人模

 二対のまなこがチェンを見ていた。

 

 一対は帳簿の側の人形。プラスチックの瞳がじっとチェンを見上げている。

 

 もう一対は選品店セレクトショップのショーウィンドウの向こう側から。

 幾度か店舗前を検めあらためたが、視線の主はその度逃げる。

 

「どうしたもんかねぇ」

 ぼやき、帳簿をめくろうとすると人形に邪魔された。二頭身で髪がふわふわとした人形はじっとチェンを見上げている。もちろんキ物だ。

 

 人形の用途は『でられること』。

 店に置いている人形は毎日髪と衣装を整え、気が付き次第撫でている。

 だがこの人形は、まだ『でられ足りない』らしい。

 帳簿の紙面に陣取りチェンを見上げ──顔面に飛びついてきた。


「あぁもう。わかった、わかりました」

 チェンはえりをくつろげると、胸元に人形を突っ込んだ。襟から顔を覗かせた人形は、嬉しげに左右に揺れる。

 

「そいつ、父さんのこと気に入ってるのかな」

 水瓶のキ物に水を注ぎながらリャンが言う。水瓶の用途は『水を貯めること』。中身が空だと瓶は荒ぶる。

 

「それはないと思うよ」

 先月の収支を確認しながらチェンは応えた。


 『物』は『主』を選ばない。ただ黙々と『主』のかたわらで『求められる用途』を追行する。その在り方は健気にすら思える。

 

 一方、『人』も『物体』である以上、『物』の一種とチェンは考える。

 しかし『人』は用途を持たない。『生物』であるから『生きること』が目的のひとつだろうが、それだけでは『物足りない』。

 私たち難儀であるなぁ──チェンは小さく嘆息し、人形を撫でたなでた。『愛られためでられた』人形はきゃらきゃら笑う。

 

 選品店セレクトショップのドアが重たげに開かれたのはそんなおりだった。

 

「ひ、ひ、ひ、ひ」

 来店したのは血走った目の男だ。腕にはマネキンを抱いているが、損傷が激しい。傷ついたマネキンは微かに動いた。キ物だ。

 

「いらっしゃい」

 チェンは艶然えんぜんと微笑む。

 奇妙な物を商っている身だ。様子のおかしい客との付き合いは慣れていた。

 

「こいつがさぁ、おれのこいつがさぁ!」

 男はマネキンを殴る。

 

「逃げ回るから殴ったのに、言うこと聞かねぇんだよ。おれが買ったのにさぁ。買ってやったのにさぁ!」

 マネキンはチェン親子が捕まえ、この選品店セレクトショップに並べ、男に売ったものだった。品にも客にも覚えがある。

 

 男は選品店セレクトショップの固定客だった。主に女を模した品を買っていく。逃げた女房の代わりらしい。

 そして妻の代わりを買えば買うほど、買い替えの頻度が上がっていた。かなりの額をツケている。

 

「ひ、ひ、ひ、ひ。──ひ、ひ、ひ、ひ」

 男はマネキンを殴る。

「直せよぉ。この店で買ったんだからさぁ、早く直せよぉ!」

 そう言って何度も殴る。

 

「修理はうちでは承ってうけたまわってないよ」

 涼やかにチェンは告げた。

 

「それにマネキンは『殴る物』ではない。『服を着せる物』だ」

「知らねぇよぉ、知らねぇよぉ」

 男は笑った。

 リャンがマネキンに哀れみの目を向ける。

 

「替わりを寄越せよぉ、替わりを寄越せよぉ!」

 会計台越しに男はチェンに詰め寄った。

 

「アンタでも良いよ、アンタでも良いよぉ! 綺麗な顔してるからさぁ! おれの所来いよォォォ‼︎」

 男はケタケタ笑った。実に楽しげに笑った。チェンも微みを崩さない。

 

「私には子供がいるし、この店もあるからさ。お客さんのとこには行けないよ」

 チェンは会計台の引き出しをまさぐる。取り出したのは煙草たばこのケースだ。

 印刷の剥げた箱から煙草を一本取り出すと、マッチで火を付け、男にくわえさせた。

 

「これはサービス。お客さん、うちに何回も来てくれてるから」

「ひ、ひ、ひ、ひ。──ひ、ひ、ひ、ひ」

 チェンが特別な笑みを魅せるみせると、男は嬉しげに笑う。

 男は煙草のけむを深く吸い込み──

 

 バタン

 

──仰向けに転がった。

 

 男から解放されたマネキンは床に強かに打ち付けられる。ガシャリと割れて砕ける音は、哀しげに聞こえた。

 

 チェンは笑みを消す。

 バックヤードからズダ袋を引き摺り出すと、袋に男を詰めた。

 男を肩に担ぐと、店舗の入り口に近づく。


「どこ行くの、父さん」

「解体屋」

 マネキンの欠片を拾い集めるリャンにチェンは応える。


「言い寄られたの、そんなに嫌だったの?」

「鳥肌立ったよ‼︎」

 美貌の青年は喚いた。

 

「不審者がうろついてるから、私が戻るまでは店の鍵を掛けておきなさい」

「はーい」

 聞き分けの良い声を背に、チェンは解体屋に向かう。

 男の臓器を二、三個売る契約書にデタラメなサインをすると、ツケ代は取り戻せた。

 気持ちとしては阿片窟アヘンくつに男を放り込みたいところだが、廃人にするのは気の毒だったのでやめておいた。

 

 店に戻ったチェンは、出入り口に張り付く小さな背を見とめる。

 声をかけると逃げようとしたので、捕まえて共に店舗に入った。

 

「おかえり。その子、ずっと店の中見ていたよ」

 オルゴールを磨きながらリャンが告げる。チェンは渋面になった。

 

 不審者の正体は年端もいかない少女だった。怯えか戸惑いか、幼い目は揺れている。

 うっすら涙を浮かべながら、少女はキッとチェンを睨んだにらんだ

 

パイを返して‼︎」

パイ?」

「うちの猫よ‼︎」

「猫」

 チェンは戸惑う。キ物は捕まえているが、猫を捕まえた覚えはない。

 

「私、知っているのよ! このお店はいけない物を売る、いけないお店だって‼︎ パイだってあなた達が隠したんでしょう⁉︎」

「いけないお店かー……」

 思わず肩を落とした。『奇妙な物』は扱っているが、『いけない物』を扱っていると思われるのは心外だ。

 

 曰く、少女の家で包丁がキ物となったらしい。

 危ないので功夫クンフー使いに退治を頼んだのだが、功夫《クンフー》使いは包丁と共に壁を破壊。驚いた飼い猫が逃げ出し、そのまま帰ってきていないらしい。

 チェンは心底同情した。

 

 デタラメにビルが積み重なる我鳴防波ガーミンぼうはは、みちも子供の落書きのようにデタラメに走っていた。

 地上を歩いていたのにビルの三階を歩いていることなど良くあるし、前進したつもりが同じ場所を周回していることも良くある。中心部などは目指したが最後帰ってこれない。

 猫が帰る可能性は低く思えた。

 

 迷い猫の噂話がなかったか記憶を探るも、生憎そういった話は聞かない。

 加えて猫探しはチェンの仕事では無かったし、無い猫は返せない。

 ほとほと弱っていると、懐に突っ込んだ人形がごそごそ動いた。チェンは苦し紛れの案を思い付く。

 

「猫は出せないけど──これ、お嬢ちゃんに」

 しゃがみ込んで少女と目線を合わせると、人形のキ物を差し出す。

 動く人形に少女は好奇の目を向ける。小さな手で恐々と人形を受け取った。

 

「そのお人形さんは見ての通り動くんだ。で、可愛がらないと拗ねる。私の代わりに、そいつを可愛がってやってくれないかな?」

「わ、私が探してるのは人形じゃない‼︎ パイよ‼︎ 私の猫‼︎」

「わかっているよ」

 チェンは苦笑する。

 

「でも本当に、お嬢ちゃんの猫は私たちが隠したわけではないんだ。猫が帰ってくるまで、代わりにそいつの相手をしてやって?」

 少女は唸りうなり、人形とチェンを交互に見やった。それをしばらく続ける。

 

「きょ、今日はここまでにしてあげる‼︎ ちゃんとパイを返してよね‼︎」

 捨て台詞吐いて、幼い不審者は店舗から駆け去った。チェンはその背に手を振る。

 

「誤魔化しただけじゃないか」

「仕方ないだろう……。子供を無碍むげに扱いたくは無いんだ」

 養い子やしないごの容赦無いげんに、チェンはため息を吐いた。

「人形が、少しでもあの子の慰めなぐさめになると良いんだけど」

「父さんって、時々善人になるよね」


「そりゃあね」

 チェンは口の端を吊り上げる。

 悪事より善事を成した方が心地よかったが、この街で善人で居続けられるほど強くもない。

 

「私みたいなのは地獄行きと決まっているからさ。閻魔様のお目溢しの回数を増やしたいのさ」

 肩をすくめて、無法の街の男はそう溢したこぼした

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