でリャン君を養うとは。店長の寛大さは我鳴ガーミン一ですね」

 美煌ミーファンはにっこり笑う。

 初めて見る提携相手の笑みにチェンは戦慄した。札束で人を叩く人間の笑みだ。ロクなものとは思えない。

 

「その寛大さで、これまでの器物損壊の賠償金を全額お返し願えませんか?」

「い・や・だ・ね」

 強い語気でくっきりはっきり即答すると、舌打ちが返ってきた。やはりこの女人は油断ならない。猛獣の類と思っておこう。

 

「ケチですねー。そんなけちんぼが、どうして血縁でも無い子を育てようと思ったのです?」

「それ、俺も聞きたい。どうして父さんは俺を育ててくれてるの?」

 悪態と無邪気な声が同時に触れてほしく無い箇所を刺してきたので、チェンは眩暈を覚えた。口から勝手に曖昧な呻きが漏れる。

 

 きっかり五秒経ってからチェンは言う。

 

「リャン、茶菓子のお代わりはいるかい? 饅頭がまだあったはずだ。美煌ミーファン、酒のつまみはどう? 特別サービスで作るけど」

「誤魔化そうとしてますねー」

 美煌ミーファンの指摘を

胡麻ごま菓子かし……」

 リャンがおうむ返しする。話題を切り替え離席する策は速攻で破られた。

 

「何かやましいことでもあるんですかね」

「やましい?」

「例えば──」

「待ーて、待て待て待て待て」

 無垢な子供にいらん事を吹き込もうとする大人を阻止する。

 致し方ない。いずれリャンには話すつもりでいたことだ。部外者にも知られるのは業腹だが語るとしよう。

 深いため息とともに、チェンは腹を括った。

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