7. アドルフィーナとゲルハルト
数日後、ゲルハルトが茶会の準備をしたとアドルフィーナに招待状を送ってきたため、アドルフィーナは久しぶりに制服以外の装いをすることにした。ゲルハルトが美女になって以降、その隣に立っていても違和感がないように制服を貫いていたが、婚約者、それも以前に比べずっと態度の軟化した相手のために着飾るのは良いものだと口元に笑みが浮かぶ。
今までは失礼でなければ、という気持ちでいたが、今のゲルハルトは見た目には同じ女性同士だ。茶会は本来女性のものであるから、きっと先方もそのつもりだろうとアドルフィーナはワンピースを選んだ。
丈が長く、シンプルなシルエットに軽やかな印象のシフォンブラウスをあわせる。コルセットはつけず、青紫のティーガウンを羽織った。制服とは随分異なる、ゆるく隙のあるコーディネートだ。髪も無闇に触れなくて良いように、ゆるく、ゆるくハーフアップにして薄い色のタンザナイトが散りばめられたヘッドドレスを合わせた。
婚約者であるゲルハルトには適さないかも知れないが、アドルフィーナは茶会であることを優先することにした。気分転換もしたかったし、ゲルハルトと結婚することに対する意思表示にもなると思えたからだ。
少しばかり弾む胸を隠しながら、アドルフィーナはゲルハルトの元に向かった。使用人に迎えられ、温室(コンサバトリー)へと通される。暖かい気候の植物を鑑賞するためというよりも、穏やかな日差しの中、心地よく過ごすことに重きを置かれているため、柔らかいベージュのカーテンで採光を調節してあった。
アドルフィーナが姿を現したのと同時に、既に待っていたのだろうゲルハルトが振り向く。その姿はアドルフィーナと同じように制服ではない。
ぱっと華やぐ表情と共に、その唇がアドルフィーナの名前を紡ごうとした直後、ゲルハルトの瞳は驚きに見開かれた。
「そ、その格好は」
「はい。お茶会へのご招待ありがとうございます、ゲルハルト様。ユスティーツブルク公爵家アドルフィーナが参りました」
この上なく上機嫌に、歌うように挨拶をしたアドルフィーナは、ゲルハルトの格好を見て微笑んだ。
ゲルハルトもエンパイアラインのドレスを纏っていた。一番下はシフォン、その上にクリーム色のオーバースカート。トップスは体型に合わせたハートカットだが、リバーレースのモックネックブラウスが上品にデコルテを隠していた。深い緑色のティーガウンはサテン生地で、グレーベージュのゲルハルトの髪を美しく引き立てている。
癖のないゲルハルトの髪はゆるく編まれ、ヴェールが控えめに頭にかけられていた。
「すまない、その、まだ不慣れで」
「ええ、問題ありません。それに今日の装い、とても美しくていらっしゃいます」
アドルフィーナは安心させるように笑みを深くした。初々しい姿もそうだが、良好な関係を築いている相手から自分の色を纏ったコーディネートをされるのは嬉しいものだ。遠くの地域では精神的に深く繋がりがある同性同士の疑似姉妹・疑似兄弟の関係を示すのに用いられることもある。
どういう意味であれ、ゲルハルトもまた、アドルフィーナを歓待したいことは強く伝わってきた。
茶会は穏やかに始まった。ローテーブルに並べられたティーセットの彩りはどれも華やかで、ティースタンドには一口で食べられる小さなサンドウィッチやお菓子が上品に用意されていた。
茶会は女性のものであるから、ヘレナ夫人の助けを借りたのだろう。それでもゲルハルトのもてなしはアドルフィーナに対する心配りが見て取れた。さりげなく二人の色をあしらっていたり、丸みを帯びたデザインで統一されている。
「とても美味しいです。それに……ふふ、眺めているだけで楽しい気分になれますね」
「それはよかった」
アドルフィーナが楽しそうにしていたからだろう、ゲルハルトの頬も緩む。
暫くそうして楽しんだ後、ゲルハルトはおずおずと切り出した。
「アドルフィーナ嬢、今日は足を運んでくれて感謝する」
「ゲルハルト様からのお誘いですもの。こちらこそとても嬉しかったです。兄が心ない振る舞いをしてしまったようで……あれで本人はすっきりとした顔をしているのですもの。アルベルト卿からお叱りを受けていなければ謝罪に連れてきていたでしょう」
「……その、そう言ってくれる君に甘えて、俺はもう少しだけ自惚れてもいいだろうか」
どこか気恥ずかしそうに目を逸らすゲルハルトに、アドルフィーナは首を傾げて見せた。
「まあ。なんでしょう」
「俺は……今まで君に対し、婚約者として最低限のことはしてきたつもりだった。しかし、まるで足りていなかったこと、君という人を理解するための努力を放棄していたことを認めざるを得ない……いや、違うんだ、すまない。言葉が……」
迷いながら、あるいは惑いながら言葉を紡ぐ様子は、今までのゲルハルトという人間には見られない様子だった。しかしアドルフィーナは女の身体になって以降のゲルハルトの困惑やショックを見てきた。そこには男の身体であれば知ることのなかった苦労も含まれている。
「本当は、男に戻って言いたかった。だが、今後一生その機会が訪れない可能性もあると言われた。だから、俺という未熟者が一人ではつけられないけじめのために、君を利用することを詫びたい」
緊張からか、ゲルハルトの耳が赤く染まっていく。その顔(かんばせ)にも同じく朱が走り、潤んだ瞳がアドルフィーナを射貫いた。
「今まですまなかった。許してくれなくてかまわない。俺は君との婚約を続けたいし、男に戻り……いや、戻らなかったとしても共にいたいと思っている。勿論、家の決定には従う。だが、俺がこれから君の隣に立つに相応しい人間になろうと力を尽くすつもりだということを、ここで誓わせて欲しい」
アドルフィーナには、ゆらゆらと、ゲルハルトの青紫の瞳が揺れて見えた。しかし表情に躊躇いは感じられない。
何度かゆっくりと瞬きを繰り返すと、アドルフィーナはそっと目線を外した。
「……ゲルハルト様は、以前より率直なお方でしたね。わざわざ言う必要もなかったはずですのに、ご自身がどう思っていらっしゃるのか、わたくしによく伝えてくださいました。
わたくしは、そのように思い詰めるほどのことではないと思っております。
だって、あなたはまだなにもされておりません。わたくしをわざと貶めようとなさったことだって、勿論ありません。それなのに、あなたを許すだなんて、そんな思い上がった振る舞いは致しかねます」
「しかし、俺が相応しくなかったのは真実だ」
「あなたの謝罪は受け入れます。でもそれはわたくしからあなたへの許しなのではなく、あなたがあなたを許すために必要だと思うからです」
ゲルハルトは基本的に清廉でストイックな傾向がある。恐らく謝罪を述べることすら自己満足ではないかと悩んだだろう。
アドルフィーナはそう思い、自分にはない感覚だなと感じた。
ゲルハルトとの関係を善いものにしていくことに限界を感じていたのは確かで、知らなかったとは言え魔道具を使用したのもアドルフィーナだ。ゲルハルトが婚約者として至らなかったことを悔いているならば、アドルフィーナのその行いも『罪』と言えるだろう。
だが、彼女はそれをゲルハルトに伝えるつもりが一切なかった。
みだりに魔道具について口にするべきではないし、アドルフィーナにその是非を判断する権限もないと思っていたのが大きい理由だが、彼女もまた自分自身が招いたということに対して責任を感じていたのは間違いない。
アドルフィーナからすれば今のゲルハルトをサポートするのは当然であって、そのつもりでいるために、ゲルハルトにとってもそうあって欲しいという気持ちが少なからずある。
故に自分ばかり悪いと思い込まないで欲しいのだ。
アドルフィーナは微笑んだ。
「ゲルハルト様のお言葉を受けて、わたくしにも至らぬ点が多くあると感じました。あなたが女性を煩わしく思っていると知っていたのに、婚約者として、あなたに近づく女子生徒達を諫めることもしませんでした」
言いながら、『それをしてしまえば自分が一層ゲルハルトからの嫌悪の対象になると知っていたから』だということは伏せる。今言う必要がなさそうなことの一切を排除して、アドルフィーナは口を開く。その声色はあからさまに軽やかだった。
「ゲルハルト様がおっしゃることを真に受け止めるならば、わたくしも男性にならなければフェアじゃないと思いませんか」
「そんなことはないだろう。君が俺に配慮してくれたように、やはりその、急に男の会話ややりとりの中に手引きするのは極めて気が引ける。それに、そう都合良く君が男になることがあってたまるか」
「それはそうなのですが……」
ゲルハルトは首を振る。冗談で話を切り上げることはかなわないらしい。
キリが無い。意志が強いのは美徳だが、とアドルフィーナは少し考えて答えた。
「では、せめてわたくしが男装をしますから、ゲルハルト様はその間だけわたくしを男性にするように扱っていただくとか」
「絶対に止めてくれ!」
ゲルハルトは自分自身がそれをしてどう感じたかを思い出し、顔を赤らめながら絶叫した。
あまりにも正直な反応に、アドルフィーナは一瞬目を丸くした後くすくすと笑ってしまった。
翌日、男の身体に戻っていたゲルハルトが迎えに来たアドルフィーナを玄関先で抱きかかえ、くるくると回りながら快哉を叫んだのを、多くの人が見ていた。
これもいつかは昔話 宇野肇 @unoch_
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